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Detail 123:領土拡張へ プーチンの野望

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ソチ五輪の興奮の中、クリミヤ併合
領土拡張へ プーチンの野望

2025年10月17日号掲載|11

 2014年は2月にロシアの黒海に面した保養地ソチで、ロシアでは初の冬季オリンピックが開かれ、羽生結弦がアイススケートの男子フィギュアで初の金メダルに輝き、日本中を熱狂させた。

羽生だけでなく、ノルディック複合のノーマルヒルでは渡部暁斗が、純ジャンプ・ラージヒルでは葛西紀明が、スノーボードの女子パラレル大回転で竹内智香が、それぞれ銀メダルを獲得、スノーボードの男子ハーフパイプでも平野歩夢が銀、平岡卓が銅メダル、フリースタイル・スキーの女子ハーフパイプでも小野塚彩那が銅メダルを取るなど、日本選手団の目覚ましい活躍が連日伝えられた。 

ソチは多くの日本人には馴染みの薄い地名だったが、3月には冬季のパラリンピック競技も行われ、ここでも日本代表選手団が大活躍した。この年6月にはG8サミットがここで開かれることにもなっていた。

しかし、そうした晴れがましいニューズとは別に、ソチとは黒海越しに向かい合い、陸上の国境も近いウクライナで政治の混乱が伝えられ、それにつけ込んだプーチンによるクリミヤ半島のロシア強制併合につながって行った。五輪の興奮に包まれた日本のメディアは、当初あまり伝えなかったが、購読していた英フィナンシャル・タイムズが事態の推移をかなり詳しく伝えていた。当時の切り抜きや公式の記録をもとに振り返ってみよう。

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ウクライナは、1991年のソ連邦崩壊に伴い独立した国である。

独立後、中立を宣言、旧ソ連の安全保障共同体とも言えるCIS=独立国家共同体とは限定的な提携にとどめ、94年にはNATO=北大西洋条約機構と、「平和のためのパートナーシップ」を締結、2000年代に入ると、EUとも連合協定を結ぶ交渉を始めるなど、西側に接近する姿勢を濃くしていた。ロシアの独裁者となったプーチンはこれに不快感と警戒感を強め、ウクライナ内政に露骨な干渉をするようになった。

肥沃な農地を広大に持つことから、旧ソ連時代には「穀倉地帯」と呼ばれる一方、各種軍需産業も立地して連邦の主要構成国とされていたが、独立後は、急速な市場経済化にいち早く対応した一握りのオリガルヒ(少人数での支配を意味するギリシャ語からソ連崩壊後の資本主義化の過程で出現した政治的影響力を持つ新興財閥を指す)を除くと貧困に苦しみ、ヨーロッパで2番目に貧しい国とされた。深刻な汚職にも悩まされ、不安定な内政が続いていた。

Euromaidan
ウクライナ親欧州派がキーウ独立広場で行った反政府デモ Euromaidan in Kyiv on 1 December 2013 by Nwssa Gnatoush

そうした中で、2010年に大統領になったヴィクトル・ヤヌコヴィチは、ロシアと国境を接するドネツク出身のロシア系市民で、プーチンとの緊密な連携のもと、13年にはEUとの連合協定交渉を停止し、対露関係の強化に乗り出した。これに対し、親西欧と自由を主張するユーロマイダンと呼ばれるグループが抗議に立ち上がり、首都キーウの独立広場を占拠するなどの反政府運動を続けながらも、平穏な活動を続けていた。ところが政権側は、ソチ五輪最中の2月18日、独立広場の抗議者キャンプ撤去のため重武装の警官隊を出動させたことで激しい衝突となる。その後数日間で警官13人を含む82人が死亡、千人以上が負傷する事態となった。

22日にはキーウはマイダンの実効支配下に置かれ、議会に大統領弾劾案が提出されたヤヌコヴィチは首都から逃亡(ロシアに亡命)、翌23日には国会議長のオレクサンドル・トゥルチノフを暫定大統領とするクーデターが完結(マイダン革命、尊厳の革命と呼ばれる)した。(次ページへ続く)

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条約署名式

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