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よみタイムVol.118 2009年8月7日発行号

 [其の33]

戦後世代の足跡を印す画家・川島 猛

仕事に関して孤独を貫く
年輪を重ねた生命力

 イサムノグチや流征之などがすぐれた巨大な石彫作品を制作した四国の高松で、今年9月開催される「石彫トリエンナーレ」に、同地出身のニューヨークに住む川島猛が招かれて、故郷の町にモニュメントを造る。
 ニューヨーク近代美術館のカレンダーには、コレクションの作家名が、それぞれの誕生日の日付に書き込まれている。
 1979年のものには、セザンヌやポロックなどに混じって川島猛の名があった。それを見て、ビデオ作家のナムジュン・パイクが「そこは墓場だ」と言ったので、川島はぐっと気をひきしめて、このことをあまり人に言わないでいる。
 アーティストにとって、評価されることはうれしいし、自信にもつながる。しかし、心のどこかに「これでよし」という気持が生まれれば、後は下り坂だというパイクの表現は、川島にもよく分かった。
 川島の作品は一貫して途切れずに永遠に繋がり、その上、平面にも空間にも拡大し続けるしかないベクトルを持っている。少しでもエネルギーを失うわけにはいかない。いわば、永遠のアラベスクだ。
 川島はグループで芸術活動をしない。人あたりがよく、友人を大切にし、サービス精神は旺盛なのに、仕事に関しては孤独を貫く。
 「根が真面目なので、しかたがない」と、言う。
 高松市の郊外の農家の長男に生まれた川島は、生まれた時から戦争の時代だった。小、中、高と学校へ行っても農作業や工場の軽作業ばかり。その学校もやがて空襲で丸焼けになった。絵が好きなどと言っても通じない。機械を学べば整備の仕事につけるから、兵隊にとられても戦死しないだろうとの親心から、工業高校に進んだ。
 高松市はまる焼けになり、学校も焼け、倉庫が教室になる。すべては勝利のため、我慢。 だが、終戦の日を境に、昨日まで万世一系などと軍国主義を教えていた学校の教師が、今日は一変して民主主義を説く。15歳の川島少年にとって、人生で初めての大きな裏切りの体験だった。
 感受性の強い時期に受けた衝撃で、思想的に左傾し、民青((民主青年同盟)に加わったりしたが、理想を共有するはずの同志が、私生活ではだらしなかったりすることもあって、ここでも失望する。結局、一人で探究するしかない。孤独な分、人にはやさしい。その代り、意思は強い。
 60年代初めの新しい日本の芸術運動のきざしを感じて、高松から東京へ、そこで武蔵野美大で学び、日本アンデパンダン展などに出品しているうちに、どうしてもニューヨークへ行きたくなり、美大を中退し、まだ海外渡航が自由化されていなかった63年、苦労もし、人の好意も裏切りも受けて望みを果たした。ひたすらそうしたい、という強い意思の勝利だった。
 日本の紋様を思わせるような、さまざまな抽象的なシンプルなフォルムが、いくつも続く川島の作品に初めて接したときのことを、よく覚えている。広いスタジオの中に置かれたその色鮮やかな形は、どれもどこかで見たことのあるような懐かしい感じがした。記憶の奥底にある、湿った暗い秘密の場所。鮮やかな色は、気恥ずかしいほど官能的で、見てはいけないもののようだった。
 次には、これがレリーフのような立体になり、もっと寂びて、南方の人里離れた草むらの葉に被われていたのを掘り起こして来たように見える。
 もっと立体になると、表面はもっと磨かれて無機的に見える。しかしそれにナイフを入れると、赤い血が噴き出すような気がする。血どころか、彼の人生のエッセンスが詰まっているようではないか。組み合ったフォルム同士は、合鍵のように呼吸が合って、柔らかなブレイクダンスのように思える。陰と陽の組み合わせは、美と気の発生源である。これが郷里の街を飾れば、街のエネルギーを生む。
 これらが、川島のこれまで貫いたライフスタイルのような気がしてならない。誰の人生も平たんではない。川島はなにもいわないが、こうして、さまざまな障害と正面から取り組み、合気道の先生のように、上手に美しいフォームで相手を倒してきたのではないかと思ったりする。
 自分の人生をぎっしり収めた、かくも何気なく、抽象的な美しいフォルムは、コンピューターで作り出した抽象的フォルムとは全く違う。村の道のお地蔵さんのように無言で、苔むした土にどんと腰をすえ、内なる年輪を増々リッチに重ねていく生命力を感じさせる。
 戦後世代の強い生き方のサンプルとして、考えている。