2018年12月21日号 Vol.340

形文化の再評価を
精神の荒廃救うもの

塩田眞実


何年もの間、筆者はニューヨーク市で日本武術の一つである「新陰流兵法(しんかげりゅうひょうほう)」をアメリカ人に教えてきた。 「教える」という言葉はちょっと傲慢で、実際は、メンバーと共に日々学んできたというのが正直なところか。私たちがしていることは、徒手で行われる空手や体術とは異なり、日本刀を操作して行う日本古来の武術「剣術(けんじゅつ)」を基本としている。剣を持って相手と戦う技術と言えばそれまでだが、その技法は、相手を制圧することに主眼を置き、手強い相手をいかにして拘束するかということに腐心する体術的要素を多分に含んだ剣法である、ということが言える。それが証拠に、新陰流兵法から多くの体術関係の門流が枝分かれしていることからも窺える。

日本の歴史をふり返ると、銃火器が戦闘の主力となる以前、ほとんどの刀剣技法が15世紀から16世紀に完成したと言われている。日本のチャンバラ映画に精通している方なら、よく耳にするはずの「柳生流」とか「柳生新陰流」というのが、まさに私たちが学んでいることである。しかし、実際には「柳生新陰流兵法」という名称は誤りで、上州の武将で上泉の領主であった創始者の上泉秀綱(後年、信綱と改名)が16世紀に創始して以来、一貫して「新陰流兵法」が正式名称となっている。新陰流兵法は、その後の剣術各流派のほとんどに大きな影響を与えた日本の剣術の源流ともいえる流派である。
講談や映画でも取り上げられることの多い、柳生石舟斎が新陰流2世を継ぐと、その子柳生宗矩が徳川将軍家剣術指南役に抜擢され、その後、幕閣に連なることで新陰流の名は一躍表舞台に登場することとなる。一方、新陰流兵法の本流は尾張藩に伝えられ、幸いなことに明治維新も太平洋戦争も無事にくぐり抜け、現在も筆者の師匠である渡辺忠成氏の主宰する「新陰流兵法転(まろばし)会」において、その技法も思想も丸ごと正しく伝えられている。
では、新陰流の剣術と現代剣道とは一体どこが違うか。ひと言で言うならそれは新陰流の剣術が膨大な量の「形」(かた=新陰流では太刀と書く)で構成されていて、競技剣道とは全く似て非なるものであるという点だ。修行者は膨大な数の「形」を修得しなければならないが、この学習方法は戦国時代から現代まで変わらない。
創始者・上泉伊勢守秀綱ついての詳細なエピソードについて触れるのは、また別の機会に譲るとして、この小コラムで紹介したいのは、このテクノロジー万能の時代に、500年前の剣術を学ぶことの意義を、今日の、21世紀の日本でも有形無形の伝統文化の中で、肩身の狭い思いをしながらも連綿として生きながらえている「形文化(かたぶんか)」の意味をあらためて伝えたい、問い直したいと考えるからだ。
日本で生まれた剣の技を学んでいるとは言え、日本刀の切れ味は非常に鋭く、稽古に使ったら生命がいくつあっても足りないことになる。木刀もしかり。そこで、創始者・上泉秀綱自身が考案した「袋撓(ふくろしない)」という現代剣道で使われている竹刀の原型となったものを使う。刀剣の代用品で、これを使っている限り、誰も重傷を負うことはない。手頃な淡竹(はちく)や真竹(まだけ)の先端を四つ、八つに割って、それを漆塗りの革の鞘に入れて、それをそのまま日本刀や木刀の代わりに使用するので、茶道具の茶筅とまではいかないまでも大怪我を負うことはまずない。

