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 よみタイムについて
 
 
よみタイムVol.108 2009年3月6日号掲載
美術家 野田 正明さん

ギリシャの大学構内に抽象彫刻像を設置
小泉八雲の名をギリシャに残したかった
爆発したのは50歳過ぎてから
「空間のコンダクター」の評価


ギリシャの大学に設置される彫刻のレプリカ

 今にも鳥が、天空に飛び出そうとしているようにも見える。中にハートをあしらい、旋回しながら東洋と西洋、過去、現在から、未来の世代に繋げ、世界平和をイメージして作られている。
 広さ1000平方フィートの仕事部屋の隅に、今年9月、ギリシャ、アテネのアメリカン大学構内に設置する抽象彫刻のレプリカが置いてある。
「オープンマインド・オブ・ラフカディオ ハーン」と名づけられた作品だ。実物はステンレス製、石の台座を含め高さ4メートルのモニュメント彫刻で、大阪の工場で制作中。8月にはアテネに運び込む予定だ。
 今年はギリシャと日本の友好110周年にあたる。ギリシャは「耳なし芳一」などの怪談ものの作家で知られる小泉八雲ことラフカディオ・ハーンの生地だ。
 05年2月、アテネの北約200キロ、デルフィーにあるアポロ神殿の隣にある「デルフィー ヨーロッパ文化センター」に彫刻「アポロの鏡」が永久展示された。古代ギリシャ人が世界の中心と考えた「聖地」に、アジア人初の作品が据え付けられた。
 それまで、ギリシャの美術界は閉鎖的で、たとえアメリカ人でも入り込めないところがあった。そんな中、日本人のアーチストがものの見事にモニュメントを作り上げた。ギリシャの多くのメディアはこぞって高い評価をした。
 「八雲を記念するモニュメントを作ってみたい」とディーラーを勤めているギリシャ人のタキス、エフスタフュー氏と相談、大学側の大きな賛同を得て実現した。
 「タキスとは25年も一緒に仕事をしているんです。なんとしても八雲の名前をギリシャに残したかった」という。今年3月にはタキスと共に、島根県立短期大学部で准教授をしている八雲のひ孫、小泉凡さんにも会って、思いの内を語ったそうだ。

 49年広島県福山市新市町で生まれた。実家は作業服などを作る縫製業。小さいころから家業を手伝っていた。絵を描くことが好きで、授業を終えてから美術室で黙々と絵を描き続けた。美術担当の教師も、高く評価しており「美術大学への進学を」勧めた。
 「親は家をついで欲しい、といってましたが、もし、継いでたら、すぐ倒産してたんじゃないかな」と笑う。
 大阪芸術大学では、在学中に「集大成」として個展を開いた。「自分の力を世間に問いたかった」からだ。その時、個展会場を訪れた画家、河野芳夫と出会い、人生を変えた。知り合って数日の内に河野の家に住み込み、制作を手伝うようになる。ニューヨークを知っている河野から「ニューヨークのスケールの大きさ、パワー」などをきかされニューヨーク行きを勧められた。
 「本当は国内でやりたかったんです。でも当時の日本は年功序列など、一部には実力以外のものが重視されていたんです」と77年、27歳のときに渡米を決意した。美知代夫人と子どもを置いての「単身赴任」だった。
 ソーホーに居を構え、エリザベスカーティアズ奨学金を受け、アート・ステューデントリーグで学ぶ。世界中から集まった芸術家がしのぎを削る本場で、自分の絵画も変化を遂げた。版画、絵画から彫刻、モニュメントへと必然的に広がった。ナムジュン・パイク、 ブライアン・ハントなどと知り合い才能をさらに進化させた。
 「爆発したのは50歳を過ぎてから」というように、アクリルや水彩で描いた回旋シリーズで幾何的なバーチャル空間を生み出すなど、平面と立体による試みが一挙に花開き「空間のコンダクター」といわれるようになった。実は92年から95年まで、地元の中國新聞の文化欄にニューヨークのトップアーチストをインタビューし、寄稿してきた。「普段は会えない人にあって、芸術論を聴けるんですから」と以後の自分の作品、生き方に大きなインパクトを与えた。
 作家は絵を描くことがすべて、あえて趣味といえるものはない。毎日、コツコツと作品作りをしてるのが、至福の時だという。=文中敬称略=
(吉澤信政記者)