言語明瞭、論旨明快
スター「オバマ」誕生
07年2月、バラク・オバマが翌年の大統領選挙の民主党予備選挙に立候補を表明したというニュースが伝えられた。
それより3週前には、上院議員だったヒラリー・クリントンの出馬が伝えられていたが、私にとってクリントン夫妻というのは大嫌いな政治家で全く興味がない。だが、オバマというのは鮮烈な印象を深く刻まれている人物だった。
オバマに着目するきっかけは04年の民主党全国大会だった。共和党のジョージ・W・ブッシュが再選に臨んだ年で、「9・11」がひき起こした「テロとの戦争」の最中でもあり、民主党には戦意の上がりにくい選挙だった。それでも黙っているわけにはいかないので、マサチュウセッツ州選出の上院議員だったジョン・ケリーを指名することになっていた。
7月27日、ボストンで開かれた民主党大会の2日目の夜だった。テレビ朝日との専属契約中であれば、私は間違いなく会場の記者席にいたのだが、その年3月で契約が終わりフリーの身分になっていたので、自宅でMSNBCの生中継を見ていた。その眼前にバラク・オバマという黒人男性が登場したのである。イリノイ州上院議員というから、名前を聞いたこともない。それが、ジョン・ケリーを推挙・指名する民主党全国大会の基調演説者に選ばれていた。
42歳というから働き盛りだ。痩身をダークスーツに包んだ姿には、「闘志」とか「熱血」とかを感じなかったかわりに、「知性」が滲み出ていた。黒人政治家に対する先入観の中にあるエネルギッシュで奔放で力強い、それでいてどこかアウトローを感じさせることもあるイメージとは、かなり違っていた。
第一声は、聴衆の拍手に対する感謝と、彼を紹介したイリノイ州選出の連邦上院議員ディック・ダーバンへの謝辞で、Thank youを8回繰り返した。並の弁士であれば、ここで一段と声を張り上げて演説に入るのだが、彼は冷静だった。
“On behalf of the great state of Illinois, crossroads of a nation, land of Lincoln, let me express my deep gratitude for the privilege of addressing this convention”
共和党創始者であるリンカーンの名を挙げて自らの出身地がイリノイであることを明かし、民主党大会で演説する名誉を与えられたことへの感謝を述べたのだった。そのまま、自らの出自について述べてゆく。
「私の父はケニヤの寒村に生まれ育った留学生でした。祖父は料理人でイギリス人の召使いでした。大変な努力と忍耐の挙句に、私の父は、この奇跡の地で学ぶ奨学金を得たのです。そして、この地で学んでいる時、父は母と出会いました。彼女はカンザス州の町に生まれました。彼女の父親は、大恐慌期に油田と農場で働き、真珠湾攻撃の直後に兵役に志願して欧州戦線に従軍しました。彼女の母親は、子育てをしながら爆弾製造工場で働きました。それぞれの両親が、自分の息子や娘に大きな夢を抱いていました。2つの大陸で生まれた共通の夢です。彼らは、この国における不撓の信念を共有していたのです。バラクという私の名前は、アフリカでは〝神聖な〟という意味です」
淡々とした「自己紹介」から、演説はアメリカという国家のビジョンへと移って行く。
「今夜私たちは、我が国の偉大さを確認するために集まっています」と前置きして、
“We hold these truths to be self-evident, that all men are created equal……”
そう、200年余り前の独立宣言の文言である。「我々は、全ての人間が平等に創られていることを自明の理として確信し……」に始まり、生命、自由、幸福追求の権利が天賦不可侵のものだとするくだりを引用して、「これこそがアメリカの真骨頂であり、国民のシンプルな夢への信念であり、つましい奇跡へのこだわりなのです」と述べた。
「そして、親愛なるアメリカ国民――民主党、共和党、無党派を問わず全ての皆さんに、私たちにはより多くのなすべきことがあることを、申し上げたいのです」と切り込んだ。
