惨敗の“主犯”はバイデン

(Allison Shelley/Biden For President)
バイデンの政権運営における失策は、内政よりむしろ対外政策に色濃く出ていたと思える。
まずアフガニスタンからの米軍撤退のお粗末。バイデンは、就任前年の20年2月に第1期トランプ政権がイスラム主義組織タリバンと和平合意(ドーハ合意)していたのを受け、就任から間もない21年4月に8月末までの「完全撤退」を表明。撤退期限の半月前にタリバンが首都カブールを制圧し、国内の混乱が広がっていたにもかかわらず、予定通り8月30日までに撤退を完了した。政権を掌握したタリバンの下では、女性の権利抑圧や食料危機の深刻化、テロ続発といった混乱が続き、安定とはほど遠い状況がつのっており、9・11同時テロ攻撃直後に米軍が侵攻してタリバンを追い出し、民主的な政権を樹立した意味が完全に失われている。20年間の戦争に2・3兆ドルの戦費を費やし、7千人を超す戦死者を出したアメリカという国家の犠牲も意味を失った。
トランプ政権が結んだ合意文書には、タリバンに拘束されたアフガン軍兵士1000人の解放と引き換えに、アフガン政府が刑務所に収監した5000人のタリバン戦闘員らを釈放するという不条理な条項もあった。当時アフガン大統領だったアシュラフ・ガニーは「統治に危険をもたらす」と交換に消極的だったが、ドーハ合意を盾にしたタリバンの圧力に耐えきれず、20年8月に戦闘員らを釈放した。国連安保理のアフガン監視チームによれば、釈放後、戦線に戻った者が720人、うち24人はタリバンが指名する地区の「影の統治者」になった――とされる。こういった経過を見れば、バイデンによる米軍撤退は「拙速」としか言いようがない。
アフガンだけではない。ウクライナやパレスティナで起きている戦争について、バイデンは何をしたか。何もしていないのと同じこと、否、何もしていないよりもっと悪い。
ウクライナでは、ロシアが侵攻する一ヵ月以上も前から、「ロシアがやるぞやるぞ」と大仰に騒いでいたが、対策らしい対策は何も打たなかった。開戦後は、欧州のNATO同盟国とともに、ウクライナへの軍事・経済援助を始めたが、兵站では最悪とされる逐次支援を重ね、ウクライナが本当に必要とする兵器の供給では常に後手を踏んで、ウクライナの抗戦意欲を削ぐことを繰り返した。なぜ? と言えば、この期に及んでもなお、ロシアのプーチンに気を遣って判断が揺れ続けたのである。自らの施策に確信を持てない政治家とは、こんなものである。
パレスティナでは、明らかに戦争犯罪としか思えない大量殺戮を続けるイスラエルの首相ネタニヤフをたしなめるどころか、軍事援助を強化するなど支持する姿勢をとり続けた。安保理の停戦勧告決議にもアメリカ1国だけが反対して拒否権を行使する場面があった。ロシアの侵略を非難しながら、イスラエルの過剰な攻撃は支援するdouble standardに対し、国際社会から強い非難を受けた。アメリカの威信を地に落としたと言っても過言ではない。
しかも、ウクライナとイスラエルを支援するために巨額の国費を使っている。これでは、多くの有権者が見限るのも無理はない。選挙後になって、ヒズボラとの60日間停戦をイスラエルに呑ませたが、遅すぎたのである。
民主党はバイデン政権の失政によって支持を失い、「トランプには投票したくない」と考えていた有権者の票まで大量に失ったのであった。〝主犯はバイデン〟と決めつける所以である。
そもそも、バイデンという政治家は大統領になる器ではなかった。上院議員を6期36年、副大統領を2期8年務めたといえば、立派な経歴に聞こえるが、残した業績には見るべきものが無い。上院6期というが、彼の出身州はデラウエア、全米で6番目に人口が少ない小さな州である。一度議席を手にすれば、反対候補が出にくい土壌だった。しかも、その議員時代に「バイデン法」と呼ばれる法律を書いた話も聞かない。副大統領としては、バラク・オバマという初の黒人大統領、しかも個性豊かな政策を相次いで実施した政権の中で、無難に存在しただけに過ぎない。彼の主導した政策として、記憶に残るものは一つも無い。
さらに、今年82歳という高齢である。任期の終わりには86歳だ。こういう人物を党の大統領候補としてかつぎ上げることに何の不合理も感じなかった民主党の有力者たちも、むろん非難されるべきだ。7月の末にもなって、やっと差し替えに乗り出した鈍感さには怒りさえ覚えた。
