2018年8月24日号 Vol.332

「絵」と「音」の力
人間にはそれを感じ取れる能力がある

「みずのきれいな湖に」「静坐社」「風にのるはなし」
監督:吉開菜央

「映像作家」「振付師」「ダンサー」の肩書きを持つ吉開菜央(よしがい・なお)監督、幼稚園の文集に「フィギュアスケート選手になりたい」と書いていたという(ご本人は覚えていないそうだが)。生き物ならではの身体的な感覚や現象を素材に「見て、聴く」ことを映像で体験させようと試みる。

saito

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吉開:小学1年生の時。B'zがすごい好きで、稲葉さんのシャウトにやられて「ヤバイ、私、このB'zの歌をうたいたい!」と思ったんです。早速、自分の部屋で歌ってみたところ、すっごい音痴だったんですよ(笑)。「私、歌には全く向いていない」と思い、稲葉さんのマネを…歌い方のマネではなく、ロックシンガーのような動きをしてみたら、とても上手にできた!と客観的に思ったんです。「もっともっと訓練すれば、私はきっといいダンサーになれるハズだ!」と思い、ダンスを始めました。

ーーどんなダンスを?

吉開:最初はクラシックバレエを習いました。その他にもジャズダンスやストリートダンスなどを体験し、「もっとダンスを学びたい」と思い大学へ進学しました。大学の必修が、クラシックバレエ、モダンダンス、コンテンポラリー、ジャズダンスとあったのですが、そこから更に選択で、日舞、スペイン舞踊、タップなども選べたので、結構いろいろやりました。

ーーと言うことは、かなりマルチに踊れるのですね

吉開:多分・・・そのハズです(笑)。最近思うのですが、ダンスは「言葉」のように、直接的に意味を伝えられません。例えば、私が「こんにちは」とジェスチャーしても、観客へ100%完全に「こんにちは」とは伝わらない。観る側も人間ですから、どうしてもその動きに対し、何かの「意味」を読み取ろうとしてしまう。観客は、私の動きを「意味0(ゼロ)パーセント」として観ることができない、という部分がある。ダンスはそれがとても面白いな、と思います。

ーーダンスと映像、どのように繋がったのでしょう


吉開:大学時代には、パフォーマンスの作品も作っていたのですが、ある日、ふっと「お風呂で踊りたいな」と、舞台上にお風呂を持ち込んで水をためてやりたいな、と思ったんです。でも現実的には難しい。ただ、頭の中にはすでに「絵」があり、カメラワークも出来ていた。イメージが動いて、編集もされていた。これは、もしかすると映像で撮った方が、自分のやりたいことが出来るんじゃないかなと思いました。

ーー「みずのきれいな湖に」も、撮影前に頭の中で映像があった?

吉開:「みずのきれいな湖に」の場合は、野外での撮影でしたから天気や風など自然に左右されてしまい、正直なところ予定していた絵があまり撮れませんでした。どちらかと言えば、フィルターの中でいい絵を探していくという作業でした。でも考えてみれば私の作品は比較的そうかもしれません。イメージしていても、それ通りのモノが現れるとは限りませんから、目の前の状況に対応していく、ということは多いですね。

ーー「静坐社」は取り壊されるということで、撮影して欲しいと依頼されたのですね

吉開:そうです。最初は全くイメージがなく、現場に行って、そこに存在しているモノを見ながら、「ココだ、コッチだ」と、ひたすら絵を押さえていったという感じです。その時は、編集した仕上がりのイメージもなく、これはこうなるんじゃないか、ここはこうしたら繋がるんじゃないかと、思いついた絵をひたすらバーーーと撮っていった。撮りながらも、ココは編集の時にこう使えるだろうな、とは考えていました。

ーー作品の「テーマ」は最初に考えてから撮るのですか?

吉開:実は「テーマ」は最初ではなく編集の時に考えます、しかも、ほぼ最後に(笑)。作っている時は、あまりわからないんですよ。だから本当にスリル満点なんです、私の作り方は…(笑)。「風にのるはなし」は、「シーズン2」という気持ちで作っていました、同じテーマの第2回目というイメージです。

ーー吉開監督の作品は、目や肌、毛穴までも見えるようなクローズアップが多い。加えて普段、私たちが聞こえていない、気にしていないような「音」もクローズアップされていますね

吉開:映像を撮ってみて初めて気がついたことなんですが、マクロレンズを使って撮影すると、細部までよく見えるんです。それを画面上で大映しにしてみると、今まで聞こえてこなかったモノ(音)が、けっこう聞こえてくるようになった。元々、私はそんな感性は持っていなかったんですけど(笑)、映像を撮ったことで、「絵」と「音」の力ってものすごくあるんだな、人間にはそれを感じ取れる能力があるんだな、ということに気がつきました。それから、そういったモノにフィーフャーして撮るようになりました。

