▷西暦1600年代
まずはオランダ人、それをイギリス人が奪い…

さあこの辺からニューヨーク市の歴史が始まる。
1609年、オランダの東インド会社からやってきたのはヘンリー・ハドソン。その後、欧州の毛皮商人らがこの地に出入りし始め、「ニューアムステルダム」=写真②=と呼ばれるようになり、2年後、オランダ西インド会社がここに貿易拠点を作り入植が始まる。後にニューヨークの生みの親とも言われるピーター・ミヌイットが、ニューアムステルダムの「ディレクター・ジェネラル」に任命されると、レナペ族から今のマンハッタンを60ギルダー分の物品(今の貨幣価値で7ドルとも24ドルとも1000ドルとも言われ、かなり曖昧)で買い取ったのが1624年だ=写真③=。
ところが1664年にはイギリスが攻め入り、この地(今のマンハッタン)をオランダ人から奪い、「ニューヨーク」と改名する。マンハッタンを追われたオランダ人入植者らはその後、現在のブルックリン、クイーンズに移住し、貿易拠点を作り始めたという。

(Michael Fredricks, 1909)
▷西暦1700年代
イギリスからの独立
アメリカ新大陸のイギリス領が、本国からの独立を求めたのが18世紀だ。
1775年、米北東部沿岸のイギリス領13植民地と、イギリス本国との間で独立戦争が勃発。米国が1776年7月4日に独立宣言に署名すると戦争は激化するが、1783年9月3日、植民地軍の勝利で終結となる。
ニューヨーク市は1790年、合衆国初の首都になったが、わずか7年後にフィラデルフィアが新首都に。現代の大リーグ野球で、ニューヨークとフィラデルフィアのライバル関係が凄まじいが、あれはこの辺りにも起源があるのかもしれない。
この間、ニューヨーク市はタバコや綿、酒類などの貿易拠点として栄え、1792年には証券取引所が創設され、マンハッタンの金融システムが構築された。


1700年代
忠臣蔵
1702年12月14日、47人の赤穂浪士が吉良邸に討ち入りした赤穂事件が発生した。
歌川国輝「仮名手本忠臣蔵三段目」
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▷西暦1800年代
進む都市計画、押し寄せる移民

(右)⑤エドワード・モランが描いた自由の女神の除幕式の様子。像を観ようを何千人もの観客がボートで集まった(Edward Moran, 1886)
19世紀は、マンハッタンの都市計画が進んだ時代。市初の歴史博物館が創設されたのも1804年だ。1811年にはいわゆる「碁盤の目都市計画」=写真④=が始まる。1817年にはハドソン川とエリー湖を結ぶ運河の建設も始まり、この世紀半ばにニューヨーク市は全米随一の貿易港となる。市内で初の馬車によるストリートカーが運行したのが1839年だ。
ニューヨーク市の産業革命期は1865年から1900年代初頭にかけて。市内一帯に工場地帯が林立したのもこの時期だ。それによって労働力が必要になると、新天地を求めて欧州から移民が押し寄せるようになる。フランスから自由の女神が贈られたのが1885年(完成86年)=写真⑤=。世界中から「自由の象徴」と目され、さらに移民を後押し。1892年にはエリス島に移民局が作られた。


1800年代
黒船来航
マシュー・ペリー率いる「黒船来航」(1853年)、日本近代史上最大の内戦「戊辰戦争」(1868年)、江戸幕府が朝廷に政権を変換した「大政奉還」(1867年)を経て、1868年、明治天皇即位。「江戸」を「東京」と改めた。
明治天皇・1873年(明治6年)内田九一撮影
(次ページへ続く:西暦1900年代 近代化の20世紀、摩天楼の誕生、地下鉄開通)
