NY近郊ゴルフ場ガイド
[其の22]
森健次郎さんが亡くなったという知らせは、まったく晴天の霹靂だった。まだ60歳にならない若さだった。 彼に初めて会ったのは、90年代の始め、コンピューター実用化時代の到来が話題のころで、世の中はコンピューター技術者の黄金時代。学生たちは競ってコンピューターサイエンスを専攻し、未来をIT技術に託していた。 ITをビジネス化した会社「メディアジャパン」を設立したのは、89年。セントラルパークの中にあるレストラン「タバーン・オン・ザ・グリーン」で開催された設立パーティーの、無数のイルミネーションの渦の中で、上気した森さんは「ITこそがこれからの時代のビジネスを創造するのです」という主旨のスピーチをくり返していた。 「デパートは今建物の形をしていますが、やがてITの中にその形を消していくでしょう。建物がなくなるので、店を開くのにまったくカネがかかりません」 森さんの連発する「IT」という言葉は、当時の日本の首相に「イット」と発音されるほど「普通人」には意味不明だった。コンピューターなどまだまだ自分の手の届く範囲にはないと思われていた。パーソナルコンピューターが普及し、パソコンと呼ばれて馴染まれるまでには。まだ多少の時間がかかった。 「もう原稿作成や校正はコンピューターの画面の上で自由にできます。レイアウトも専門のソフトがあるので、今までのように文字を数えて組んでいかなくてもいいので す。写真も自由に入れられます。紙や鉛筆は机の上からなくなります」と、意気揚々として言った。 オフィスは不況ですっかりさびれたダウンタウンの空家に近いビルの中にあった。 「このビルにはインターネット用のインフラがしっかり設備されていて、プラグすればすぐコンピューターが立ち上がるようになっているんですよ。今はまだ使う人が少ないので、1年間は家賃なしで借りられます。いずれ全ビルがITビジネスになりますよ」。 やがて彼の予言の通り、編集の世界も、手書き原稿やワープロの時代からせかされるようにコンピューター時代に移り、紙と鉛筆をキーボードに置き換えて、IT技術の修得という課題と取り組まなければならなくなった。 森さんは自分のインターネットビジネスを発展させると同時に、ますますIT関連のノウハウや情報の発信に熱心になっていった。今彼の仕事を考えると、まず、たえま ない技術の進歩の情報と同時にそのソフト面での彼らしいユニークなアイディアがいっぱいだ。暮らしやビジネスをどうIT化できるかを、楽しんでいる森さんが見える。 しかし、IT技術者は、ドライで技術しか考えない新人類のように私には思えていた。 原稿に赤字を入れ、ライターに会ってむだ話をし、その度になんかしら少しは賢くなって育ってきた昔の編集者たちは、能率よりも仕事そのものを愛していた。だから、 IT化されるほど仕事が味気なくなった。便利にはなったが、ファックスでは筆者の声も聞こえず、ましてやEメールでは…。 しかし、それは前世代のグチというものだろう。この時代をいち早く予言して、対処法を教えたのが森さんだった。 スポーツや読書を好み、コンサート通いをし、旅行好きだった彼のポジティブな行動力は目玉と手だけが発達したETのような宇宙人とは違う。あとの世代は、彼のその バランス感覚を見習うべきだろう。仕事人間は過去の人だと。 森健次郎(49〜08)は、EBPass社およびメディアジャパン社社長、JAF(NY日系IT業界団体)発起人、副会長、ABPS(米国における日系中小企業支援アライアンス)会員。享年59歳。