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2025年6月27日号|11
円が「安全資産」と呼ばれた日
投機と誤解が生んだ歴史的高値
東日本大震災から7日目、拡散する被害の情報が依然として氾濫していた3月17日早朝、ニューヨークの通貨市場からニューズが飛び込んできた。日本の円が1ドル76円25銭の戦後最高値をつけた、という。
震災の被害は日本のマクロ経済に甚大な影響を及ぼしつつあった。日本中が被害の大きさに立ちすくんでいた。当然消費マインドは冷え込む。企業にも、輸出や設備投資への下押し圧力が強まった上、被災地のインフラや生産設備などが大幅に破壊され、原材料の調達から製造、在庫管理、物流、販売へと流れて行くサプライチェーンの崩壊、電力供給の大幅低下などで生産活動が広範囲で急速に低下していた。

とりわけ目立ったのは、製造業に関わる様々な部品の生産が停止状態になったことだ。識者も含めて、東北地方にこれほどの集積ができていることに震災前には気づいていなかった。東北地方は、日本だけでなく世界に向けた部品供給の一大集積地だったのである。
地域間産業連関表というものがある。当時のそれを見ると、部品など中間材で、東北6県と茨城、千葉県の供給比率が高い品目には、「通信機械・同関連機器」「電子計算機・同付属装置」「電子部品」などが並び、コンピュータや電子部品関連産業への影響が甚大なことがわかる。また3万点以上の部品が必要とされる自動車産業にも影響は大きく、全ての自動車メーカーが工場の操業を一時停止せざるを得ない事態に追い込まれていた。一般機械、電気機器、通信機械、精密機械なども部品供給の中断で操業が大幅に制約された。震災のダメージは日本経済全体に及んでいたのである。
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当然のことながら、東北地方の金融機関を中心に日本の金融セクター全体の資産内容の悪化が見込まれる一方、経済再建のために支出される財政資金の急増で、国や地方の債務増と財政赤字の一層の深刻化が懸念される事態となる。さらにサプライチェーンの崩壊がもたらす輸出の低迷と、再建需要を賄う輸入の増加で貿易収支の悪化も想定された。これらは全て、海外投資家の退避や、「日本売り」に結びつく「円安要因」と考えられた。
ところが実態はそうならなかった。
震災に至るまでの数年間、円相場はじわじわと上昇を続けていた。円ドル相場は07年の1ドル124円から11年の80円割れまで4年の間に50円近くも上昇した。
リーマンブラザースが破綻した08年当時、国際通貨市場では円が「安全資産」と評価されていた。日本が巨額の経常収支黒字を積み上げ、世界最大の対外債権国になったことで、円に対する信認が高まっていたからであった。リーマンが破綻した08年9月15日には1ドル104円だったが、10月に入ると100円割れが見られるようになり、12月には87円台をつけるまでになっていた。10年8月には85円台、同年末は80円92銭、11年初頭も81〜83円台の相場が続いていたのが、ニューヨーク時間3月16日に80円割れから一気に76円台の最高値に進んだのだった。(次ページへ)