ジョージタウン大学の政治学教授サム・ポトリッキオは「民主党敗北の根本原因は、現実に目を向けない高慢なエリートの党というブランドだ。私が生まれてからずっと、民主党の大統領候補は民間企業の経験がない学者や弁護士、キャリア政治家だった」と慨嘆した。
民主党は負けるべくして負けたのであった。
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人格に疑問、トランプ

さて大統領に復帰するトランプ。選挙中トランプは、政敵を「中国やロシアより危険な内なる敵」と呼び「軍隊が対処できる」とまで踏み込んだ。この選挙戦を通じて、アメリカ国内の分断・対立が常に指摘されたが、トランプは自ら対立を作り出し、それを膨らませることで政治家としての地歩を築いてきた。共和対民主、都市対地方、高学歴対低学歴、保守対リベラル、金持ち対貧乏人……左右・上下さまざまな対立をあおった上で、既得権益とエリートへの憎しみへと転化させ、それを最大限に活用した。憎しみの対象を民主党に向けたのである。分断と対立なしにトランプという政治家は存在し得なかった。
それにしても、トランプという人物は大統領となる人格要件を満たしているのだろうか。
今年の選挙戦の早い時期には、バイデンとの対決を「oldman and rogue」と描写された。「老いぼれ対ならずもの」ということだ。
トランプは、不倫の口止め料を不正に処理した事件をはじめ、機密文書のもちだし、20年大統領選の開票干渉、21年1月の議会占拠扇動……と4つの刑事事件で起訴され、うち1件では有罪評決を受けていた。「いた」と過去形にしたのは、1期目のトランプが指名した保守派判事のお陰で、連邦最高裁が現職大統領への広範な免責を認めたことで、2期目任期の4年間は刑事裁判が進行しないことになったからだ。しかし、4件もの刑事被告人になっていれば、常識的には立派な「ならずもの」である。
「不動産王」と呼ばれることがある。「立派なビジネスマン」という人もいる。が、1980年代から、同じニューヨークに住んで、トランプのビジネスを見るともなく見てきた私には、「立派なビジネスマン」という評価には、どうしても行き着けない。トランプに比較的近かった人から聞いた話だが、「彼のビジネス手法は、まず弱い取引相手を探すことに始まり、交渉が始まると、その弱点を徹底的に突いて、自分に有利な取引条件を作り出す――それができなければ取引は御破算だ。弱い相手の中には、不動産を売ろうとする側に、売りたい、売りたくない、の両派が混在しているケースが多い。トランプは、この対立に介入して話をこじらせ、結果的に自分に有利な解決策に導く、という手法をよく使っていた」と話していた。この頃から「対立」を利用していたのである。
ビジネスだから、時にうまく行かないこともあり、chapter11と呼ばれる連邦破産法にすがることもある。トランプは私の知る限りで少なくとも6回、この破産法行きを経験している。破産というのは、取引先をはじめ金融機関から投資家に至るまで、広範囲の人々に迷惑をかける行為である。本来、真っ当なビジネスには起こり得ない。それを、これほどの頻度で繰り返してきたトランプが「立派なビジネスマン」と言えるか?
20年選挙で落選後、自宅として使い、今は政権移行手続きの本丸となっているフロリダの大邸宅マール・ア・ラゴ買収の経緯にもトランプの人格が色濃く出ている。
ここはマージョリー・メリウェザー・ポストという富豪女性(ゼネラルフーズ創業者一族)の持ち物だったが、1973年に逝去した際、冬のホワイトハウスとして連邦政府に遺贈した。しかし政府は、年間百万ドルを超す維持費に音を上げ、80年に、国定歴史建造物に指定する代わりにポストの娘に返還した。そこから売却話が始まり、最初の提示価格は2800万ドルだった。
ここで登場したトランプは、建物の老朽化や敷地内の整備不足、造園上の欠陥など、考えられる限りの値引き要因をあげつらって交渉を長引かせた。85年になって、最後は交渉の長期化から生じる経済的負担に耐えられなくなった売主が「投げ売り」の形で、建造物500万ドルと、邸内にあった家具、美術品など300万ドル、計800万ドルという破格の安値で売却したとされる。
これがビジネスマンとしてのトランプの実像の一端である。
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