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よみタイムVol.111 2009年4月17日号掲載
作家 島田雅彦 & 次期家元 千宗屋

[座談会]
2人の文化交流使が見たアメリカ

作家でマルチアーチストの島田雅彦氏と茶道武者小路千家の次期家元・千宗屋氏はいずれも昨年6月文化庁から文化交流使に任命されニューヨークに赴任。それぞれの分野で意欲的な活動を展開してきた。任期を満了しつつある2人。島田雅彦さんは今年3月末日で帰国、千宗屋さんも6月には帰任する。そんな中、忙中に閑あり。帰国直前の島田さんに千さんが合流、オープンしたばかりの京都料理の店「嘉日レストラン」で久しぶりに交流使同士が滞在1年を振り返った。
(司会・構成 塩田眞実、写真・吉澤信政記者)



生活空間に溶け込むお茶を 千
日本の文化の浸透度すごい 島田



島田 雅彦:1961年生まれ、作家。著作多数。オペラ、映画なども手がけるマルチアーチスト。現在は小説執筆のかたわら、脚本を手がけた日中合作映画「Ancestors」(08年の四川大地震で制作が遅れている)の完成と、ミニマム空間デザイン公募プロジェクト「ニルヴァーナ・ミニ」に全力投球している。法政大学教授。
---文化交流使としての1年を振り返ってご感想をお聞かせください。

島田:元々、経済には疎いほうで、またあまり景気に左右されない商売だと思ってましたけれども、この間ずっと経済の動きに注目せざるを得なかったですね。

千:まだまだ、分かんないですね。象徴的だったのはアート業界の動向。現代美術の世界では、見て楽しむという本来の姿ではなく作品を投資物件として扱うアートバブルの側面があったけど、リーマンショック以来、ガタガタっと、顕著に響いて大きな一流画廊でさえも年を越せないなんていう現象も起きました。為替の変動とは違いモノの値段が見る間に下がる。今はどのギャラリーも静観状態で、美術品の過熱した投資的売買も沈静化されましたね。

島田:昨年は大統領選挙の年でした。中間選挙から数えると2年間ずっと全米を回って民主主義の祭典みたいな展開をしますが、政治的に無関心な人が多い日本から見ると民主主義の定義が違うなっていう印象を持ちましたね。何となく、プログラムされた革命みたいな気がしました。
 オバマ大統領が「チェンジ」と言わなくても、強引に、無理矢理チェンジしてしまおうっていう、ちょっと「無血革命」みたいなものがスケジュールに組み込まれているんだなあと。

千:ある意味、予定帳にあるスケジュールみたいですね。島田さんと私は、ちょうどその大統領選挙当日に首都ワシントンDCの日本大使館でプレゼンテーションをやりました。

---島田さんの、究極のミニマリズムというか、茶室のような最小単位の空間のデザイン・コンペ公募プロジェクト「ニルヴァーナ・ミニ」のプレゼンでしたね。お2人で共同でされた活動は他にもあるんですか。

千:いや、具体的にはあれ一度だけですね。 島田さん、あのコンペは今、どうなっているんですか?

島田:コンペは進行中です。

千:日本や全米の若手建築家の人たちに「茶室」のような「ニルヴァーナ・ミニ」というコンセプトで、新しい茶室というか、メディテーション・スペースと言ったらいいのか、そういう場の建築アイデアを公募してるんです。

---千さんは、今後もこの島田さんのプロジェクトに関わっていかれるのですか?


千 宗屋:1975年、京都生まれ。本名、千 方可(せん・まさよし)。2003年6月、武者小路千家官休庵家元後嗣号 宗屋を襲名。慶應義塾大学環境情報学部卒業、同大学大学院研究科前期博士課程修了。現代美術とのコラボレーションなどにも精力的に取り組む。明治学院大学非常勤講師(日本美術史)
千:ええ、そういうお話があれば日本で。どういう形で展開していくのか、公募でどんな作品が集まったのかなども気になります、これをご縁に引き続き関わらせていただければと思います。

---交流使として赴任された昨年、それぞれ目標とか希望があったと思いますが達成感とか不満足感がありますか?

島田:まあ、比較の問題になりますけど、20年前にニューヨークに来て1年暮らした時と比べるとずいぶん「日本」が浸透したなという気がしました。
 大学での日本語履修者の数も微増傾向にあります。昔は日本経済への関心というか、これがお金になるという思いから、日本語の履修者が増えたけど、今は、むしろ文化的な興味で学習者が増えつつある。その入り口はやはり「オタク・カルチャー」のようなものかな。そこから裾野が広がり、実際に哲学とか古典文学までたどり着くというケースは一部なんですけど。食文化とか酒とか、そういうものも含めての日本文化浸透度は目を見張るものがありますね。

---新年号でインタビューさせていただいた時に、日本の現代文学の英訳本の出版が少ない原因はどこにあるのか調べたいと発言されてましたが?

