2017年11月17日号 Vol.314

ものの価値について


歳には勝てないと思うことのひとつは、忘れっぽくなることだ。ぼんやりしていて忘れるのと違って、あわてたり緊張したりしている時、これこそまさに「頭が真っ白」になって、さっきまで覚えていたことが突然消え、脳みそが真っ白になる。若い時には体験したことがないことが起きるので、その焦りは悲しみと混じって、間に合わずにトイレを汚した子供のように絶望的だ。そういう経験をしても、けっして消えない記憶がある。
去年も身につけた冬のマフラーを、今年また使おうとする時に感じる遠い記憶の手触りや匂い。とくにそれが誰かからのプレゼントだったりすると、贈ってくれた友人、家族、それを身につけて出かけたときの記憶が、匂いのように立ち上り、その人のことを思って、ふとセンチメンタルになったりする。着ていても、その暖かみに、自分を思ってくれている人のやさしさを感じて、幸福な気持ちになる。けっして忘れない。
身につけるものだけではない。教えてもらったレシピの味にも、いっしょに笑った記憶にも、話してくれた思い出話にも、幸せ感がつきまとう。
高価なアクセサリーをつければ、それはつけた人を引き立たせるだろう。きっと周囲の人の目もひくだろう。それはそれですばらしいこと。でも、たとえ不細工な手編みのマフラーでも、友達や家族が時間をかけて編んでくれたものなら、ぼろぼろになっても身につけていたい。それはもう、恋人から贈られたものを手放せないのと似た心理状態だ。他人がいくら「そんなボロボロになったマフラー、替えたらどう?」と言っても、その人にとっては、他人の目など問題ではない。幸せな思い出を宿すマフラーは、なににも代えがたいのだ。こうして、いつも同じぼろぼろのマフラーを首に巻いているナントカさん、ということになる。
だからいつもよれよれの同じマフラーをしている人は、たいてい心やさしい人なので、私はとても好感をもつ。子供のころ、毎日自転車でやってきた紙芝居のおじさんは、いつも同じ帽子にマフラーをしていた。やさしくて怖いが、いいおじさんで、私は大好きだった。
人の所有物には、実物だけでなく、それにまつわる個人的なエピソードや思い出が必ずあり、それがそれを所有する喜びを倍増する。所有者に特別な喜びを与える思い出やエピソードこそが、実はそのものの本当の価値なのだ。金額ではない。資本主義はこの原則を無視している。
私は、自分だけの物差しを持っていたい。ひっそりと自分勝手に幸福の価値をきめよう。個性的な人生は、ささやかな反逆精神から生まれる。(飯村昭子)



Copyright (C) 2017 YOMITIME, A Division of Yomitime Inc. All rights reserved