2019年11月15日号 Vol.362

社会の不正を作品で暴く
制度批判のアート
ハンス・ハーケ回顧展


Schapolsky et al. Manhattan Real Estate Holdings, a Real-Time Social System, as of May 1, 1971, 1971. © Hans Haacke / Artists Rights Society (ARS), New York. Courtesy the artist and Paula Cooper Gallery, New York


Taking Stock (unfinished), 1983-84. © Hans Haacke / Artists Rights Society (ARS), New York. Courtesy the artist and Paula Cooper Gallery, New York. Photo: Dario Lasagni


この一年、ニューヨークのアート界は、美術館の理事やアート助成をめぐる問題で大きく揺れ動いた。アメリカの美術館は、日本とは違って国や地方自治体の財源に頼るわけにはいかない。展覧会、作品購入、増改築のたびに企業や個人に資金援助を仰ぎ、それら名前を冠したギャラリーが出来たり、館長や学芸員のタイトルにまで有力コレクターの名が冠されたりする。だが、芸術の庇護者がブラック企業の長であったとしたらどうだろう。
アーティストは断固、立ち上がるのである。分かりやすい例が、大企業「フィリップモーリス」のアート界からの追放であり、タバコの有害性が証明されるや、フィリップモーリス協賛の展覧会に出展を拒否する作家たちが続出した。最近では、トルコのデモ隊制圧やメキシコからの移民制御に使われているという催涙ガスの製造元「サファリランド」の経営者が、ホイットニー美術館の副理事長の座を追われることになった。この春のビエンナーレ展の最中、副理事長の退陣を要求して8名もの作家が展示作品の撤去を申し出たからである。
美術館の成り立ちに関する問題は、社会正義や倫理上の点ばかりか、展示・収蔵にもとづく作品の価値付けにも疑問を投げかける。19世紀半ば以降の「モダンアート」の系譜では、欧米の作家、さらに男性作家中心の評価が長いこと続いてきた。近年では、「多様なモダン」の見直しが進み、その集大成ともいうべき展示が新装MoMAのコレクション展に見て取れる。では、美術館の観客とはいったい誰だろう。誰にでもオープンとはいえ、20ドル前後の料金を払って美の鑑賞に時間を費やせる人々とは?
ドイツ生まれで、1965年よりニューヨークで制作する作家ハンス・ハーケ(1936年〜)は、早くからこうした問題に注目してきた。代表的なシリーズに、美術館や国際展の観客に向けたアンケート調査があり、今回のニューミュージアムの回顧展においても、年齢や学歴、居住地、アート界との接点や政治信条に関わる意見を選択する匿名調査が実施されている。
アイパッドに打ち込まれた回答は即時に集計され、モニター画面に提示される。11月7日現在の観客層は、アーティストを含め、何らかの形でアートと関わりのある者が6割を超えていた。この数字はおそらく、ニューミュージアムならでは、いや「制度批判のアート」のゴッドファーザーたるハーケならではの集客率だろう。
制度批判のアートとは、美術の成り立ちをアート界という内部から捉え直し、疑問を呈する取り組みである。古くは王侯貴族や教会の所蔵品であった美術品は、現代では、美術館やコレクター、商業画廊、美術大学、オークションハウスといった相互に繋がった美術制度の中で評価され「取引」されていく。文化行政という名目で、政治や経済とも結びつく。
そうしたアート作品の背後にある情報を収集し、写真やグラフ、テキストによって発表するハーケの作品は、読む部分が多いにしろ、目から鱗の面白さだ。サッチャー元英国首相の肖像画では、書棚の上の絵皿に大手広告代理店「サーチ&サーチ」の創業者の顔が見える。二人は、サッチャー政権誕生に一役買った選挙キャンペーンの仕掛け人であり、鉄の女による国営産業の民有化によって広告事業を拡大させ、やがて大物コレクターとして90年代ロンドンの若手作家グループ「YBA」の台頭を促す。作品の大量買いと放出によってアート市場さえも操っていく。
ハーケの代表作といえば、142枚のモノクロ写真がずらり並ぶ、通称「シャポルスキーほか数名」だろう。マンハッタンの不動産登記簿を頼りにハーレムやローワーイーストサイドのアパートビルを調べ上げ、当時のスラム街の家主として70を超える不動産業者にたどりつく。ところが、業者はすべてシャポルスキー一族が経営する架空会社だったのだ。度重なる売買によって脱税まがいの操作をし、実際の家主を隠匿することでアパート管理を怠っていたという。
社会の不正を暴くこの作品は、美術品売買にもある不透明な取引や所有権とも重なって、何やら底深い作品と思えないこともない。71年、弱冠34歳でグッゲンハイム美術館での個展を約束されていたハーケだったが、この作品を含む数点の過激性によって、展覧会は急遽中止された。同館の理事にシャポルスキー家に近い人がいたという噂だったが、それは事実ではない。いずれにしろ、ハーケ作品はその後も物議を醸しつつ、制度批判のアートの種を蒔いていく。いまの時代にこそふさわしい、伝説の作家の回顧展である。(藤森愛実)

Hans Haacke: All Connected
■2020年1月26日(日)まで
■会場:New Museum
 235 Bowery
■大人$18、シニア$15、学生$12
 メンバー/15歳以下無料
www.newmuseum.org



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