働いていた工場がメキシコに移転したために仕事をなくした人、失業の故に子供に必要な医療費が払えなくなり途方に暮れている父親、学業成績も意欲も意志もあるのに大学に進むお金のない数千の若者たち……実例を挙げたこうした人々のために「なすべき仕事」がある、と言うのだ。
「国民は、問題の全てを政府が解決してくれるとは期待していません。しかし、彼らは、(政策の)優先順位を変えるだけで、機会への扉を均等に開くことができることを直感しているのです。彼らは、私たちが状況を改善できることを知っており、その選択を望んでいるのです。この選挙で私たちは、その選択肢を提示しています」と述べて、「その選択肢こそが、ジョン・ケリーです」
と、民主党の指名候補への賛辞に満ちた紹介に入って行く、という段取りだった。
オバマの演説は20分たらず。私が聞いた党大会の基調演説としては最短(88年のクリントンなどは聞きたくもない自慢話満載で1時間近くにも及び、議長が木槌を叩いて終わりを促したほど)だった。それでいて、言うべきことは言い、論点は明確で、聴衆に感銘をもたらした。
私が見ていたMSN BCの番組ホストだったクリス・マシューズは、演説が終わると、
“a little chill in my leg right now”
という言い方で、彼自身の感動を表した。「鳥肌が立った」とでも言おうか。「歴史的にも素晴らしい瞬間だった。こんな基調演説を聞いたことがない」と続け、少し後には、「最初の黒人大統領を見た思いだ」とも述べた。まさに「4年後の事実」を予言したのだ。
コラムニストのマーク・シールズは、「スター誕生だ」と叫んだ。
聞き入っていた私も、黒人特有のイントネーションがないわけではないが、ほとんど気にならず、言語明瞭、論旨に幅と奥行きがあり、しかも明快。articulateという形容詞がこれほどピッタリ当てはまる演説を初めて聞いた、という実感だった。
賛辞は広がる。PBSでは、保守派のコメンテーター、パット・ブキャナンが、珍しくも演説を褒めた上で、「彼はホンネを隠していたのではないか。彼が(アフガン、イラク)戦争をどう感じているか、聞きたいものだ」と言い、それを受けたデイビッド・ブルックスが、「こういうスピーチが聞けるから、党大会に出かける意味があるんだ」と応じた。
NBCニューズのアンカー、トム・ブロコウは、「この大会で、オバマとケリー、どちらがより記憶に残るのだろう」と、疑問をなげかけ、CNNのジェフ・グリーンフィールドは、「この四半世紀で最も偉大な基調演説」と断じた。
翌日の朝刊も、オバマの地元シカゴ・トリビューンが「天才だ!」と興奮したのはともかく、冷徹な論調のクリスチャン・サイエンス・モニターが、「取り上げた話題は必ずしも新しいものではなかったが、それらが、あたかも新鮮でエキサイティングなものであるように仕上げていた」と書き、保守の代表格で、民主党を褒めることなどあり得ないワシントン・タイムズまでが「新鮮で現実的な感性が出ていた」と書いた。イギリスのインディペンデントの特派員は「最初の黒人大統領に最も近い人物がコリン・パウエルからオバマに移った」と断定した。
オバマは、既に上院議員候補の予備選でイリノイ州民主党の指名を得ており、この秋の選挙で当選した。冒頭の07年2月に、そのオバマ上院議員が、大統領選に名乗りを上げたと伝えられた時、私に特別な感慨が浮かんだのは、上記のような理由による。
翌年の大統領選に向けた民主党予備選挙は、ヒラリー・クリントンとの激戦となり、後半のノースカロライナ、ケンタッキー、オレゴン各州の大勝で決着をつけた。その勢いで臨んだ本番選挙戦の相手は、海軍士官のパイロットとしてベトナム戦争に従軍中、撃墜されて北ベトナムの捕虜となり5年半拘束された経歴を持つアリゾナ州選出の共和党上院議員ジョン・マッケインだった。
オバマは、後にオバマ・ケアと呼ばれる社会保障改革や貧困層への所得移転による購買力増強などを掲げたうえに、イラク戦争からの早期撤兵を主張したのに対し、マッケインは、経済活動の活性化や、沖合油田開発の解禁と原発推進によるエネルギーコスト軽減を主張、イラク戦争については、撤兵時期を公表するのは戦略的に危険だとの立場をとった。しかし、オバマの平易なヴォキャブラリーを駆使した明快なレトリックが有権者の心をつかみ、結局、一般投票で1千万票近い大差をつけ、選挙人365人を獲得して圧勝、第44代大統領の座についたのだった。(敬称略、つづく)