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 よみタイムについて
 
 
よみタイムVol.151 2011年2月11日号掲載
建築デザイナー 水野陽一郎 さん
HL23プロジェクト
最先端の開発現場「ウエストチェルシー」で

「ニール・ディナーリ・アーキテクツ」のオフィスで。シニアデザイナーのリック(右)と、ディレクター兼デザイナーのステファーノ(左)

スポーツやアートをはじめ、さまざまな分野で日本人は活躍している。中でも建築の世界はトップレベルとして海外からも高い評価を受け、日本人の建築家が設計した建造物は世界各地に建てられている。いつか自分もそんな世界舞台に活躍できることを夢みて、単身ニューヨークで修行に励んでいる建築家の卵がいる。いつの時代でも大人たちが「近頃の若い子はノ」と嘆くのは世の常のようだが、なかなかどうして、ニューヨークにはがんばっている日本の若者が結構いたりする。(聞き手:大矢晃司)

尊敬できる建築家との出会いは
何物にも代え難い財産

――そもそも建築家を志すきっかけは?

水野:子供の頃からプラモデルやレゴブロックが好きで、将来はモノをつくる職業に就きたい、と。で、自分の進路も決められる年になり、モノをつくり、現実的に収入を得て、生活できる職業となると、建築家かなという結論に達したわけです。

――じゃ、今は夢に向かって順調に進んでいるわけですね?

水野:う〜ん、順調かどうかわからないですね。日本の大学の同期では既に一級建築士の免許を取ってるヤツもいますし、自分はまだアシスタントみたいな立場で資格も持っていないですからね。ただ、ニューヨークに来ていろんな人と会って、いろいろな経験をしたことは決して自分にとってマイナスではないし、これから先の人生には役立つと思います。まあ、他人と比べても仕方ないので、焦らず自分のペースでいいかな、と(笑)。

――ニューヨークには自分の意思で?

水野:そうですね。両親共に海外生活経験があるので、自分もいつかはと考えていました。コロンビア大学で建築デザインを学べるチャンスに恵まれ留学したんですが、まさかこの街で働けるとは思ってもいなかったので、本当にラッキーだと思います。

――今の職場はアメリカの建築デザインオフィスなの?
水野:はい。「ニール・ディナーリ・アーキテクツ」という建築事務所のニューヨーク・オフィスで働いています。所長のニール・ディナーリはハーバードの大学院を卒業した後、ロサンゼルスを拠点に活動していたんですが、建築デザインにコンピューターを導入した第一人者で、コロンビア大学やUCLAなど様々な大学で教鞭も執っています。

――そんな凄いとこで働いていてプレッシャーとかは感じませんか?

水野:初めは少し緊張しましたが、すぐに慣れました。ニールは日本での生活経験もありますし、親日家としても有名で日本人や日本文化もよく理解している方なので助かります。ディレクターのステファーノや同僚のリックも気さくに何でも教えてくれます。ニューヨーク・オフィスは少人数ということもあって、仲間意識が強く、とても働きやすい環境です。

――旧高架鉄道を空中公園として再利用したりと、ウエストチェルシーは今ニューヨークで最も脚光を浴びてるエリアですが、その開発現場で実際に働けるというのは建築家を目指す人にとっては貴重な体験ですね。

水野:本当にそうですね。フランク・ゲーリー、坂茂、ジャン・ヌーベル、そして、ニール・ディナーリと、錚々たる建築家が設計した、最新の建造物が連立する現場に立ち会えているわけですから。こんな貴重な経験は滅多にないですね。

――実際に働いていて何か感じることは?

水野:やはり日本の職人は凄いと。

――日本の職人さんですか?

水野:はい。慶応の隈研吾研究室で学んでいた頃、よく建設現場に行かされたんです。現場研修と言うと聞こえはいいですけど、ほとんど隈先生の仕事の助手みたいな感じで(笑)。でも、そこで、棟梁や大工さんたちから本当にいろいろなことを学びましたね。研究室ではわからない現場とのギャップとか、コンピューターが必ずしも正しいとは限らないとか。あと、今は主に「HL23」というコンドミニアムの施工・管理の仕事に携わっているんですが、ちょっと目を離すと雑だったり、図面と違っていたりするんです。日本には世界に誇る建築家がたくさんいますけど、日本の職人さんの技術や精度、仕事に対するこだわりは世界一なんじゃないかとこっちに来て改めて感じますね。

――その他に水野さんが感じる日米の違いとかありますか?

水野:うちの所長やスタッフなんかともよく話すんですが、日本、特に東京はニューヨークに比べて街並が常に変化している。寺院などは別として、歴史ある建造物でもどんどん取り壊して新しくする。そのエネルギーがとても刺激的に映るみたいです。そこには国民性や歴史観の違いとか地震などの影響もあるのでしょうけど、僕個人としては変わらない風景や包まれるような安らぎや安心感を覚える街に魅かれるところもあります。

――昨年日本人として4人目となるプリツカー賞(※注参照)を受賞した妹島和世さんにも師事していますが、彼女から学んだことは?

水野:僕が慶応の大学院に進んだ時はちょうど学校側も建築デザイン科に力を入れ始めた頃で隈先生や妹島先生がいて、本当に、ひと言では言い表せないくらい多くのことを学ばせてもらいました。隈先生の頭やコンピューターだけで考えるのではなく、現場や現実を見落とすなという教えに感謝していますし、妹島先生の「言葉にできない、あるいは言葉になる直前の、非常に私的な心の動きを大切に」といった感覚的建築哲学も、今の自分に影響を与えてますね。また、ニールの建築が持つ視覚的側面と、様々な意味でイメージが反復・消費される現代社会と、どう対話させるかをテーマとした建築哲学も勉強になります。本当に尊敬できる建築家と直に接することができたのは、何物にも代え難い財産だと思います。

――水野さんのこれからの夢は?

水野:そうですね。そろそろ本格的に一級建築士の資格も考えようかなと。それと、そろそろ実家を建て替えるという話があるんですが、これから高齢になっていく父や母が暮らしやすい家を設計したいですね。

※プツリカー賞:原則として、世界中から年に一人の建築家に与えられる賞。建築界のノーベル賞に例えられるほどの権威があり、過去、日本人としては丹下健三、槇文彦、安藤忠雄が受賞している。

水野陽一郎:愛知県生まれ。東京理科大学理工学部建築学科卒業。慶應義塾大学大学院理工学部システムデザイン工学科、隈研吾研究室卒業。隈研吾、妹島和世両氏に師事。コロンビア大学GSAPP(Graduate School of Architecture, Planning and Preservation)、AAD(Advanced Architectural Design)プログラム卒業。バーナード・チュミに師事。現在、ニール・ディナーリ・アーキテクツ勤務、HL23プロジェクト担当。