2020年11月13日号 Vol.386

レビュー「海山 たけのおと」
「竹」に魂を吹き込んだ「ガイジン」

海を渡り、山に帰る。邦題にある「海山」は、ジョン・海山・ネプチューンの尺八奏者が持つ雅号であり、作品の随所で、スクリーンに映し出される波や竹林を象徴している。ジョンは若い時、サーフィンに熱中したが、尺八と出会って日本へ移住する。時代は1970年代、日本では外国人が「ガイジン」と呼ばれる頃、日本の伝統楽器に真っ向から取り組み、「竹」に魂を吹き込んだ。(文:河野洋)

※映画あらすじ・概要はこちら


アメリカ人尺八師範のジョン・海山・ネプチューン (All photos ©2019 OCEAN MOUNTAIN, LLC)

今の時代、尺八と聞いてもピンと来ない人も多いかもしれないが、外国人にとってすら計り知れない日本の古典楽器をマスターしたジョン。誰も思い付かなかったジャズまで演奏し、1980年には外国人アーティスト、ジャズアルバムでは初の文化庁芸術祭優秀賞を受賞する快挙を成し遂げる。また、「古典音楽では、尺八の楽器の可能性を広げることができない」と、自ら作曲を始め、インド楽器奏者たちとも創作。民族音楽の世界でも「尺八」の名を知らしめた尺八奏者の革命家なのだ。

尺八に情熱を注ぐジョンは、竹林の中に家を建てる。竹に囲まれる生活の中で、一流の製管師となり、自分の楽器のみならず、竹のマリンバ、スライド尺八、竹のパーカッションといった独創的な楽器を次々と作り出していく。その打ち込みようには、圧倒されるばかりだ。

そんなジョンの偉業と一途な彼の素顔を、彼を支えた家族や業界仲間の尺八奏者、演奏家たちが、客観的に検証する。音楽家、演奏家の彼と並行して映し出されていくのが、夫であり、父であるもう一人のジョン海山ネプチューンである。そして、この作品を撮影、監督、プロデュースしているのが、実の息子デビッド・ネプチューンだ。


息子のデビッド(左)とジョン

型にはまらない、独創性豊かな父。映画の中で三好芫山師範(尺八)が、「芸術は孤独」と語るように、ジョンにとって「演奏家」と「父親」は相容れないものだったことが容易に想像できる。尺八の研究や演奏に没頭する父を見て育った子どもたち。尊敬する一方で、一緒にいられないという寂しさ。子ども心にも辛かったという気持ちが、フレームのところどころに散りばめられている。実の両親と姉にカメラを向けるデビッド監督にとって、「父を理解する」ことで、心の隙間を埋めようとしていたのではないだろうか。

英題の“Words Can't Go There”とは文字通り、言葉では「ソコ」に達することができないという、尺八の素晴らしさを表したジョンのセリフだ。国や文化の違いを越えて日本に渡り、ゼロからスタートしたジョン。尺八のことだけに集中し、継続したことで、光を見い出した実体験を如実に表している。


ジャンルを越えて音楽を創造する

このドキュメンタリー映画には音楽、尺八、自然、人々、そして、家族の愛が詰まっている。「自分は幸せ者で、この人生に悔いはない」と話す、凛とした姿のジョン。その表情を見ていると、映画全編に響き渡った尺八の音色が、より心地よく、より深く魂に語りかけてくる。

2018年3月、私は偶然にもジョンの演奏を聴く機会に恵まれた。今回、改めて同作を観て、あの人懐っこい、陽気なジョン海山ネプチューンの尺八が再び聴きたくなった。尺八は生命の息吹。その一音一音に物語があることを知ったように思う。


『海山 たけのおと』(英題:Words Can’t Go There)
上映時間:89分
2019年/アメリカ・日本/カラー
監督:デビッド・ネプチューン
プロデューサー:デビッド・ネプチューン、柳本千晶、マイク・マクナマラ
エグゼクティブ・プロデューサー:M.F.マクナマラ スージュン、駒井尚文
撮影:ベネット・サーフ、デビッド・ネプチューン
音楽:ジョン・海山・ネプチューン
編集:デビッド・ネプチューン、出野圭太
配給:Ocean Mountain, LLC
公式ウェブサイト:https://projectkaizan.com
©2019 OCEAN MOUNTAIN, LLC


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