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 よみタイムについて
   
よみタイムVol.67 2007年6月15日号掲載

「SUGIYAMA レストラン」 杉山 直彦

七転び八起きの人生の中で
感謝する人に恩返しを

 「いらっしゃい!」と威勢のいい声がカウンターから聞こえてくる。まるで商売繁盛の神様、えびすさんのようなふくよかな笑みを見せる。
 客の多くは人なつっこい「ナオさん」の人柄と料理に惚れてやってくる常連だ。「ナオ、今日のウニは新鮮だね」「日本から入ったばかりだよ。ジョアンのためにね」と簡単なコミニュケーションが飛び交う。
 この場所に店を構えて今年で丸10年たった。「ナオさん」の名前がニューヨークの日本人社会で知られるようになったのは95年から3年間ダウンタウンで開いていた「KATANA(刀)」だった。「狭いけど本格的な日本食の店がある」と評判になった。しかし、オーナーはアメリカ人。「また自分の店が持ちたい」と常日ごろ考えていた。
    ◇
 この世界に入ったのは16歳の時である。岡山県津山市の出身。子どものころは野球少年で、毎日泥まみれで遊んでいた。地元のチームのエースで「夢はプロ野球選手になること」だった。だが、練習のきつさのためか、腎臓を患い長い間入院生活を強いられた。 
 いざ、学校に戻っても学業がついていけず叔父の勧めで板前の道に入った。もともとおばあちゃんっ子でいつも台所で料理をする祖母の姿を見ていた。料理をするのも子どものころから好きで、叔父の勧めをすんなり受け入れた。
 叔父が卸問屋を営んでいる関係で高級料亭などにコネクションがあった。神戸、大阪、東京の一流店で板前の基礎をたっぷりと学んだ。
 28歳の時父親の出資の下、津山市内に「天直」というてんぷらを中心とした割烹をオープン。味自慢の店で、30席ばかりの店は連日満員の盛況ぶり。ほどなく「もっと大きな店を」と数千万円かけて100席ほど入る店を新築。日本の経済がバブル期を迎えたこともあって、右肩上がりのビジネスが続いた。大好きな車は当時でも1千万円を超えるBMWを毎年買い替えるほど、贅沢な生活を送っていた。
 「好事魔多し」の例え通りバブル崩壊とともに大きな負債を抱え込んだ。「お人好しナオちゃん」は先輩、同級生など友人に融資しては小切手が焦げ付いた。返してもらえる見込みもなく、店を手放す羽目になった。
    ◇
 「一からのスタート」となった。ここで手を差しのべてくれたのが、香緒里夫人の父だった。「友人がロサンゼルスにいる」こともあって、憧れのアメリカへ。友人のつてを頼ってレストランで働いたが、人間関係などがうまくいかず、日本に戻ることも視野に入れていた。その時、同じ職人から「ナオちゃん、別の店に行かない?」と誘いがあった。当時、一世を風靡していた「松久」である。寿司職人として松久さんの下で新しいスタイルの日本食を学んだ。
 「仕事は忙しいが、松久さんは本当に従業員のことを考えてくれます」と満足気だったが、ニューヨーク行きの話が出て来た。松久と同型のフュージョン系の店が高級ホテル内にできるという。「ヘッドシェフで」の誘いだった。だが、わずか10か月でクローズしてしまった。まだ、ニューヨークではフュージョンの日本食が認知されていなかったこともあったようだ。
 よく、職人は客に育てられるという。「ナオちゃん」も多くの客を持っていた。その後「KATANA(刀)」をオープンしたのはブラット・ケリーさんという幾つかのアジア系レストランのオーナーだ。ナオちゃんの腕と味を見込んでのことだ。ただ、せっかくアメリカに来たのだから「自分の店」にはこだわった。「どんな小さな店でもいい。夫婦で切り盛りしてやっていきたい」夢があった。
 10年前、今のレストランの持ち主若山和夫さんから話が持ち込まれた。最初の条件は「あなたに任すから我々の傘下に入って高級日本食を」だった。若山さんはニューヨークにイーストチェーンなど数多くのレストランを経営しているすご腕経営者だ。それでは、今までと変わりはない。
 「独立してやりたい。店を貸して下さい」と何度も頼んだ。といっても財産は商売用の器だけだった。そんな条件なのに、若山さんは「分かった。やって下さい。工事費などは分割でいい」と信じられない条件で場所を提供してくれたという。
 自分で客を持っているから店はすぐ繁盛した。ロサンゼルスから飛行機で飛んで来て「店オープンおめでとう。今日はオレが一番高い客だな。ロスからきたんだから」と笑わす客もいた。「9・11」の時は家賃も払えない状況だったが、若山さんはひとことも言わなかった。
 「感謝する人が多いです。今は、おかげで、何とか商売させてもらっている、これも、若山さんや多くのお客さんに支えられているんです」と殊勝に話す。生活面でも長男の凱助(がいのすけ)さんは大学病院の外科医として活躍している。長女、美緒里さんは音楽家としてメリーランドで演奏活動を続けている。七転び八起きした人生で今が一番、輝いているという。
 これからは「何らかの形で恩返しをして行きたい。騙されたことも財産になっていますよ」ナオちゃんの目尻はさらに下がっていた。
(吉澤信政記者)
SUGIYAMAレストラン
251 West 55th Street.,
(Bet Broadway & 8th Ave)
212-956-0670