2021年12月17日号 Vol.412 | |
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進行する新生メットの改革(2)民族文化の背景にある解放求める精神 なるほど、新路線は女性画家の処遇ばかりではないようだ。地域的な優位性としての欧米中心の美術史の見直し。その典型が、この秋に開幕した特別展「越境するシュルレアリスム」だろう。シュルレアリスムといえば、1920年代のパリに花開いた文芸思潮。夢や無意識の探求から非日常的なイメージを生み出したマグリットやエルンスト、ダリやキリコの作例で知られるが、本展ではこれら画家たちの存在は希薄である。 代わって目立つのが、旧東欧の作家たちの写真や映像、アフリカやカリブ海諸国の民族文化と抽象のモチーフが混じり合う絵画であり、社会や政治的抑圧からの解放を求める、奇妙にしてユーモラスなシュルレアリスト精神が紹介されている。その広がりは、古賀春江の油彩画や岡上淑子(おかのうえ・としこ)の写真コラージュ、草間彌生の渡米前の水彩画ほか、岡本太郎、北脇昇、下郷羊雄(しもざと・よしお)、池田龍雄ら日本人作家の作品にもおよび、痛快にして野心的な大シュルレアリスム展となっている。
ディズニーの存在 一方、ホリディシーズンに合わせて登場した「ディズニー・アニメとフランスの装飾美術」展も興味深い。メットが喧伝する通り、ウォルト・ディズニー(1901〜66)を取り上げるのは、美術館始まって以来の画期的なこと。逆にいえば、アメリカ文化の王様たるディズニーの存在をこれまで認めてこなかったということだ。 ディズニーは、アニメ動画のスピードや展開など技術面や、背景の音楽、ダンス的な要素など、いわば総合芸術としてのアニメの重要性を確信し、1935年、当時最先端の美術大学「ブラック・マウンテン・カレッジ」(ノースカロライナ)を訪れるが、学長に拒否されたという逸話が残っている。
本展は、こうしたディズニーの信念を振り返る意味でも感慨深い。古今東西の芸術文化を網羅する美の殿堂に、ディズニーが初めて足を踏み入れたのだ。
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