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 よみタイムについて
 
 
よみタイムVol.124 2009年11月9日号掲載
メトロポリタン美術館 特別顧問・キュレーター 小川盛弘さん(63歳)
10数年前から温めた大企画
祖国日本への警鐘の意味も

国宝 太刀 吉房(鎌倉時代13世紀)

 「ひとつの交渉に10年以上かかったものもあります」と感慨深そうに話す。「今、茶道や絵画など武家の裏芸がもてはやされてますが、表芸はやっぱり武器・武具なんです。海外では日本文化は中国文化の枝葉と思われがちですが、とんでもない世界に冠たる立派な文化があるんです。それを集めた展覧会なんです」。
 専門の核は日本刀剣。長い道のりは13歳中学生の時に、東京国立博物館の日本刀研究者の最高権威、佐藤寒山(寛一)に師事した時に始まる。
 父親が残した刀の個人コレクションと膨大な書物が身の回りにあり、家に出入りの美術商や父の友人たちが年に何回かやってきて、子どもには出来ない刀剣の手入れをするのを「美しい」と横目で見ていた。
 ある時「ボク、そんなに刀が好きなら、日本一の先生に紹介してやろうか」と美術商から声をかけられた。博物館での師匠との初めての出会いは奇妙なものだった。
 一振りの刀を無造作に渡し「これとしばらく睨めっこしてなさい」とあとは何も言わない。「30分も眺めてると迫力に圧倒され、汗が出て震えが来ちゃったんですよ」と昔を振り返る。
 この時の刀が国宝中の国宝「岡田斬り」の異名を持つ名刀「吉房」だった。先生が傍らに来て「それが刀というものだよく覚えておけ、とそれだけですよ」師弟の邂逅の瞬間だった。
 「名品というのは説明するものじゃなく、とにかく自分の眼で見て感じること」と言う。隔週の土曜日、小川少年は師匠のもとに通いお茶汲みをしながら、名品を見続ける。3年少し経ったころ、師匠が故意にニセ物を中に混ぜた。
 見てみると「受け付けないんですよ」小川少年が腑に落ちない顔をしていると師匠が「そういうもんだぞ」とニヤっと笑った。いつの間にかしっかりした鑑定眼が養われていたのだ。
 国学院大学では、有職故実の権威、鈴木敬三氏に故実や絵巻について学ぶ。卒業後の71年師匠の命を受け、ボストン美術館に赴き調査を始める。当時ボストンには600点近く、メトロポリタン美術館に300点におよぶ膨大な刀剣があると言われていたが、全貌を把握した人は誰もいなかった。
 「調査に行って来いと言われても、こっちは先立つものがなかった。そこで母に生前にもらっておかないと御礼が言えないと無心しましてね(笑)」。1年間ボストンでの成果が認められ、75年にメトロポリタン美術館に迎えられた。
 今回の大企画は十数年も前から温めてきたという。公立、個人、神社など作品を借りるのには人に言えない苦労と時間がかかった。「そりゃそうですよ。中には神社の「ご神体」そのものと言える「宝剣」も展示してますからね。普通じゃ御神体を貸し出すなんてこと有り得ません。だからお借りしたものすべてが元の場所に安置されるまでは私の仕事は終わらないんですよ」。
 小川さんは10年以上かけて各所を自分の足で歩いて回り誠心誠意を込めてお願いしてきた。これだけの規模の展覧会は空前にして絶後と報道される所以だ。
 「今ね、漫画だアニメだと新しい文化がもてはやされてますけど、これサブカルチャーなんであって文化の本流じゃないと思いますよ」。
 政治家も今は漫画ばかり読む時代。「もう国の成り立ちがおかしくなってるんです。このままじゃまずい。だからね、この大企画展は私の祖国への警鐘でもあるんです。文化の危機に気づいてくれとね」小川さんの言葉に俄然熱がこもった。
  (塩田眞実記者)