ーー「人間の肌」を、あそこまで拡大して見たことはありません

吉開:私が「感じたモノ」を撮影した映像を、観ている人にも「感じて」欲しい、「内部で体験」して欲しいと思います。客観的に観賞するだけでなく、身体的感覚を感じて欲しい。例えば、私の映像を観て、食感や温度なども体験して欲しいと思っています。

ーーそれが触覚映画「Grand Bouquet / いま いちばん美しいあなたたちへ」に繋がるのでしょうか


吉開:今回の触覚映画は実験という意味もあり、その感覚を「過剰」につけてみました。触覚映画は、音の振動を利用したもので、スピーカー(のようなもの)を身体に装着して音を出す。その振動が観ている映像とリンクする、という仕組みです。視覚(映像)に対してリンクする触覚(振動)を過剰に…例えば、回数だったり強さだったりを「強め」につけてみたんです。すると、私の映像と音がすでに触覚的なため、そこに加えて実際に「触る」ものがあることで違和感を感じたという人もいたそうです。その「さじ加減」が難しいですね。いずれにしても「触覚表現」は初めての試みなので、まだまだやれることは沢山ありそうだなと思っています。

ーー今回上映された3作品は「お腹」や「息・呼吸」がクローズアップされています、何か特別な意味が?

吉開:「静坐社」を制作した時に気が付いたのですが、「呼吸」とは唯一、人間が止めることができないリズムだな、と思いました。心臓の音もありますが、それは普段あまり聞こえない。でも呼吸の音は、集中すればかなり聞こえてくる。それが「生きている限り止められない、私たちが奏でる音楽」。しかも自分の感情によっては、どんどん早くなったり遅くなったりする。「生きている」ということを感じる音楽…「呼吸は音楽だ」と言っていいと思います。

ーこれからは、どういう作品を?

吉開:実は最近、少し変化してきたのですが、映画的な表現…例えば言葉や脚本に、とても興味があります。今までは「喜怒哀楽」という感情には、正直なところあまり馴染みがなくて、あまりやりたくないと思っていたのです(笑)。でも私が作るとすれば、きちんとストリーがあるような、例えば「ちびまる子ちゃん」のようには、ならないかもしれません(笑)。

ーー米津玄師さんのPV「Lemon」にダンサーとして出演されていました

吉開:実は私、全然考えてなくて(笑)。ただ監督さんが、ものすごい熱意を持ってオファーしてくださったので、「そこまで言われたら…」と思い出演しました。振付けも即興で、音楽を流してもらって何回も何回も…10回ぐらい踊ったと思います(笑)。

ーーあのダンスは「コンテンポラリー」ですか?

吉開:それがよく解らないんですよ(笑)。自分がやってきたスタイルは沢山あるのですが、もともとB'zのように「パッション!」みたいなモノを「パっ!」と出すのが得意な人間なので、音楽を聞いて即興で踊ると、あ~いう感じになるのかな~と(笑)。

ーー「ヨシガイダンス」ということですね

吉開:そぉ、そぉ~~ですね(笑)

ーー終始、朗らかに笑いながら応じてくれた吉開菜央監督。「生き物が好き。生きてなくても、風とか光とか…命を感じるものに興味がある」と話していた監督は、見落とされがちなモノ、あるいは目に見えないモノをセンターに据え、それらが唯一無二の存在であることを我々に気付かせようとしているのかもしれない。


みずのきれいな湖に
Across the water


水の中で揺れ動くヒトのかたち、柔らかな生地の質感。そして、霧がかった中で揺れ動くヒトのかたち、柔らかな生地の質感。きらきらとした水中での映像や、画面の真ん中を横に割って表現する水の中と外の描写、優しいピンクと紫の色合いが特徴的な短編作品。
2018年|9分

静坐社
Breathing House


第19回文化庁メディア芸術祭新人賞を『ほったまるびより』(2015年)で受賞した吉開菜央 監督の新作。大正時代に流行した健康法「岡田式静坐法」を広めていた本拠地が京都にあり、その由緒ある家「静坐社」が取り壊されていく様子を記録撮影した作品。静かに座ることで、みえてくるもの、きこえてくるものはなにか。
2017年|12分

風にのるはなし
Stories floating on the wind


2013年に制作した『自転車乗りの少女』をリメイクした作品。海沿いの道を自転車で走る少女、野菜、学校、公園…。優しくも生き生きとした映像と、色使いが駆使された温かい作品。
2018年|9分
監督・吉開菜央
出演・前田エマ
(Photo: Stories floating on the wind © Nao Yoshigai)


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