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Detail 121:3権分立の日米比較

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日本は行政府が突出
抑制と均衡の米だが…
3権分立の日米比較

2025年8月22日号掲載|11

ニューヨークに駐在していた90年代後半のある日、ハーヴァード大学に国際政治学者で、クリントン政権で国家情報会議議長と国防次官補を務めたジョセフ・ナイ教授を訪ねてインタビューしたことがある。今年5月に死去した同教授は当時、公共政策大学院ケネディ・スクールの学長を務めていたが、有数のジャパン・ハンドラー=知日派としても知られていた。

そこでの質問の一つに、日本の統治機構についての教授の見解があった。

教授の答えは大要、以下のようだったと記憶している。21世紀に入ってからの政権交代以前のものであることを予めご承知頂きたい。

日米の議事堂

日本は今日、世界でも際立つ民主主義国で、立法・行政・司法の3権分立を基本としており、大統領制のアメリカより、立憲君主制のイギリスに近い議院内閣制をとっている。行政府の長である総理大臣が立法府である国会の議員から選ばれているからだ。

議院内閣制というのは、議会の勢力が時の要請に応じて変わり、選挙の結果によって政権交代が起こることを前提にしているのだが、日本がイギリスと違う最大の点は、自由民主党という1党だけが、1955年からほぼ一貫して政権の座を独占してきたことだ。90年代前半にほんの短期間だけ政権を手放したことがあった(細川、羽田政権)が、すぐに政権に復帰した。

日本でいう政権交代は、概ね、与党自民党内でのリーダーが交代することで、民主主義が本来提起している「有権者の要求に応じて多様な政策が取られる」という原理を損ねている感じがしてならない。

「自民党は多様な考えを持つ議員の集まりで、党内の政権交代で時流の変化には十分対応している」という言い分があるのは承知しているが、40年近くも単独政党の政権が続くというのは常軌を逸していると考えるのが自然ではないか。

それによって、行政府の官僚機構と与党との関係が、他国では考えられないほど緊密になっている。3権分立の基本は、法律は立法府である議会が作り、行政府の官僚は、立法府が作った法律に従って日常の行政を行うことだが、日本のようにこの両者が密着していると、「分立」の意味が失われてしまう。

日本では法律案の大半が官僚の手で書かれ、政府提案として国会に提出され、審議の上で成立する。珍妙なことに、立法府議員の大半は法律を1行も書いたことがない。私が言いたいのは、立法府が行政府に支配されているのではないか、という懸念なのだ。

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こうした慣行を通じて、官僚機構的な組織運営が国の隅々まで行き渡り、もう一つの権力である司法府にまで伝播している。裁判所制度は最高裁から高裁以下の下級裁までピラミッドを形成し、人事が行われる。最高裁の判事はと言うと、下級裁や検察・法務省で官僚的な経歴 (いわゆる出世コース) を重ねた人物が指名されるケースが多い。国中丸ごと「お役所的」というのが、日本の特徴になっている。

官僚たちが仰ぎ見るのは自民党政権で、日々の業務に忖度がつきものとなる。日本の官僚は極めて優秀だが、何をするにも、自民党のご意向がついてまわり、自民党が嫌う政策は、国家国民にとって必要性が高いものであっても排除される。

こうした風土のもとで、日本的官僚制度の大いなる欠点は、決めるべきことをなかなか決めない、そして動きが遅いこと。国際社会では、これが日本に対する定まった評価になっており、そこからToo Little, Too Late=何もしない、遅すぎる=の言葉も生まれる。

また、自民党と官僚機構の紐帯が強いことで、自民党に対抗し得る野党が成長しないという弊害も生まれている。
日本が国際社会でさらなる発言権とリーダーシップを発揮して行くためにも、単独政党による長期支配という慣行が破られることを願いながら日本の政治を眺めている。

これに対し、アメリカの3権分立は、独立に伴う国家の創建以来、どこか一つのブランチだけが強くならないようchecks and balances=抑制と均衡が強調されてきた。権力の濫用を防ぎ、各ブランチの間で協力し合う体制を奨励し、個人の権利を擁護し、政府の活動を説明可能なものにするよう工夫されているのだ。(次ページへつづく)

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日米の議事堂

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