Copyright 2008 YOMITIME, A Division of Inter-Media New York, Inc. All rights reserved


お特な割り引きクーポン。
プリントアウトして
お店に持って行こう!

イベント情報





他にショッピング、ビューティー、
企業情報なども準備中!

 連載コラム
 [医療]
 先生おしえて!

 [スポーツ]
 ゴルフ・レッスン

 NY近郊ゴルフ場ガイド


 [インタビュー]
 人・出会い
 WHO
 ジャポニズム
 有名人@NY

 [過去の特集記事]

 よみタイムについて
 
 
よみタイムVol.98 2008年10月3日号掲載
武者小路千家 千 宗屋 さん

茶の湯の文化交流使
生活の中で茶の触れ合いを
時間あれば比叡山で山篭り


茶机「天遊卓」をデザイン
このテーブルは、普通の立礼式用のテーブルよりも高さを5センチほど低くし、ギリギリ膝に当たらないように設計。道具を膝下で扱う本来の畳の茶室でのお点前に近い感覚が得られるという。釜をもっと深く収められる普通の炉の組み方にしているため、二畳の小間(こま)でやる『向こう切り』形式のお点前も可能だ。

千 宗屋(せん・そうおく)
1975年、京都生まれ。本名、千 方可(せん・まさよし)。2003年6月、武者小路千家官休庵家元後嗣号 宗屋を襲名。慶應義塾大学環境情報学部卒業、同大学大学院研究科前期博士課程修了。現代美術とのコラボレーションなどにも精力的に取り組む。明治学院大学非常勤講師(日本美術史)

 文化庁から、文化交流使に任命され、7月末にニューヨークに赴任した。千宗屋(せん・そうおく)さん。茶道の三千家のひとつ武者小路千家の若宗匠(次期家元継承者)である。文化交流使とは文化庁が芸術家・文化人の中から任命する形をとるもので、今年は8人の文化交流使が指名された。ニューヨークに派遣されたのは、千宗屋さんと作家の島田雅彦さんの2人。文化交流使の活動は講演やワークショップ、デモンストレーションなどの活動を通じて、海外での日本文化の浸透、さらに日本と外国の、文化人同士のネットワーク作りや強化活動を行うことを使命としている。任期は1年。来年6月末までニューヨークを拠点としてヨーロッパなどにも活動範囲を広げる予定の若宗匠に茶の湯の未来について聞いた。
(塩田眞実記者)

 「日常の中で非日常を楽しむ、別世界を楽しむというのがお茶の基本的なコンセプトです」
 「畳に着物、正坐というような、お茶をする時の環境が現代日本の住空間ではどんどん遠のいているんです。だから家の中でも、普通の生活空間で友人たちと茶を楽しむ、という心を持つことが大切。お茶は『大人の遊び』でもあって、大げさなことではなく、生活の中の必然として自然に茶と触れ合えばいいと思うんです」とお茶の話になると止まらない。
 若宗匠のニューヨーク赴任後初めての大きな茶会が9月はじめ、ロックフェラー社主催により同センターで開かれた。この時、にじり口や畳のある茶室ではなく、「立礼式」(りゅうれいしき)というテーブルでのお点前が行われた。使われたのは、自らデザインしたテーブル・茶机(ちゃき)『天遊卓』(てんゆうじょく)だった。
 「亭主と客が、ひとつのテーブルを囲んでの茶会はできないものなのか」と考えてたどり着いたのが茶机(ちゃき)「天遊卓」だ。「天遊卓は外国人のためというより日本人のために作ったんです。とにかくお茶を日常の一部に組み入れること。お茶の中に残していかないと、いずれは消えてしまう生活習慣や文化があると思うんです」と力強く話す。

 子どものころは全く稽古をさせてもらえなかった。興味深く「茶室を覗こうとすると「子どもは向こうにいってなさい」とたしなめられた。
 「武者小路千家は、父もそうだったのですが行住坐臥(ぎょうじゅうざが)、環境自体が茶の世界でした。強制されたことは一度もないから青年期によくある家業への反発もそれほどなかったですね」。
 大学院(慶應義塾大学)では日本中世美術史を専攻、夏休みを利用して寺の跡継ぎの青年たちに混じり比叡山で「百日行」も行った。僧籍を有するれっきとした「お坊さん」でもある。
 時間を見つけては比叡山に山篭りをするが「今年はニューヨークに来ることになったので果たせませんでした」とニガ笑いする。

 「お茶を始めるには、目標を持っているといいですね。建築が好きだとか、焼き物に興味がある、そのほうが漠然とやるより上達も早いし、こちらも教えやすいから」。
 「正坐が出来ないからお茶はちょっと、という人が多いですね。そうじゃなくて、正坐したいからお茶をするっていうような正坐の効用を説くことも大事。正坐ってのはヘソに力が行くんです。カラダの中心を意識する座りかた、姿勢も伸びるし腰に負担もかからない。エクササイズの感覚でやると正座も苦にならないですよ」と解説してくれた。
 戦後、茶の湯人口は増えているが「精神的な部分や文化的な背景などが充分伝えられず『型』だけが再生産されている面」があるそうだ。
 「お茶の先生なのに『にじり口』を実際にくぐったことのない人なんかもいます。カルチャーセンターや、広間でのお茶ばかりをやった結果なんですね」と憂う。
 文化交流使としての1年は長いようで短い。10月にはアジア・ソサエティーでの講演とデモンストレーション、11月初めにはワシントンの日本大使館で茶会、そのあとすぐにパリへ飛んで、表千家、裏千家、武者小路千家の三千家が後援する「相国寺・禅と美術展」(プティパレ美術館・10月スタート)での関連プログラムに参加しワークショップを行う。
 そのあとはドイツのケルンやベルリンで講演とデモが待っている。「ニューヨークで教えることもしたいので拠点を設けて、帰任後も活動が継続できる形に持っていきたい」と意欲に燃えている。