2021年8月6日号 Vol.403

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学び続け、自立したダンサーに

小平 紘子
Hiroko Kodaira
バレエダンサー

・出身:広島生まれ、茨城育ち

Oni Photographe

★バレエに出会ったのは?
6歳ぐらいの時、近所の子のバレエ発表会に誘われて見に行ったのが最初です。小さい頃から音楽に乗るのが好きで、家でも踊っていましたから、楽しそうだな〜と思いました。

★プロになることを意識したのはいつ?
始めた時から「バレエダンサーになりたい」とは思っていましたが、明確に「プロになろう」と思ったのは、東京都内のスクールに通い始めた中3ぐらいからでした。バレエ団付属のスクールで、オーディションがあり、プロを目指している子が大勢所属していました。



★影響を受けた、または目標とするダンサーは?
沢山います!すごい人はいつも学び続けていて、「自分の使い方」を理解している、とでも言いますか…とにかく、踊りも精神も素晴らしくコントロールされていて、常に勉強させて頂いています。

★これまでのキャリアの中で代表するパフォーマンスは?
ニューヨークに来た直後、バランシン作品のセレナーデを踊らせて頂いたのは幸運でした。現地でバランシンのバレエを理解するためには、とてもいい勉強になりました。他には、コロナ直前の2019年の終わり頃、ボストンのJose Mateo Ballet Theaterで踊らせて頂いた金平糖のパドドゥが印象に残っています。短い時間で準備する必要があってタフでしたが、凄く楽しかったです。特に、アメリカのプロダクションは毎回ギリギリで役を任される事が多いので、家に帰ってから寝る時間が少なくなると、床でストレッチしたまま寝たりします…。コロナになってからは良くも悪くも、本当によく眠りました。

★NYを活動の拠点に選んだ理由は?
NYに来る前はドイツに住んでいたのですが、それまではロシアのクラシックの先生に教わる機会が多くありました。ですがヨーロッパは近年、コンテンポラリーが強く、「メソッドが近いと聞くアメリカへ一度行ってみたいな」と思っていたところ、丁度ニューヨークで行われるオーディションのメールが届き、「これだ!」とNY行きを決めました。


★フリーランス・ダンサーになった経緯を教えてください。
様々な国を回って気がついたのですが、ひとつのカンパニー(団体)に所属するダンサーと同じくらい、フリーランスで活動するダンサーが多いのです。安定しているように見える大きなカンパニーでも、実は毎年ディレクターが変更になったり、移籍を余儀なくされたりしているのが現状です。団体に所属しているからといっても、他の仕事同様、安定した活動を続けることが難しくなってきています。コロナ禍になってから、フリーランスの人が仕事を得たというケースもよく聞き、世の中分からなくなってきているな、と感じます。結局、「信頼を得て、仕事を取る」という部分では、フリーランスも変わらないと感じ、長期契約とプロジェクトベースの両方を受けることにしました。日本で「フリーダンサー」として活動するのは、まだまだ環境が整っておらず難しいことだとは思いますが、ニューヨークは、私のような臨機応変に活動するダンサーが多いですね。

★現在はどういった活動を?
最近、少し振付を始めました。2019年に帰国した時、東京都美術館で行われた「Zen展」に参加、作品を投票で選出する公募だったのですが、その時、初めて振付して踊った作品に、優秀賞を頂きました。その時に1から作る楽しさを覚えたのですが、コロナ中もミュージックビデオに出演するなど、多くのチャンスを頂いています。「自分で作ること」と、「カンパニーで働く」ことはまた違い、ものすごく自分を試される点がとても面白いです。

★目指すものとは
最近、別の視点から自分の行動を見る大切さを学んでいます。パンデミックになってから、ダンスとは異なる資格の勉強も始めたのですが、それがまた、私の踊りの助けになっていると感じています。どんな場所でも基礎や学びを続け、きちんと自分の頭を使って生み出していけるような、自立したバレエダンサーになりたいです。

★今後の予定
8月に映像作品に出演、9月と10月にもステージに立ちます。詳細は随時インスタにアップしていきます!
instagram.com/rocogigio


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