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 よみタイムについて
 
よみタイムVol.75 10月19日発行号

 [其の12]


ビデオ彫刻家・久保田茂子
亡き夫、ナムジュン・パイク偲んで
4次元の世界、ビデオアートで描く


作品の前の久保田茂子 (Photo by:Sue Kim)

キッチンでシゲコの演奏を助手をするナムジュン・パイクと (1974年、Photo by Tom Haar)

 展示会場に入ると、無数のナム・ジュン・パイクが迎えてくれた。20世紀のテクノロジー、ビデオを最初にアートにし、ビデオアートの父と呼ばれるパイクが亡くなって1年7か月になる。
 これは、10年間つきっきりで介護した夫のパイクに先立たれ、今アーティストとしての自分を取り戻したばかりの久保田成子の、亡き夫への切ないオマージュである。彼女とパイクが実生活だけでなく、アーティストとして一心同体に結びついていたという事実が証明されたようで、強烈に印象的だ。
 パイクが13歳の時に作曲したという、後年の激しい音楽からは想像できないような優しい音色の音楽が流れている。
 ワイアで編み上げた等身大のパイク像。壁いっぱいにしつらえられたステージの前に立っているのは、複数のモニターの内臓を組み込まれ、赤い光を背に受けて、左手 に赤いバイオリンを、右手に仏像の頭部を掲げて、いまにもパフォーマンスをはじめる気配のパイク像。
 バイオリンを叩き壊すパイクの名作「One for Violin Solo」と座禅する仏像の名作「TV-Buddha」の同時再現である。
 いたるところにあるパイクの動くイメージ。愉快な小便小僧の姿のパイク、ワイアの活け花の枝に咲いているモニターの花の中で笑うパイク。抽象的な映像もある。どれもがいかにもパイクを彷佛させるイメージばかりだ。
 床の上に置かれた網状の半円形の立体に組み込まれた複数のモニターに現われるのは、パイクの母国韓国を訪れた時の記念映像。ピラミッドのように不定形な三角形が、風化した遺蹟のようにランダムに組み合わされたり、レリーフのように壁面に浮かんだりしている。どの立体にも、大小さまざまなビデオモニターが組み込まれ、さまざまなパイクのイメージを、自由な方向へ放映している。
 あちこちを向いて散在する大小さまざまなモニターの中で過去の時間を現在進行形に変換させるテクノロジーのトリックで、ここでの空間は三次元の空間を越えた四次元の世界だ。時間を越えて死者もまた生き還る。
    ◇
 シゲコとナムジュンの出会いは60年代の前半、ニューヨークで、ジョージ・マチューナスやオノ・ヨーコを中心に始まった前衛芸術集団フルクサスの活動にひかれ、64年に渡米したシゲコは、フィルムメーカーのジョナス・メカスなど、激しくラディカルな反体制のアーティストたちとすぐに意気投合し、芸術活動を始めた。
 当時、ハプニングと呼ばれた路上でのパフォーマンスもやった。ほんとに刺激的時代だった。なかでもパイクはもっともラディカルなアーティストの一人だった。
 チェリストのシャロッテ・ムアマンが胸をはだけて演奏する彼の作品が始まると、警察が風俗の取り締まりだといって、会場に乗り込んできたこともあった。シゲコはそういうパイクの大胆さ、激しさに惹かれていた。憧れのナムジュン・パイクとは、77年に結婚した。
 元々、立体作品を手がけていたシゲコは、パイクの仕事を手伝いながらビデオに親しみ、それを立体に取り込むようになった。大きな鏡や水や木が大胆に使われていた。
 ユーモアと古今東西の哲学に通じたパイクと生活するうちに、彼のエッセンスが彼女の心身に浸みこみ、今の彼女の作品になっている。パイクは今それを見て、ビデオの中で笑っている。
 サスペンダーつきのズボンをはき、腹巻きをつけたパイクのふだんの姿をいとおしげに作品化するシゲコ。妻智恵子をいとおしむ高村光太郎のように、最愛の人に捧げられる無条件のやさしさ、純粋さ、愛の表現は、誰をも感動させ、魂の高みに引き込む。それも芸術なのだと、パイクもうなずくだろう。シゲコのビデオアートによってナムジュンは、これからも4次元の世界に生き続けるだろう。千のイメージになって。
個展は10月20日まで。
Maya Stendhal Gallery
545 West 20thSt.
Tel: 212-366-1549