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よみタイムVol.116 2009年7月3日発行号

 [其の32]

民主化挑戦の映像作家・中川伊希

息子の手応(テオ)と中川伊希
みんなで作り出す映画目指したい

 立って座って、歩いて走って、倒れて起きて、跳んで蹴って、人間の身体には無数の表情が備わっている。そして叫び、笑い、呻き、泣き、意志伝達にもたくさんの手段がある。
 道具を発明し、それで身体の機能を代用させるようになってから、人間はすこしずつ怠け者になり、身体をなるべく使わなくなった。ダンスは、そうして退化した人間の
機能を取り戻す、すばらしい実験かもしれない。ダンサーは、日常使わなくなった身体の動きを再発見しようとする過程でトータルな人間研究に辿り着く。
 中川伊希がモリー・デーヴィスと共同演出した、9つのスクリーンを使ったビデオ・インスタレーション『Tradition Innovation Exchange』を、これは映像による文化人類学のフィールドワークだと思いながら見た(6月4日、バリシュニコフセンターで)。
 日常生活の中にモダンダンスの動きを探そうと試みるアメリカ人のダンサー、日本の生活様式を強調しながら発達した舞踏、自然崇拝に根ざしたインドネシアの奉納のダ
ンス。暗闇の空間にそれらが同時にサウンド入りで上映されると、そこは、地球をまたいだ人間たちの個性的な集団同士のダイナミックなパーティーの場になるのだった。
 条件の違いで異なる言語、生活様式をもつ異文化人同士でも、身体の表現に関するかぎり人間みな同じ家族である。
 映画メディアが特殊な作家だけの専有である時代は終った。技術の進歩で、だれもが映像作家である。中川伊希は、こういう時代の作家だ。
 「私にとっては、自分の映画が完成したというより、メディアを通していろいろな人と出会ったり、関係が変わったり、イベントが起こったりすることの方が大事です」NYUで映画を、MITでパブリックアートを学んでいた中川伊希のイベントに初めて参加したのは、もう20年以上前だ。ダウンタウンにある自転車屋の店の前で、手持ちのビデオカメラで集まった子どもたちを撮影しては店先にとりつけたモニターで上映し、自分の姿を見た子どもたちが大喜びしていた。その後も、時々、公園などで、そういうイベントをしていた。
 「いろんな人間と関わって何かを創り出していくって、すばらしいですよね。何ができあがるか、そのプロセスを見ながら考えます。それが私のメソッドです」。
 父の中川邦彦氏は、哲学的な独特のキャラクターをもった映画作家で、日本の実験映画の草分けのひとり。伊希さんは子どものころ、父親のカメラの前で演技したりして映画とともに育ち、小学校6年の時には、スーパー8のカメラを持ち、友人や学校の行事を記録していた。カメラを通して社会と関わることで自分と世界との関係を客観的に見ることができた。その原体験が、今の映画作りの基礎になっているという。
 「今、進行中のプロジェクトは、高校生たちに自由に映画を作らせ、それを考えさせる実験です。高校生が自分の発想で映画を作るようになるということそのことが、私の仕事」と話す。
 メディアの変化は、その使い方もますます多様なものにしている。中川伊希が目指すのは、自分が作る「私の」映画ではない。みんなが作り、だれのものだかわからない
映画。
 カメラは外の世界を写し、そのイメージが世界中に増殖する。映像は写し手個人のもの(作品)ではなく、もっと独り歩きして人を変え、関係を変え、世界を変える。新しいメディア革命が迫っているような気がする。
 野の草たちにカメラを持たせ、100万の花をさかせよう。