さて、形文化とは何か?それはいわゆる 「フォーム・プラクティス」が稽古の主体となっている。まず、フォームの実践の本質について触れてみたい。言い換えれば、多かれ少なかれ、日本の多くの伝統文化のうち、茶道、花道、書道、能、歌舞伎、日本舞踊などの無形文化で、「形」は代々受け継がれる技術の規範の中心として存在している。それらの基本的な拠点となっているものが「形・型」であり、とくに剣術に限定されるものではない。
言うまでもなく、日本文化自体は長い歴史のなかで培われ、文化そのものが形文化そのものであるとも考えられる。今日、報道メディアを賑わせる日本の精神の荒廃は、この形文化の崩壊によって引き起こされたのだと筆者には思われて仕方がない。
家庭では両親が、どのように行動しなければならないかを子供に示すことが希薄になり、社会は未来への道を失ってしまったように見える。テクノロジーの急激な発展以来、私たちの社会が予想以上の変貌を遂げつつあることは周知のことだ。資本主義、社会主義、民主主義、ポピュリズム、いずれのタイプの社会構造要素にも現在信頼を置くことができないのが現状ではないだろうか。かの聖徳太子が喝破した、「世間虚仮、唯仏是真」の言葉がひしひしと身にしみる時代とはなった。
第二次世界大戦後、個々の人格は特に尊重されるべきであると認識されるようになり、多様性の中で共に生きるという価値観が定着した。これは素晴らしい考えに違いない。
しかし、反面、私たちは世界中の暗いニュースに取り巻かれ呆然とするばかりではないか。日本国内のニュースだけを見ても、例えば、学校でのモンスター・ペアレントと呼ばれる親たちの台頭とか、子供同士のいじめ、子の親殺し、子供の自殺、高齢者をターゲットとする詐欺、教育者や役人のスキャンダルなど、枚挙にいとまがない。筆者には、それらの現象が社会的モデルの喪失と核家族の結果ではないかと思われてならない。家族の 「形」というものの崩壊がもたらした結果と確信している。
さらに世界では、毎日多くの異なる宗教・民族紛争が後を絶たない。「馬子にも衣装」という言葉があるが、形の上だけだって正装すればどんなガキ大将でも少しは態度があらたまる。教育の中にこれを取り込み、一旦型にはめた上で、個性や天性を見抜いてやり伸ばしてやることが肝心な教育である、と思うのだ。戦後「個性尊重」がもてはやされたがそれは単に「自我の尊重」を助長しただけではなかったのか、ということが自戒も込めて胸に去来する。

新陰流兵法では、稽古は形の学習から始まる。自由に打ち合う、いわゆるスパーリング方式の稽古はしない。理由は簡単、ただ勝ち負けだけを競うスパーリング方式では本当の技の向上は計れない上、本来あるべき技の本質から遠ざかってしまう恐れが多分にあるからだ。一方、仮に見学者の目に、真剣に激しく打たれている修行者がいたとしても、それは「形」の範囲内なのだ。
この「形稽古」とよばれる練習で技量の向上を目指すわけだが、形がしっかりと身についていない場合、基本的に保護防具を着用しないため、形稽古と言えども怪我をする可能性は充分にある。気がぬけない。しかしその故に、新陰流兵法のある一定のレベルに達すると、150〜200種類の「勝ち口」が身についていることになる。人格も自然に磨かれ謙虚さも身につく。ともあれ第一に、形を徹底的に学ぶことが重要、という教えが新陰流兵法の大きな特徴となっている。
子供たちの個性を育てるとき、個性尊重とばかりに放任することは、私が私がといって生きる自我(自分中心)の存在があまりに前面に出るケースを助長することにもつながり、社会に出るときや、他人との接触の中でしばしば葛藤を作り出してしまうことになりかねない。子供たちが成長した後、彼らが正しい決定を下すことができるように指導することこそが重要な教育で、周囲の大人や社会は子どもたちに社会の中の一員として生きる「規範」つまり、形を示さなければならないのではないか。

新陰流の形の名前の多くには、仏教の禅用語が冠されている場合が多い。その多くは中国の禅の考案書「碧巌録」から引用されている。日本の剣術は基本的に、世界でも希な両手操作だが、まずもっとも基本的な姿勢を保つ形に名前がある。両手で剣を「鷲掴み」し、丹田に気を集めた姿勢で、わが身体の中心線(人中路と呼ぶ)に自然に垂れ提げる形だ。
その名前を「無形の位」という。それはまだ形作られていない形以前の形なので「何もない」というのと同等だ。 「空」や「無我」の教えは、禅だけの狭い領域だけでなく、その基礎である仏教の核と等しいのであって、新陰流の「無形の位」は、言わば極意を体現する形とも考えられている。「空」とか「無我」というのは、実際に私はここに生身をもって存在しているのだが、普遍性を持った実体的存在ではなく、我々人間に限らず、一切のものは実体を持って存在しているのではないと気づくべきなのである。実体を持って存在しているものは一つも無いということを知ることが仏教の根幹であり、「空」の思想がそこにある。つまり一切は関係性の中に生じ、ありえているというのが仏陀の悟りであり、私たちはその悟りを生活の中で実現するために、また人生の答えを探すために、もう一度自身に問わねばならないのではないだろうか。「私たちはどこから来て、どこに向っているのか?」
形文化の価値について再考し、形を身につけ形を削ぎ落とすように、一旦自分を否定した上で新たな自分と出会う、そのこと以外に我々の将来の救いはありえない。(塩田眞実)

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