島田:よく考えてみると、文学のマーケットというのは、いわゆる「カワイイ」文化の規模に比べれば物の数じゃないんです。漫画とかも含めて考えたら、こちらの影響力の方が余程大きいですね。そういう作品や、アーチストはアメリカン・マーケットの中にどんどん浸透していきやすい。今後もっと幅広く展開するとしたらアメリカのメディアを押さえたらいいな、という感じがしてます。

---具体的には?

島田:かつてソニーが映画会社を買収したみたいに、出版社を買うとか、今なら買えるんじゃないかって気もする(笑)。

千:やっぱりネットですよね。例えば、動画のサイトなんか見てると、日本でその週に放送されたアニメなんかが、すぐ字幕つきでアップされてるんですよね。これって、誰かが頼んでやってるわけでも、商売でやってるわけでもない。多分好きでやってる。それこそコロンビア大やハーバード大で日本語を勉強しているような学生が、それ見てアップしてるんじゃないかなあ。(笑)

島田:そう。日本のテレビドラマなんかも、放送の翌週には、サブタイトルつきで、アップされてるんです。それをずいぶん見ましたけどね。(笑)日本にいる時より見ちゃったりなんかして。(笑)

千:そうそう。東京で放送されたものが、すぐ上がってくるから、地域によっては、日本の地方より早いですよ。しかも、サブタイトルつき。(笑)

島田:日本は政治でも軍事でも経済でもなくて、やっぱり文化輸出国なんだなっていう認識を新たにしました。
さらに日本の文化を浸透させるなら、やっぱりアメリカのメディアを押さえることを考えないと。だってアーチストは粒ぞろいなんですから。

---日本から発信してるんじゃ遅いから、現地に前線基地を設ける、ということですか?

島田:日産、トヨタ、ソニーだって現地工場がある。だからそれ考えるとメディア買っちゃうしかないなと。もうその段階に来てると思うんですよ。

---武者小路千家も今、アメリカに海外拠点を構築しようと、千さん自身が精力的に動かれていると思いますが?

千:まったくその通りです。交流使として1年間滞在してみて一番のメリットは、その土地に滞在してコンスタントに茶の湯の普及が出来ることですね。ニューヨークの上質の生活空間の中に、無理なく溶け込むお茶の形が模索できないかと。もっとも日本の都市部の生活も今じゃニューヨークと大差ない、床の間、畳のある部屋は少なくなってます。
 私がデザインしたお茶のテーブル・茶机(天遊卓)、今回日本から持ってくると、みなさん、ああ、今回のために作られたんですか、と聞かれる。いやこれ今の日本人のために作ったんですと説明してます。(笑)結果的にはニューヨークでとても役立ってますが。日本文化というものに対する、日本人、外国人の垣根は基本的にないんじゃないかなというのが、私の実感です。

---島田さん、文化の輸出をさらに促進させるためのお考えは?

島田:この経済危機自体は、どこの国も同じ錬金術というか金融工学を踏襲して、いっせいに行き詰まったわけですね。古典派経済学に則った証券投資とは別の資本主義の形態を早くに模索していたところが、一番回復が早いんじゃないかな。会社も株も本来の価値に戻ったところで、みんな「損失」とか言ってるだけで、ハッタリのぼろが出ただけですね。

千:無いものの上に積み上げていっただけで、本来あるべき姿に戻ったということです。

島田:そうそう。気づいてみるとアメリカの製造業はガタガタ。クルマ産業は製造業の代表的なものだけど、ほとんど「死に体」ですよね。ほかの生活用品なんかも、アウトソーシングでメイドインチャイナに頼っているため、堅実な製造業のほうに回帰することすら出来ない。
 一方、日本のこと考えてみると、似たような状況にあるもののまだ製造業に可能性はある。日本が世界に影響力を持てたのはメイドインジャパンの輸出においてだったわけで、それが日本の原点なのです。
 「ニルヴァーナ・ミニ」という原点に帰って内省のための部屋を作るプロジェクト、これはミニマムな空間なので、考えようによっては、クルマ一台、高級なコートやスーツを揃えるような感覚で手に入る。これをただの文化紹介イベントにとどめたくないんですね。できればひとつの産業にできないか、そういう思いもあったわけです。例えば応用形として刑務所とか(笑)、ホームレスや失業者の収容施設、災害の避難所などにも対応できるユニットを考えてみたい。そういうアイデアを日本からだけじゃなく、世界中から集めて、ひとつのアート運動みたいに展開させたいと考えているんです。

