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よみタイムVol.121 2009年9月18日号掲載

マクロビオティックは山口さんの人生そのもの
自然食レストラン「そうえん」グループオーナー 山口政昭さん(67歳)
「35年肉や乳製品食べてないよ」
半生描いた私小説を上梓

「そうえん」レストランで販売中

 「俺はもう35年、肉も卵も乳製品も食べてないよ。野菜もすべてオーガニック、白砂糖も一切とらない」と豪語する。
 子どものころから、なぜか漠然とした「死生観」を持ち、「健康」に興味を持っていた。新聞の健康記事などをむさぼり読み、特に「健康食」には強い関心を持った。
 「1年かけて世界旅行を果たそう」と50万円を手に日本を飛び出し、ニューヨークにやってきた。71年のことだ。1ドル360円の時代、わずか1400ドルにも満たない金額では、世界旅行どころか、最初の国アメリカだけで使い果たしてしまった。
 このためニューヨークを拠点に、ファーストフードレストランなどでアルバイトをしながら、金が貯まるとヨーロッパ大陸や南米を旅行するのが当時の目標だった。
 ある日、90丁目のブロードウェイでレストラン「そうえん」(=当時は蒼宴)を発見した。「メニューにブラウンライスと書いてある。ホワイトライスが白米だから、これ玄米のこと?」決定的な出会いだった。
 幸い「そうえん」で皿洗いの仕事を得る。お金が貯まると旅に出る生活は続いたが「戻って来る度にポジションが昇格していつの間にかマネジャーを任されるようになったんです」と笑う。
 ところが76年、当時のオーナー兵藤氏が、訪問先のカリフォルニアで急死、兵藤夫人からレストランの経営を引き継いだ。「そうえん」の再スタートだった。
 現在「そうえん」は本店としている6番街とプリンスストリートの角の店、ユニオンスクエア13丁目店、今年3月にオープンしたイーストビレッジの「そうえんヌードル」店の3店舗がある。
    □
  60年代にアメリカで「禅・マクロビオティック」と唱えて普及した人がいた。久司道夫氏である。
 マクロビオティック (Macrobiotic) とは、長寿法を意味し、太平洋戦争前後に桜沢如一が自ら考案した食生活法の名称。特徴は、玄米や雑穀などを主食とし野菜、穀物、豆類などの農産物、海草類を食べる。有機農産物や自然農法による食品、近隣の地域で収穫された、季節ごとの食べものを食べるのが望ましいとされる。
 マクロビオティックを通して久司道夫氏を知り、マサチューセッツ州でレストランの共同経営を体験したことも。「 砂糖を使用せず、甘味は米飴、メープルシロップなどで代用、 肉類や卵、乳製品は用いない」が「そうえん」のポリシーだ。
 「ホントはね、アボカドやほうれん草、ズッキーニなんかは駄目なんだけど、お客の要望が多くてアボカドはメニューに出してる、俺は食べないけどね」。
 70年代初めに比べるとマクロビオティックの知名度も飛躍的に上がり。信奉者も10倍くらいに増えているそうで、「アメリカ人の厳格なお客さんからアボカドはマクロじゃない、とかいろいろ厳しい指摘を受けたりして結構気が抜けないんです」という。
 「食事のことを軽く考える人も多いけど、毎日のことだし身体に直結すること、1万ドル上げるって言われても、俺は肉は食べない(笑)」と信念は固い。
    □
 今年2月、500ページ近い私小説作品「時の歩みに錘をつけて」(梓書院=そうえんレストランで販売中1800円)を上梓、これまでの半生を創作作品にまとめあげた。「2作目は、共同生活しながらマクロビオティックを実践する『自然村』立ち上げ失敗の顛末をテーマにして、日本の文学新人賞に応募しようと構想練ってるんですよ」。
 「自然村」を立ち上げようと80年代の初めにペンシルベニア州に170エーカー(東京ドーム14個分ほど)の土地を購入。10年間実現に向けて奮闘したが、地域住民たちからの反発や訴訟で実現を見ずに頓挫した。
 62歳で結婚した奥さんとは半年前に離婚したが、元妻は今でも山口さんの良きビジネスパートナーで店を切り盛り中。すべてが型破りな人生である。
 「規模を拡大したいとかじゃなくて、そうえんレストランがいつまでも続いて次世代に受け継がれるのを期待してるんです。俺は取りあえず110歳までは生きるつもり」と贅肉のないスリムな身体で大笑した。
(塩田眞実記者)