2018年8月24日号 Vol.332

「マイノリティ」とは自分の意に反し
他人が勝手につけるレッテル

「Of Love & Law」
監督:戸田ひかる

日本に生まれ、欧州で育った戸田ひかる監督が、デビュー作品となるドキュメンタリー映画『愛と法』のジャパンカッツ上映に合わせ、ニューヨークを訪れた。愛が勝つのか、法が勝つのか?海外生活が長く、マイノリティの経験が多い戸田監督が、法に守られるべき国民が、少数派であるが故に基本的人権の尊重が時に難しいことを浮き彫りにする。映画の中では、社会が決めるカテゴリーに当てはまらない人間たちの人生ドラマが繰り広げられる。

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「海外で自分が日本人だと(感じることは)ないですね。納豆が食べたいなぁとか、そういう日本人的なものはありません。もちろん、日本人として見られますが、私は日本人のステレオタイプと戦う立場にいると思っています」戸田監督はマイノリティとは、自分の意に反して、他の人が勝手につけるレッテルだと暗示する。

では、日本と海外の違いはどうだろう。「まず、マイノリティのことを考えたり、話しあったりする機会が、日本は本当に少ないですね。私はオランダに12年住み、インターナショナルスクールに通っていたので、誰もがマイノリティという環境でした。常に色んな国の人がいたので、そういう環境が私は当たり前だった。でも、日本に行ってみると、同調圧力も強いし、存在する多様な在り方も見えなくなっている、『みんな同じが当たり前』みたいな風潮があるんです。同じ意見の人同士では話せるけど、少しでも意見が違ったりすると気まずくなって、空気読んで話題変える、というような。国民性なのか、社会のシステムなのか。そういった議論ができないという意味では、やはりマイノリティの人たちが認識される機会も少ないかなと思います」

本作はロンドンのプロデューサーとフランスのプロデューサーと共に制作されていることからも、元々全世界に向けて発信されたものだ。しかし、戸田監督が一番見てもらいのは日本の人たち。

「効果的という言葉が適切かわかりませんが、一番腑に落ちるというか、もしこの映画が何か役に立てるようなものであるとすれば、日本かなと言う気がします」

『Of Love & Law(愛と法)』は無戸籍問題、LGBTQ、猥褻とアートの境界など、普段は取り上げられないトピックや人物たちにスポットを当てている。より多くの人に、少数派の存在を見てもらいたい、知ってもらいたいという思いがそこにはあった。

「日本ではマイノリティが、多様性という点で見えない部分になっています。見て見ぬふりなのだと思いますが、そういう意味でも、マイノリティの話を見せるというよりも、色んな人の、色んな生き方という、ヒューマン・ストーリーを見せたかったんです。社会派な物語を作るというよりは、マイノリティとされる人たちが、抑圧されながらも前向きに頑張っている姿というものを私は見せたかった。映画を見てもらっても、多分答えは提供できないと思いますが、この映画を通して、みんなの異なるスタンダードを知り、これまでにない新しい会話が生まれてくれたらという期待はしています」

現実的には、このような思いが社会に浸透する為には、組織的な変化と一般社会の意識が一緒に動く必要がある。法律だけができても、その法律が活用できる社会にならないといけない。そういう意味で映画という媒体が担う役割は大きいかもしれない。

びっくりするような知らないことが、世の中には実は沢山ある。そういう意味で一人一人が色んなものに目を向け、知る努力を怠ってはいけない。『愛と法』は、日本の社会システムや法律について、深々と考えさせられる作品であり、「びっくり」が「普通」になる第一歩を教えてくれる作品だ。
Of Love & Law

南和行と吉田昌史は、大阪の下町で一緒に法律事務所を営む弁護士でプライベートでもパートナー。出会って15年、公私ともにパートナーの二人は、同性婚が認められていない日本では、法律上ではただの他人である。そんな彼らのもとにやってくるのは、大きな体制や組織、古い「常識」の枠から外れている弱者と呼ばれる人たちの案件。3年に渡って2人を追った戸田監督が描いたのは、愛に溢れた暮らしと、2人が取り組む様々な裁判や法律相談。その中には多くの生きにくさと向き合う人々が登場する。監督自身、オランダとイギリスで暮らした経験を元に、日・英他の国際共同製作の下、外から見た日本の現代社会をとらえている。2017年第30回東京国際映画祭「日本映画スプラッシュ」部門で作品賞を受賞。

2017年|94分
監督:戸田ひかる
出演:南和行、吉田昌史、南ヤヱ、カズマ、ろくでなし子
(Photo: Of Love & Law © Nanmori Films)


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