2021年9月17日号 Vol.406

古い校舎を改装
作家の遺志を継いだ人々の夢
新アートセンター「キノサイトウ」

「KinoSaito」正面 Photo by Manami Fujimori

マンハッタンから北へ車で1時間余り、ハドソン川沿いの町に新しいアートスペースがオープンした。抽象画家で、舞台美術の仕事でも活躍した日本人アーティスト、斎藤規矩夫(さいとう・きくお、1932〜2016)の遺志を継ぐアートセンター、その名も「キノサイトウ」の完成である。

もと学校だったという2フロアの建物を改装したスペースが、まずは素晴らしい。天井高のギャラリーやパフォーマンス用シアター、滞在作家のスタジオほか、ありし日の教室そのままの部屋や小さなカフェもある。煉瓦造りの頑丈な外観に比して、内部は全体に柔らかさ、優しさが広がるエアリーな空間だ。画家の存在が感じられる空間とでもいおうか。



私は実は、生前の斎藤に一度だけ会っていた。もう10数年前、知人の演出家の紹介で、ヴィレッジのラ・ママ実験劇場でお目にかかる機会があったのだ。「規矩夫さんはすごいのよ。ラ・ママの生き字引なんだから」とのことだったが、私はまだその伝説の存在に気づいていなかった。

Installation view of Kikuo Saito’s Theater Paintings. (All images: Courtesy of KinoSaito. Photo by Jody Kivort)

そして、この春、ローワーイーストサイドの注目画廊から案内が届いた。キクオ・サイトウの個展開催の告知である。ここ数年、ニューヨークの画廊では、長年この地を拠点に制作する日本人作家の紹介が相次いでいる。その度に、これほどの作家がいたのかと驚かされる思いだったが、言葉や記号、モチーフが飛び交う斎藤の抽象画もまた圧巻だった。思いがけずの大作でラフな筆触ながら、画面にはどこか抒情的な要素もある。

こうして、作家がすでに他界した後で、改めてその存在に瞠目することになったわけだが、新設の「キノサイトウ」の広々としたギャラリーに並ぶ一連の「シアター絵画」と「雲の絵画」。その絵肌はいよいよ息づいている。まさに水を得た魚のように、この場所が自分の世界だと言わんばかりだ。画面はどれも堂々と、美しく、柔和な光を浴びている。

A view of The Theater

思えば、画家にとって一番の幸せとは何だろう。制作場を確保すること、作品を保管できるだけの十分なスペースを維持すること、そして何より理想的な環境で自分の作品を永遠に展示できること。だとすれば、この「キノサイトウ」は、まさしく作家本人と、その遺志を継いだ人々の夢の実現だ。

もとよりこのセンターは、通常見られるようなアーティストの個人美術館ではない。オープン記念の展示こそ、ギャラリーは斎藤の絵画で埋まり、2階のシアターには、1996年初演のダンス劇「トイ・ガーデン」(妻でダンサーだった故イヴァ・メイアーとの共作)の再演が登場するが、今後は、ギャラリーの一室では新進作家や滞在作家の作品展が企画され、シアターは、ジャンルに捉われないアートやパフォーマンスの実験場となる。また、100年続いたという校舎の名残りを生かして、地域住民や子供たちを招いての絵画教室の計画もあるという。

Alexandra Rojas, a residency artist, working in her studio.

制作ばかりか、こうした広いアート活動に興味を示していたという斎藤。そのルーツはやはり、1966年にニューヨークにやって来て以来、カラーフィールド絵画の画家たちのスタジオで働いたり、ラ・ママの創設者エレン・スチュワートに見込まれて舞台デザインの仕事に取り組んだりと、多くの人々と繋がり合って生きてきたことにあるのではないだろうか。彼を慕う若手作家も多かったという。

その意味で、900平方フィートの広さにバスルーム・キッチン完備、中2階にはベッドまである滞在作家用のスタジオは、まさに作家目線でデザインされた羨ましい環境だ。現在は招待制だが、ゆくゆくは公募で選ばれた作家二人が、6週間に渡って制作する。

ともあれ、新アートセンター「キノサイトウ」は、メトロノースのハドソン線ピークズキル駅からタクシーで数分の距離。近隣には、「ディア・ビーコン」やイタリアのアルテポーヴェラの展示で知られる美術館「マガズィーノ」があり、アート好き必見のエリアとなりそうだ。(藤森愛実)

Painting as Performance/Performance as Painting
Kikuo Saito: Cloud Paintings
■11月14日(日)まで
■会場:KinoSaito
 115 7th St., Verplanck, NY
■入場無料
www.kinosaito.org


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