よみタイム|2024年7月12日号・Vol.473デジタル版 & バックナンバーはこちら

Detail, 102:米英軍主導でフセイン退治

急造「特措法」で自衛隊派遣
米英軍主導でフセイン退治

前回につづき、イラク開戦を巡る国連の緊張感について述べる。

評価が2分した03年2月14日の査察報告から4日後、安保理の理事国でない63ヵ国が召集され、2日にわたって意見を述べた。4分の3を超える諸国が査察の継続を主張する一方、14ヵ国は新決議の採択を求めた。新決議とは、イラクが査察へのさらなる協力を拒めば、軍事行動を意味する「serious consequences=深刻な結果」を招くことを書き込んだものだ。

日本は、その中に入っていた。「査察に対するイラクの非協力的態度に鑑み、国際社会の決意ある態度を示す新しい決議の採択が望ましい」――日米同盟に強く依存する日本外交の基本方針からすれば、アメリカの意志に背く選択はなかったと言える。オーストラリア、韓国、シンガポールのほか、中南米のニカラグア、アルゼンチン、ペルー、旧ソ連のラトビア、グルジア(現ジョージア)、ウズベキスタンや東欧のアルバニアやセルビア・モンテネグロなども同調した。
アメリカ、イギリス、スペインの3ヵ国は、2月24日に新決議案を提出した。

「イラクが決議義務の履行(査察への協力的対応)を継続的に怠る場合には<深刻な結果>に直面するであろう」との文言だった。

国際平和協力活動等
イラク人道復興支援特措法に基づいた自衛隊の国際平和協力活動 Author: Rikujojieitai Boueisho、CC表示-継承3.0

これに対し、フランス、ロシア、ドイツは即座に共同メモランダムで応じ、査察が軌道に乗り始めていることなどから、査察活動の目標明確化と査察体制の強化を提案、「武力行使の準備は最後の手段とすべき」と述べ、決議の採択に反対した。

米大統領ブッシュは決議採択への忍耐を失いかけていたが、英首相トニー・ブレアは国連を通じた正当性獲得に執着して改訂案を作り、3月7日に提出した。新たに3月17日という期限を設け、それまでにイラクが「完全・無条件・即時・積極的な協力を示していると安保理が認めない限り、イラクはを捉えなかったと決定する」とした。

ドイツ、フランス、中国は明確に反対、提案国となった米英とスペイン以外ではブルガリアが賛成しただけだった。安保理周辺では、連日、各国代表が何らかの発言をして、報道陣には目の離せない展開が続いたが、米英案のような決議が採択される状況ではなかった。17日のブッシュによる「最後通牒演説」(前号既述)はこうして発せられたのである。
アメリカは、イラク戦争の開始前から国防総省に「ORHA=Office of Reconstruction and Humanitarian Assistance=復興人道支援室」という機関を設け、武力平定後のイラク統治の準備をしていたが、開戦と同時に、「CPA= Coalition Provisional Authority=連合国暫定当局」に改組していた。ここで言う「連合国」とは、米英などの呼びかけに応じて武力行使に加担した有志国である。その連合国による作戦が進んでフセイン政権が追放されると、CPAは、本部をバグダード市内にあるフセインの大統領宮殿に移し、周囲を米軍の管理下に置いてグリーン・ゾーンと呼んだ。イラク人への主権委譲後は国連多国籍軍管理のインターナショナル・ゾーンとなり、CPA解散後、宮殿はアメリカ大使館となる。

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いずれにせよ、連合国による軍事作戦が進捗してイラク全土が平定されると、国連としても黙って見ているわけには行かない。イラクの復興支援を規定した決議1483を5月22日に採択した。同決議も米英とスペインが共同提案国だったが、表決の際にシリアが退席して棄権したほかは、賛成14で反対はなかった。内容としては、CPAに占領軍としての特別の権限を承認し、当面の国内統治の実権を付与して安全で安定した状態への回復を急ぎ、イラクに対する経済制裁を解除し、イラク国民が政治的将来を自由に決定できる状態の創出を要請するとともに、全ての加盟国に復興支援活動への貢献を求めた。

