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よみタイムVol.127 2009年12月25日発行号

 [其の37]

コリオグラファー・中馬芳子
衰えぬ団塊世代のパワー
世界の不条理に光あてたい

 大小のスクリーンが入り組んで設置されている。片側にのびた会議用の長いテーブル。古い教会をそのまま使ったパフォーマンス・スペースで、その夜、不思議なイベントが行われた。
 中馬芳子と「スクール・オブ・ハードノックス」による『ページ・アウト・オブ・オーダー/ルーマニア・ア・シネマ』。
 スクリーンに映し出されるのは、さまざまな角度から撮影したルーマニアのどこかの街並、モノクロのくすんだ風景、そして長いテーブルに沿ってずらりと並ぶ黒ずくめの男女。あるいは、違う服を着ている人もいたかもしれない。皆、厳めしく、緊急の会議のような緊張感がみなぎっている。
 突然、誰かが大声でしゃべり出す。それに反応して向かい側の椅子に座っている女が何かを読み上げる。離れた所にいるセーターを着た男が、まったく別なことをまくしたてる。英語ではない言葉は、理解できない。しかし、漂う緊迫感が、観客を引き込み、騒音、音楽、暗転、ライト、会場をフルにつかったダンス
的動きは始まる。演劇的要素をふんだんにまき散らしながら、ルーマニア人を主体にしたこの公演は進行していった。
 クリエーターでコリオグラプァーの中馬芳子は、ハイライトの場面でトレードマークの脚の動きをしている。
 「中馬芳子は、ダンサーだと思っていたけれど、あまり踊らないですね」。一瞬、うーんと、考え込む表情になって「まあ、私はコリオグラファーだから…」と中馬は呟いた。
 中馬芳子の主宰するパフォーマンス・グループ「スクール・オブ・ハードノックス」の公演の中身は、確かに、ダンスという身体の動きにこだわっていたころとは、全くといっていいほど変ってきている。むしろ演劇に近い。
 グループの構成メンバーも、公演のたびに異なる。今回もルーマニア人主体で構成されていた。つまり、彼女の行動範囲、興味の移動で、自在に変るグループである。自らを既成の枠からはずそうとしている。
 「私は、ものを言わない人たち、言えない人たちの代弁者になりたい。世界中のありとあらゆる所にある不条理に光をあてたい。そのために、どんな手段があるか、現地の当事者とも話し合い、一緒に行動したい」。
 芝居やダンス以前に、社会的問題意識があった。それが、創造力の源となっていることが分かる。
 中馬芳子が金沢大学に入ったのは69年。ベ平連が反戦活動をし、学生運動で安田講堂が占拠されて東大の入学が中止になり、佐世保に原水艦が入り、ウーマンリブが起こり、安保闘争、キング牧師暗殺があった。歴史的な激動の年だった。
 しかも小学校のひとクラスに56人がいたベビーブーム世代。小学校4年
の時の60年安保反対運動も知っている。学校では、新しい教育の実験で、脚本を書いたりもした。その中で、中馬芳子の問題意識が育った。そして、76年にニューヨークに来て、この街特有の自由さと溶け合い、今の表現に行き着いた。
 「私たちの世代特有の意識かもしれないけど、それが何をしても自然とはたらくんですね」
 これまで訪れた国は、第二次大戦で日本軍が敗退したインドのマニプール(インパール)マケドニア、スロバキア、ルーマニア、アルバニア、コソボ、ロシア、バルト三国、ポーランド、パレスチナなど。その街角から、そこに住む人たちの居間から、世界の問題、人間の問題をみつけ、当事者を巻き込んだパフォーマンスの感動力で世界に訴えたいというその情熱こそ、この世代の底力なのだろう。
 団塊世代のパワーは、衰えていない。