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 よみタイムについて
 
 
よみタイムVol.104 2009年1月9日号掲載
デザイナー 川崎 賢二さん

「生地作りがボクの原点」
シームレスのジーンズを開発


ストリートからも見える店内
AMOSKEAGXX.COM
(96 Orchard St. NYC)

 マンハッタン最後の再開発地区ともいわれ、古くからの移民たちが、自家製のピックルスの甕(かめ)を店前に並べて量り売りしているかと思えば、目と鼻の先にはモダンなギャラリーやバー、お洒落な洋服屋にカフェが並び建つ。
 渾然としたローワーイーストサイドの一角、移民の博物館テネメント・ミュージアムの目の前にお洒落なファッション店がオープンした。
 オーチャード・ストリートにあるこの店の名前は「Amoskeag XX」。「アモスケーグ・エックスエックス」と読む。オーナーは新進気鋭のデザイナー川崎賢二さん。
 現在ふたつの会社を持っている。ひとつは店の名前と同じ「Amoskeag XX」、もうひとつは「Design Works 1965 Ltd」(デザインワークス1965リミテッド)。
 デザインワークス社は、元々生地のデザイナーである川崎さんの生地製品を製造・販売する素材会社であり、アモスケーグ社は、その生地を素材として作り上げた洋服全般の小売を行う会社である。
 川崎さんが作る生地は、有名ブランド「ラルフ・ローレン」から「なくてはならない素材」として高く評価され04年にニューヨークに正式に進出するきっかけともなった。今では米国の有名ブランドはこぞって彼の生地を使うようになった。「生地作りがボクの原点」と言い切る。
    ◇
 宮崎県都城市出身。ファブリックの会社から「学校もいいけど現場で学んだ方が早い」とスカウトされて生地業界に。初めは日本全国の現場を回った。「合繊ならここ、綿、ウールはあそこ」というように生産地は違う。そのため各地を回りながら素材別に勉強して「モノづくり」の基本を貪欲に吸収した。
 生地の世界は、洋服はもちろんクルマの内装やカバンなどにも使われるほど人間生活とは密着している。「ライフスタイルを提案する」ような生地作りを目指そうと心に決めた。
 初めてニューヨークを訪れたのは99年。「自信はありましたね。絶対通用すると思った」。どこへ行っても「こんな生地見たことない、と興奮気味に話してくれるんです」手ごたえが嬉しかった。ところが高い評価は得るが、なかなか初めはビジネスに結びつかない。「日本品は高かったんですよ。ちょうど中国が参入してきた頃のこと。取引相手を超高級ブランドに絞り込んでいったんです」。
 価格の問題をどうにかクリアして、アメリカでは、ラルフ・ローレン、ケイト・スペード。ヨーロッパでは、グッチ、プラダ、ヴィトン、クリスチャンディオールなどと取引するまでになる。
 正式に会社をユニオンスクエアに設立したのが04年、4年間の駆け足で着実に地歩を固めた。
 デザインするイメージは、日本の契約工場に伝えられ、やがてサンプルが手元に届く。「この業界、長いですから右手で触ればたいがいのことは分かるんですよ」と目を細める。確かな判断力で、右手指が「よし」と納得したものだけが製品としての最終工程に回る。
 アモスケーグXXは12月16日、ABCテレビで紹介されたが、目下世間の耳目を集めているのはジーンズ。
 なんと筒状に織られていてシームレス。「世界でも初めてだと思いますよ」。ニット製品では筒状に編み上げるのは当たり前だが、ただでさえ縦糸と横糸で織る生地は難しい上、デニムを筒状に織るということは至難のわざ。しかし、どうしてもシームレスで本藍のインディゴ染めでやってみたかった。「体にフィットするジーンズ」ということでたちまち固定客がついた。
 「新しいジーンズはニュー・シュリンク・ツー・フィットと呼んでます。太もも、ふくらはぎのシルエットが全然違う。ねじれを逃がさないで足に馴染むんです。それに手染めの本藍なので見た目に美しい色合い」という。現在パテント申請中だ。
 「中学の時に打ち込んだバレーボール部での体験がボクを強くしてくれたんです」と懐かしそうに話す。「鬼」のように厳しい監督に率いられたチームの練習のきつさは半端ではなかった。その甲斐あって宮崎県代表として東京で行われた全国大会にも出場する。このころの「血のにじむようなトレーニング」で「負けない」という強い気持ちを身につけたという。
 「これが今でもボクの基盤になってるんです」。
50歳まであと7年、ライフスタイルの提案型デザインに全身全霊を傾ける。「店は西海岸、カナダ、ヨーロッパなどで、あと5店舗くらい増やしたいな」と力強く笑った。    
(塩田眞実記者)