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田畑智子「お引っ越し」

第17回「ジャパン・カッツ」
「お引っ越し」田畑智子

「今の私、もっと頑張れ!」

1993年、ひこ田中の小説を映画化した「お引っ越し」。田畑智子のデビュー作で、監督は相米慎二。公開から30周年の2023年には、デジタルリマスター版がヴェネチア国際映画祭のクラシック部門で上映され、最優秀復元映画賞を受賞した。

離婚を前提に別居する両親を持つ11歳の少女の心の葛藤と成長を、周囲の人たちとの交流を通じ描いたドラマ。主役の漆場(うるしば)レンコを、当時13歳の田畑智子が好演した。

田畑智子
ジャパンソサエティーのレッドカーペットに登場した田畑智子(Photo © Stefanie Candelario)
劇場で観るのは久しぶり

実を言うと、観るのは公開から今日で3回目なんです。デビュー作で思い入れがありすぎて、自然と涙が溢れ、ずっと泣きながら観ていました。素晴らしい作品に出させて頂いたんだなぁ、って思いながら。改めて相米監督との出会いに感謝しています。初心に帰ると言いますか、今改めて「お仕事頑張っていこう」と思いました。 

出演することになった経緯

相米監督は京都でオーディションをやられていたそうなんです。祇園の料亭に食事に行かれた際に、「小学高5、6年生の女の子をご存知ありませんか?」と、そのお店の女将さんに聞いていたそうなんです。私の実家も祇園で料亭を営んでいるのですが、その女将さんが「田畑さんのところは娘さんが2人いらっしゃいますよ」と伝えたということで、後日、監督が私の実家に訪ねて来られました。

当時は相米監督のことは全く知りませんでしたし、「誰だろうこのおじさん」ぐらいに思っていました。

それで、「ちょっと走ってみて」って言われて、気がつけばオーディションでした。最終の5人に残り、東京に行き、最終選考を経て選ばれました。それが監督との出会いです。

撮影の思い出

撮影は全編、京都と滋賀で行いました。京都は地元ですが、1ヵ月半、家に戻らず合宿生活。女性の助監督さんと共同生活を送り、家には帰らせてもらえず、ずっと現場でした。小学校6年生の夏休みは撮影だったのですが、本当にいろいろ経験させてもらった濃密な1ヵ月半だと思います。

今、映画を見て、「わたしってこんな表情してたんだ」というのが率直な感想。私は2児の母親なので、自分の子どもを見てるようで、思わず涙が溢れてきました。「わたし頑張ってたんだな」と思います。

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映画出演について両親の理解

祇園で料亭を営んでいたことから、店には芸能界の方々や歌舞伎の方々がよくいらしてました。土地柄、芸事を嗜むことは当たり前みたいな部分もありましたし、両親や祖母は「智子がやりたいんならやりなさい」と理解してくれました。その代わり、「やるなら最後までやりなさい」ときつく言われていました。

とはいえ、何回も「やめたい」と思ったこともありましたが、両親らの教えを守り続けていました。

地元での撮影に、両親はよく観に来ていました。エンドロールのところで、中学に上がった私が男性とすれ違うシーンがあり、あれは実父なんです。背中が映っただけですが(笑)。

映画を通して観た自身の演技

前半は言われるがまま、指導されるままに演技していたと思います。でも後半は、生意気ながらも「ちょっとこうしたいな、ああしたいな」と言う思いが芽生えていました。母(桜田淳子)と会話のシーンでは、自分の思いを入れてみました。その他にももう1ヵ所あったはずなんですが、そこは映画に無かったので、カットされたんですね(笑)

田畑智子
上映後、質疑応答に応じる田畑智子(左)(Photo © Stefanie Candelario)
監督が盛り込んだユーモア

漆場レンコが通っている学校の先生(笑福亭鶴瓶)が、キメコメ先生って言うのですが、その名前は「相米の字をばらばらにして木目米」としたそうです。

実は今、初めて気がついたことがあるのですが、これは偶然かどうか不明ですが、父(中井貴一)のオートバイのナンバーが私の誕生日でびっくり!ユーモアのセンスがある監督さんですので、きっとそうなのでは、と思ってます。

小学6年でデビューして

実は、人前に出れない恥ずかしがり屋でしたので「まさか、まさか!」の連続でした。ですが、撮影終了まで約半年あり、だんだん「わたしにも居場所が有るんだ。私の存在を認めてもらう場所が有ったんだ」と思えるようになりました。

この映画で数々の賞も頂きました。相米監督は撮影中は私のことを「ガキんちょ」「娘っ子」という呼び、名前で呼んでもらえなかったのですが、キネマ旬報の新人賞を頂いた時に初めて「田畑くん、よく頑張ったね」って言って下さったんです。やっと認めてもらえたんだ!って嬉しく思いました。

初公開から30年、ニューヨークで初上映

ちょっとへんな気持ちですね。私が演じているのですが、私じゃないような(笑)。30年間、この仕事を続けるとは、当時の「私」は思っていませんでした。今になって、ようやくこの仕事のすごさ、重要さ、楽しさがわかってきたように思っています。でも30年経った今の私は、いろんな経験を経て、あの時と比べると自然に演技が出来ていないよう気がしています。改めて、当時の自分を観て「いいお芝居してたんだな」と思い、「今の私、もっと頑張れ!」と思っています。これからもこの映画、経験を糧にして、頑張りたい。

田畑智子

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