2019年8月9日号 Vol.355

変わる状況の中、一番良いものを選択する
自由であり続けることが大切

塚本晋也

1960年東京都生まれ。14歳で8ミリ映画を撮り始め、1982年に日本大学芸術学部を卒業。CF制作会社に就職しCMなどを手がける。制作会社を退社後、劇団「怪獣シアター」を結成。1989年、少人数スタッフ・低予算により16ミリで撮られた『鉄男』は単館レイトショー公開となったうえ、ローマ国際ファンタスティック映画祭のグランプリを獲得し、国際的な評価を得る。塚本の世界観は"都市と肉体"が一貫したモチーフとなっており『バレット・バレエ』(00)では、死と暴力を内包した都市に生きる人間像へと進展。製作、監督、脚本、撮影、照明、美術、編集などすべてに関与して作りあげるスタイルをとっている。

「ジャパン・カッツ」では、8年前から日本映画界に貢献をしている監督や俳優の功績を称え「CUT ABOVE(カット・アバブ)」賞を設置。今年の「CUT ABOVE賞 for Outstanding Achievement in Film」は、塚本晋也監督に贈られた。

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Photo by YOMITIME


ーー映画制作の原点は「ウルトラQ」だそうですが、どんなところに興味を持たれましたか?

塚本物心ついた時に見たのがウルトラQだったんです。何と言うか、夢だったのか何だったのか・・・でも自分の心の中には鮮明に残っていますね。日常の空間の中に異物(怪獣)がいたような、そんな感じでしたでしょうか。後々、シュールレアリスムが好きになっていくんですけれども、その原型だったように思います。まぁ、当時は私も単純に怪獣が好きだったんですね。

ーー中学時代に自主制作された映画は、どんな作品ですか?

塚本最初は怪獣映画を作りたかったんですが、なかなか中学の個人レベルでは難しい部分もありまして、怪獣映画は断念しました。その代わりとして、東京に原始人が現れ、建物を壊して原始の姿に戻していくという、水木しげるさん原作の「原始さん」という漫画を、自分なりに映像にしました。

ーー高校と大学は美術学科に在籍されていますが、商業デザイナーだった父親の影響ですか?

塚本油絵を勉強していたこともあり、大学は日本大学芸術学部に進学しました。父に、ああしろこうしろと言われた訳ではないのですが、やはり絵の影響は受けました。父は、家に仕事を持ち込む人ではなかったので、周りに絵画が溢れていた訳ではありません。ですが、稀にそういうものを持ち帰ってきたことがあり、それを「ちらっ」と見た時、子ども心に「おーっ!」と驚いたことを覚えています。とにかく、絵を描くのは好きでした。

ーー画家を目指さなかったのですか?

塚本小学生の頃は漫画家になりたい、と思っていたこともありました。中学生の時には、映画を作りたいと思っていました。最終的に、中学の時に思ったことを現在やっているわけですが、当時から考えていたのは、「企業」という形ではなく、全てを自分で出来るような、そんな映画制作をしたいと思っていました。

ーー監督が目指す制作スタイルとは

塚本クロード・ルルーシュが「男と女」という映画を制作しました。すごく立派な映画なんですが、大企業が作ったものではなく、個人レベルで作られています。内容はもちろんのこと、全てに「手作り感」があるところに魅力を感じますね。その思いが今に繋がってます。私が作った映画で、ビルを壊す場面があるのですが、そのビルも自分で製作しました。映像を作るための「全て」が楽しい。大きなプロジェクトで分業制になってしまうところが、あまり好きではないですね。「分業かぁ〜つまんないなぁ〜」と思っています(笑)。

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「斬、」© SHINYA TSUKAMOTO/KAIJYU THEATER

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「バレット・バレエ」© SHINYA TSUKAMOTO/KAIJYU THEATER

ーー演劇に惹かれたのはどんなところでしょう

塚本きっかけは、小・中学の時の学芸会でした。演技をしてみたのですが、それがすごい楽しかった。もともと内向的な性格でしたが、その時、急に空が明るくなったというか、世界が開けたというか・・・そのくらい、自分の中に大きな変化がありましたねぇ。それから演技は続けています。

ーーCM製作会社を経て、劇団を結成されていますね

塚本大学時代は演劇を続けていたのですが、就職している間はCM制作だけでした。それがだんだんと物足りなくなってきまして、また演劇を始めた訳なんです。やがて、会社を辞めて演劇に集中したことで、劇団結成に至りました。初期の映画は演劇仲間で作りました。その中の一つが1989年の映画「鉄男」です。

ーー「斬、」のアイディアはどういうところから生まれましたか?

塚本25年程前、何故かポッとこのアイディアが出てきたんです。1本の刀を過剰に見つめ、なぜ斬らねばならないかを悩む若い浪人を撮りたい、と思った。同時に、今後を表す何かが有ると思っていたんですが、その何かがわからず・・・。どういう物語にするか、25年間、何も進みませんでした。最近になって、今の世の中の「不安」のようなものと、「若い浪人」が、ガチッと合わさった。この時代にぴったりのテーマだと思いました。

ーー「バレット・バレエ」は全編モノクロですが、理由は?

塚本もともとモノクロが好きだということもありますが、不思議なリアリティーを感じるのが理由です。ドキュメンタリーを見てるようなところもありますね。俳優さんや場面を撮ることはもちろん好きですが、それよりも演者の肉体そのものを撮るのが好きなんです。モノクロだからこそ、ある種の「生々しさ」が強調されるように感じます。

ーー監督が目指すものは何でしょう?

塚本映画とは大勢で作るもの、合議制の中で作るものだと思いますが、私はもっと自由に作っていきたい。自由であり続けることが、私は大切だと思っています。まぁ、やりながら変わっていくこともありますが、その中で一番良いものを選択していく・・・そこが醍醐味ですね。現在、構想は頭の中に色々とあります。時間はかかりますが、形にしていきたいですね。

saito

saito
Photo by George Hirose



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