Copyright (C)2010 Yomitime Inc. All rights reserved
 
イベント情報






 連載コラム
 [医療]
 先生おしえて!

 [スポーツ]
 ゴルフ・レッスン

 NY近郊ゴルフ場ガイド


 [インタビュー]
 人・出会い
 WHO
 ジャポニズム
 有名人@NY

 [過去の特集記事]

 よみタイムについて
 
よみタイムVol.143 2010年10月1日発行号

 [其の1]

ジョナス・メカス & セバスチャン・メカス

詩人/映画作家のジョナス・メカス(左)と息子のセバスチャン・メカス
切り株の命をいとおしむ父と子
ジョナス・メカス & セバスチャン・メカス

ゴミとして消却される運命だった木の切り株。セバスチャン・メカスの作品

 「これ、ぼくの名前で出されているけど、ぼくとジョナスの共作なんだ。捨てられていた木の切り株を拾ってきて、ジョナスとぼくが、切り株の両側からノコギリで表面の上側をそぐように切れ目をつけていった。二人のノコギリの出会ったところで、表面に段差ができてしまった。ほら、こんなふうに」
 でも、この父と子の工作のおかげで、この腰掛けほどの老いた切り株は、ニューヨーク市のゴミ捨て場に運ばれて消却される運命にあったのに、ひょんなきっかけからこうして新しい顔をもち、狭いギャラリーの床の上に作品として大きな顔をしてでんと居座ることになった。
 今夜は、ブルックリンのウイリアムスバーグにあるこのマイクロスコープ・ギャラリー(顕微鏡画廊)のオープニング。ヴィレッジやローアーイーストサイドに替わって、今、生命力に溢れた若いエネルギーの溢れているブルックリン。この切り株は、集まったアーティストやその友人たちに、かしこまった眼差しを向けられ、時には長い脚に蹴っ飛ば されそうになり、ワインをふりかけられたりしながらも、でんと構えている。ごつごつした古い表皮の隙間から、ちょこんと首を出している可憐なグリーンの小さな若芽。こんな老木にも芽をふく生命力が残っているのが新鮮に見える。コンクリートとガラスとプラスチックという環境の中で、こういう命あるものに出会うとほっとする。
 絵やコラージュ、写真、オブジェ、モビール、そしてフィルム、ビデオ、DVD、と、さまざまなメディアのパーティー。エネルギーの結集。その中で、ちょこんと腰掛け用の台のようにおかれた切り株は、唯一の有機的な生命体だった。
 アーティストのセバスチャン・ メカスは、詩人で映画作家のジョナス・メカスの長男だ。ジョナスは、大きな樹々が茂り、美しい花々が咲き乱れ、広大な湖に氷が張りつめるバルト海に面したリトアニアから、数奇な運命をたどって、1947年に難民としてこのブルックリンにやってきた。リトアニアは、戦後ソ連領になったため、ジョナスが、故国に帰って美しい樹々に出会うまでに、25年もかかった。
 セバスチャンは、未知の世界に 限りない興味を抱く、北欧系の美しい繊細な少年に育った。ほんとに、トーマス・マンの『ヴェニスに死す』の中にでてくる少年はこんなだろうと思われた。やがて数学を専攻し、哲学に惹かれ、異なる文化に触れるために、世界を旅し、中国には何年も住み、ヨーロッパ、とくにイタリアでも長く暮らした。そして時々ニューヨークに戻ると、その度に大人びてくるのだった。もの静かで、哲学者のようだった。
 パリで、古い教会の中に友人たちを誘い、その中のさまざまな古い絵、道具類、建物の構造などの、その由来、出来事、人物について詳しく説明していたさまが印象的だった。中国の哲学、歴史、漢字など、東洋文化全体の造詣の深さは、そのもの静かなものごしと相まって、若さとはちぐはぐな高僧のような雰囲気をかもすのだった。
 ジョナス・メカスは彼のメン ターだった伯父に、郷里を出る時に言われた言葉を、難民として放浪していた20代のころに、生きる指針として大切にしていた。「世の中をよく見て、帰ってこい」という言葉を。
 セバスチャンに、ジョナスはこの言葉を与えたのかもしれない。そして、命ある樹を愛する心をも。
 老いた父と息子とが、拾ってきた木株を挟んで、両側からノコギリを使い進める姿のほうが、風景としては卓越していると、震えるほど思う。
 「ジョナスが半分、ぼくが半分、 拾ってきたジャンクの木の株の手当をし、手術をし、生き返らせてやったんだ。それが、こうして作品として展示されて、ぼくがアーティストだということにな るなんて。ふしぎだ」
 アーティストとしてのデビュー、おめでとうと、誰かが言った。
 「でも、これで終りだよ」
 若い哲学者は、思慮深く、静かに言った。