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 よみタイムについて
   
よみタイムVol.68 2007年7月6日号掲載

ビジネス・コンサルタント グルゾン坪田裕子

夫の死を機に基金設立
三つの国背負う逞しき母

2冊目を上梓したグルゾン坪田裕子さん
 今なおビジネスの第一線で活躍する著者の、妻であり母である横顔を浮き彫りにしながら複雑な異文化環境の中で、明るくたくましく生きてきた一人の日本人女性の素直な半生の記録である。


 ビジネスウーマンとしての坪田さんの活躍は、93年にTBSブリタニカから出版された「転職最前線」に詳しいが、2冊目のこの本では生い立ちから現在までの坪田さん自身と家族の絆が読みやすい文章とユーモアで綴られている。
 日本、アメリカ、ドイツと母国が3つもあるようなやや風変わりな人生を送る坪田さんの、交錯する文化を通して眺めた世界観と家族とは何か、を伝える文化論となっている。
 この本を書き下ろすキッカケとなったのは、直前まで国際金融法の弁護士としてバリバリと仕事をこなす夫・ミヒャエルの死だった。悪性脳腫瘍の発病は05年の3月。一時はヨーロッパへの出張も再開するほど元気を取り戻したが、その年を越すことが出来なかった。坪田さんは現在、仕事のかたわら、夫の遺言に基づき設立した「脳腫瘍と治療のためのグルゾン・ファンド」の運営に奔走している。
    ◇
 坪田裕子さんは1940年東京生まれ。すぐに真珠湾奇襲攻撃が勃発。「私の最初の記憶は、ラジオから流れる大本営発表の一本調子の声、空襲警報のサイレンでした」。父親が出征すると日増しに戦況が悪化する中、母に連れられ知り合いを頼って長野の松本に疎開する。疎開生活は約1年、両親の出身地ということもあってか「信州人のDNA、頑固できまじめ、義理堅い、向上心、探究心旺盛、リベラルな反骨精神はこのころに身についたようです」と振り返る。
    ◇
 その後、外地から戻った父の仕事の関係で、終戦後は、兄、妹と5人家族となり大阪に転居。小学校はフランス系のミッションスクールで、授業は日本語とフランス語の両方で行われた。この頃、キリスト教に入信する。娘に西洋風の教育を受けさせたいと意気込んでいた両親もさすがに反対。しかし、最後はシスターたちの説得もあり、許してくれた。のちに自分達も入信し、娘よりも熱心なキリスト教徒となる。やがて、女子校独特の雰囲気に疑問を感じ、中学から男女共学校に転校。しかし「ミッションスクールで過ごした日々が、異文化を超えて他者との接点を見つける難しさと喜びを教えてくれたのかも知れません」。
 津田塾大に進んだが「英語や英文学が好きなわけでもないし、動機はもはや曖昧」と大学にも行き詰まりを感じる。こうした現状から脱出するには「海外留学が一番手っ取り早い方法」とアメリカのカンザス州ベネディクティン大学に留学した。当時の留学は今とはまるで違う時代で、海外渡航者が持ち出せる金額は200ドルまでという制限があり、為替も1ドル=360円だった。
 やがて、コロンビア大大学院2年の時に、各国留学生が集まる「インターナショナル・ハウス」で生涯の伴侶となるドイツ人の青年と運命的に出会い64年に結婚した。
 この結婚は、その後長い時間をかけて組織図を拡大していく「グルゾン・国際家族連合」のスタートだった。
 結婚後1年間のベルリンでの生活、日本社会と同じように「ガイジン」という括りで区別される戦後のドイツ社会の中で、宣教師の父親の下でアフリカ暮らしが長かったリベラルな姑の温かい庇護が心に沁みた。
 夫婦は66年にニューヨークに移る。夫ミヒャエルのウォール街勤務が決まったからだった。間もなく、長男ルードルフが誕生、その後も5人の子宝に恵まれている。ドイツ語、英語、それに日本語、3つの国を背負うこどもたちに対する言葉の教育は並大抵のものでなかった。現在、3男と5男は東京で暮らしている。ただし、ドイツ企業の駐在員としてである。いずれはドイツに戻る日もある。なかなか複雑だ。
 そして、突然訪れた夫の死。坪田さんは「脳腫瘍と治療のためのグルゾン・ファンド」を設立した。この1年間、アメリカ、ドイツ、イタリア、そして日本とあちこちを歩き回った。そのお陰で多くの企業や個人からの支援が得られ、コーネル大学に「ミヒャエル・グルゾン・メモリアル・レクチャーシップ」も開設された。年4回、脳腫瘍関連の講義が行われ、患者のケアにかかわるテーマが中心となる。まだ始まったばかりの「グルゾン・ファンド」だが「この先、息子たちにバトンタッチするまで資金を集め、脳腫瘍の研究費として寄贈していきたい」と話す。
 英、独、西、伊、中国語に堪能な坪田さん、本書も現在ドイツ語に自ら翻訳中で近くドイツでも出版される予定だ。
 大のヤンキースファンでもある。まだ、松井選手とは面識はないが「グルゾン脳腫瘍基金」のために「サインボールやバットのご寄付をお願いしようかと思ってるんです」と柔らかい眼差しが急に真剣味を帯びた。(塩田眞実記者)
坪田裕子グルゾン略歴:1940年、東京都出身。津田塾大学在学中に米留学。ベネディクティン大で学士号、コロンビア大で修士号、博士号を取得。ベルリン大経済経営学科終了。NY市立大準教授を経て、国連本部で人事部部長補佐、社会経済発展企画課長。その後、民間会社で多国籍企業を対象とした幹部人材リクルートとコンサルティング業務で活躍後、92年ツボタ・グルゾン・マルチナショナル社を設立して独立。現在、NY市立大不動産経営学部顧問、メリー・マウント・マンハッタン大講師、(株)イノアック・コーポレーション取締役。ドイツ人国際弁護士だった夫との間に6男がある。
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