この5月から日本クラブで「4ヶ月の無料きもの着付教室」をスタートさせた。1クラス10人前後で1回2時間、15回のコースとなっている。普段着の着方、帯の結び方、訪問着の着方など、懇切丁寧に教えてくれる。
「日本人が着物を着てパーティーなどに出てもらいたくて」と今年3月日本和装USAをニューヨークに設立した。
まだ数か月しかたってないが、100人の応募があり現在60人を超す生徒が受講している。「無料」ということもあるが、「ニューヨークに住む多くの日本人が着物に興味を示してくれているのがうれしい」と話す。
父親が大学のヨット部に在籍していたこともあって、ヨットが大好きな少年だった。名古屋の高校を卒業すると「船の設計や造船関係を学びたい」と長崎県にある「長崎総合科学大学」の造船工学科に入学した。
しかし、88年に卒業した年は造船業界が大不況。「日立、三菱、川崎といった大手の造船会社に入社して技術者になろう」の夢はあえなく崩れた。そんな折、新しいビジネスとして脚光を浴びていたのがマリン・リゾート。
西武グループが運営していた三浦半島にある「シーボニア・ヨットハーバー・マリーナ」に就職した。ヨットの輸入、販売が主な仕事で「マリンリゾートビジネスはこれから伸びる」と直感した。8年間働いていたある日、いとこにあたる日本和装の創設者、吉田重久と会食をした。
「東京に進出したい。手伝って欲しい」。全く世界の違う仕事だったが、話しを聞いているうちにのめり込んでいた。
「ビジネスの仕組みがおもしろかったんですね」という。無料で着付け教室を持っているが、ビジネスの根幹は、和装の仲介事業で、一切在庫を持たない。着物や帯の製造、問屋に着付け教室の生徒を紹介し、コミッションを取るというもの。
「着物は日本の伝統文化です。この仕事を続けることで、文化継承に携わっていけることと、何より文化が後押しをしてくれる世界ですから魅力を感じた」と転職を決めた。30歳だった。
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日本和装は福岡に設立してまだ20年の新しい会社だ。創設者の吉田重久は、海外から時計、洋服などの輸入業務をしていたが、ある時顧客の呉服店の人が「着物が売れなくなってきた」と相談に来た。
「着物は高い」「自分で着られない」「着て行く場所が少ない」など高いハードルを掲げた。
「それでは、着物を自分で着て、自由に歩いていけないか」と考えたという。問屋、製造会社に協力してもらい、世間に「きものを伝える」仕事をスタートさせたのが原点だった。
「40年前まで、着付けは親から子へ、子から孫への時代だったんです。でも、洋服が全盛になり着付けをできる女性は少なくなったんです。着る人が増えれば、流通も広がりますからね」。
20年前にたった20人の生徒でスタートしたが、今では卒業生13万5000人、全国28都市に年間4万人の生徒を持っている。こうした人たちが、日本に和装を広め、日本の伝統文化を取り戻そうとしている。
ニューヨーク進出はつい1年前に決まった。元々海外進出を考えていたが「ニューヨークには四季がある」「経済の中心地」「パーティーで出る機会が多い」などが理由という。
「着物文化をニューヨークから発信したいですね。本物の着物をアメリカ人に見てもらいたい」と目を輝かせていた。
(吉澤信政記者)
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