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2025年5月30日掲載|11
東日本大震災が突きつけた原発災害
信頼失墜の東電、迷走する補償
2011年3月11日、金曜日だった。午後2時46分、自宅リビングのアームチェアに座っていて突然ユサユサと揺れを感じた。揺れている時間が長い。室内の家具調度が動くことはなかったが、「これは大きな地震だ」と直感した。
NHKテレビが「大地震」の第1報に続いて、「津波警報」を伝え、民放も含めて地震報道一色の編成となる。私の住む名古屋市千種区は「震度4」とされた。これが東日本大震災の実体験だった。

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震源は宮城県牡鹿半島の東南東沖130キロ、地震の規模はマグニチュード9・0、最大震度は宮城県栗原市の震度7をはじめ、宮城、福島、茨城、栃木各県にわたる広大な地域で震度6強、東京、横浜でも震度5強の揺れで、観測史上最大とされた。
地震による火災も各地で起きたが、地震直後の大津波で被害は大きく広がり、東北地方を中心とする12都道県で死者・行方不明は合わせて2万2325人。政府が算出した震災による直接被害額は16〜25兆円と推定され、世界銀行は史上1位の自然災害による経済損失とした。
特に被害を大きくしたのは、福島県浜通りの双葉町、大熊町にあった東京電力の福島第一原子力発電所が壊滅的な被害を受け、原子炉の「炉心溶融」という最悪の事態を招いたことだった。
同原発は1971年3月に1号機が運転を開始した東電最初の原発コンプレックスである。原子炉は全て沸騰水型で、当時、4〜6号機が定期検査に入っており、1〜3号機が運転中だった。3機の原子炉は地震の振動で自動的に制御棒が挿入され緊急停止。外部電源を供給していた東北電力の送電線が断線・ショートするなどして停電、発電所の地下に設置されていた非常用のディーゼル発電機が起動した。しかし、約50分後、高さ13メートルを超す大津波に襲われ、大量の海水が侵入して発電設備、ポンプ、燃料タンク、非常用バッテリーなどが損傷・流出し、全電源喪失に至る。
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東京電力は、原子炉の電圧と合う電源車を待機させるなどフェイルセーフとしての電源供給の手段を持たなかった。これにより、ポンプが稼働できなくなり、原子炉内部と使用済み核燃料プールへの冷却水の注入が不可能となった。核燃料は運転を停止した後も膨大な熱を発するため、注水が止まれば原子炉の中は空焚き状態となり、核燃料が自らの熱で溶融を始める。溶けた核燃料は圧力容器の底に落ちて炉心溶融という、国際原子力事象評価尺度で元も深刻な「レベル7」の事態を招き、さらに溶け落ちた燃料集合体の高熱で圧力容器の底にも穴があき、制御棒挿入部の穴などの隙間も伝って溶解燃料の一部が圧力容器の外側を囲う格納容器にも漏れ出すメルトスルーという現象も招来した。
原発建屋の内部では、大量の水素が発生、1、3号機のほか、3号機のガスが非常用ガス処理用配管を通じて定期検査中の4号機にも広がって3棟の原子炉建屋で水素爆発が起き、建屋本体はじめ周辺施設を大破させた。大気中はもとより、土壌、海洋、地下水などに大量の放射性物質が放出される、史上最悪の大規模事故となった。(次ページへ続く)