千:私、この一年海外で活動してみて、つくづく思ったのは、日本にいる日本人こそがもっと日本文化への理解を深め、守るとか伝えるということよりも、まず楽しんで欲しいんです。お茶の場合、こちらの人たちは、必要な道具が無いなりに別のもので代用するなど工夫してます。日本だと、その気になれば手に入るのに、例えば面倒臭がって炭を使わず電熱で済ませてしまう。だから炭業者がどんどん消えて、このままだとお茶で炭が使えなくなるかも知れない。

---ご帰国が秒読みに入ってますが、後ろ髪引かれるようなことは?

島田:あまりお金はないんだけど、円高にかこつけていろいろ買い叩こうかと思ったんですが、いざ探してみるとアメリカに欲しいものがあんまりない。(笑)
 クリスティーズに出る古美術なんかは欲しいものもあるけど、メイドインUSAでは欲しい物がない、これが問題ですね。クルマでも買おうかとも思ったけど、燃費が悪いし、今の時代にそぐわない。製造業抑圧の報いですね。(笑)

---千さんは、あと3か月、いかがですか?

千:そろそろ巻きが入ってますけど、お陰様で、自分ではそれなりにやり尽くした感があります。我々、文化庁からノルマを課せられまして(笑)、
それを消化すべく頑張ったんですけど、もうとっくに消化し終えたんじゃないかと。といってもこのあと何もしなかったら叱られますが。(笑)
 島田さんがおっしゃったように、アメリカの方の日本文化への理解が深くて、これまで先人たちがやってきたお陰だと思いますが、より深くなってますよね。今まで、父の世代だと、どこか「輸出用の日本文化」ってのがあって、和服の女性をたくさん連れてきて、ガイジン相手だから派手なほうがいいだろうと華やかな茶碗持ってきたりとかね。でも、ニューヨークって、どっちかというと好みが渋いですよね、黒が主流だったり。
 私は、こっちでやる時には、あまり外国人向けということを意識しません。多少分かりやすくすることはあっても、日本と変わらずにやってます。

---日本に帰られてから、今回の滞在を生かすような形で、これから始めようと考えていることは何ですか?

島田:まず、ニルヴァーナ・ミニは継続します。それと、うまくアメリカのメディアを使いこなせるような体制が整えば、それこそハリウッドに来て、ハリウッドで作ってしまうということもできるなと。
 中国映画が今すごい勢いで伸びてるんです。ハリウッドは製作会社と配給会社が別な上、組合の問題もあったりして機動力が落ちてきた。一方、中国は、50年代のハリウッドみたいなパワーを持ちつつあって、配給と制作が一緒、始皇帝みたいな社長の鶴の一声で出来ちゃう。配給館もケタ違いに多い。だから大作映画もたった一日で費用を回収しちゃうほどの規模になってるんです。
 この勢いでいくと中国は多分、アメリカの映画会社をいくつか買収し、ハリウッドを所有してしまうのではないかとさえ思えますね。何となく中国にしてやられそうな気配が濃厚です。人民元の引き上げが行われたら、中国のアメリカ買いは一気に進むでしょう。

---島田さんは、これまでも映画には原作提供、脚本、自ら俳優として出演などをなさっていますが、これからさらに映画作りに積極的に関わっていくのですか?

島田:はい、関わっていくつもりです。アメリカより中国と組む方が可能性があるでしょう。

千:島田さん、日本に帰られても継続してお茶に親しんでくださいね。

島田:はい、ぜひ。自宅の近くに多摩丘陵があって竹林があるので、今度、茶杓を作ってみようかなと。今、工作に飢えてるんですよ。昔は竹細工をやってたので。

千:私も、竹で花入れとか茶杓作りますよ。日本で曲げた竹をこちらに大分持ってきてるんですけど時間がないまま、終わりそうですけど。
 そうそう、ついこの間面白いものを見つけました。うちの250年前くらいの八代目の一啜斎(いっとつさい)の掛軸です。「啼鶯到処百花休」と書かれていました。美術商にたまたま入ったら、見つけた。本当にびっくりしました。近づいて見たら、なんか記憶にある名前と花押があるんです。状態もいい。
 専門家の話でも、アメリカで武者小路のものは出たことがないと。結局購入して、翌週コロンビア大学で行われた茶会の掛軸に使いました。今回の滞在の中でも、特に嬉しい出来事です。

島田:元々自分んちのものなんだから、買わなくたってよかったんじゃないの?おれのもんだって。(笑)

---ありがとうございました。