これを見て、日本も動き出す。小泉政権は内政の構造改革とともに、国際貢献にも軸足を置いて緊急性の高い課題と取り組んでいた。9・11の同時多発テロ事件発生直後には、米軍によるアフガニスタン侵攻とほぼ同時の10月5日に、テロ対策特別措置法を国会に提出、同29日には成立させ、同法公布の11月2日から1週間後の9日には、海上自衛隊の艦船3隻がインド洋に向け出航、イージス艦によるレーダー支援や補給艦による各国海軍艦艇への給油など、後方支援活動を始めていた。従来の日本政府には見られないスピードであった。

イラクへの武力行使にあたっても、ブッシュから、有志国軍への参加を早い時点から要請されていた。「戦闘行為を伴う活動には憲法の制約で参加できない」と言い訳していた小泉だったが、安保理決議1483で、復興支援への貢献が求められると、腰を上げないわけに行かなくなった。

エヴィアン・サミットから帰国すると、自衛隊の現地派遣に向けた検討に入る。憲法の制約を超えて自衛隊にできることは、「戦闘が行われていない地域」での人道復興支援活動と安全確保の支援活動に限られる。法案化を急いで6月13日に衆院に提出した。「イラクにおける人道復興支援活動及び安全確保支援活動の実施に関する特別措置法案」という息切れしそうな長い名前の法案で、「イラク特措法」と通称された。6月18日で会期を終えることになっていた通常国会の会期を7月28日まで40日間延長し、特別委員会も設けて法案審議に入る。

野党は、ゲリラ戦の形でイラク軍残党などとの戦闘が随所で起きており、自衛隊が巻き込まれる恐れが大きいと追及、「非戦闘地域をどう区別するか」迫った。小泉は「どこが戦闘地域で、どこがそうでない地域かなど、私に分かるわけがない。この法律に関して言えば、自衛隊がいられるところが非戦闘地域だ」と答えた。この答弁を巡っては、「自衛隊が活動可能なら戦闘地域でない」と言う解釈になり、爾後、紛争地域に自衛隊を派遣する口実になるなどの意見が出て一時紛糾した。

激しい論戦を挟んで7月3日に特別委が可決、翌4日には衆院本会議も通った。参院では外交防衛委員会に付託、7月25日の同委可決を経て26日未明の本会議で可決成立した。

これを受けて、自衛隊のイラク派遣は、03年12月から09年2月まで行われた。

人道復興支援を任務とした陸上自衛隊は、約550人が、南部のサマーワという都市の郊外に宿営地を設けて06年7月に撤収するまで活動した。装輪装甲車をはじめブルドーザー、グレーダー、トラッククレーンなどの特殊車両を多数装備、兵器は拳銃と小銃のほか機関銃、無反動砲、携帯式対戦車弾などを携行。給水、医療、学校や道路の補修が活動の3本柱で、延べ1189万人分の給水、277回に及ぶ医療技術の支援、100ヵ所を超える学校など公共施設を復旧整備し、道路整備は延べ80キロに及んだ。5〜7ヵ月ごとの交代を挟んで多くの師団・旅団が参加した。04年7月には、行動中に武装集団と遭遇、攻撃的態度を示したため、警告射撃する一幕もあった。

航空自衛隊は、約200人がクウェートのアリ・アルサレム基地を拠点にC130輸送機で、イラク南部ナシリア近郊の飛行場との間で国連物資などの輸送活動にあたり、08年12月に活動を終えた。

海上自衛隊は、陸自の派遣時に車両70両などの部隊輸送のため、輸送艦「おおすみ」と護衛艦「むらさめ」(乗員計330人)を派遣した。(敬称略、つづく)

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