2021年5月28日号 Vol.398

アートと建築が溶け合う空間
開かれたオアシス
「サロン94」

Installation view, Huma Bhabha, Facing Giants, 2021. Courtesy of the artist and Salon 94, New York. Photo: Dan Bradica

昔々、憧れのニューヨークにやって来て美術史を学んでいた頃、夏休みには誰もがやるという無償のアルバイト「インターン」の初の受け入れ先となってくれたのが、アップタウンの美術館「ナショナル・アカデミー・オブ・デザイン」だった。グッゲンハイム美術館のすぐお隣で、アカデミーの名の通り、伝統的な絵画・彫刻の学校でもある。地下に広がる資料室の整理を任された私は、短期間ではあったが、いそいそと通ったものだった。

ところがこのアカデミー、近年は、経営難もあってか、所蔵品の一部を競売に付すという動きによって美術界の顰蹙を買い、2年前には閉鎖。組織としての活動は継続しつつも、3棟からなる歴史建築は売りに出されてしまう。その一つ、東89丁目側に入り口を持つ建物を購入したのが、ニューヨークでもちょっとユニークな画廊「サロン94」のオーナー、ジーン・グリーンバーグ・ロハティンだ。



ロハティンは、東94丁目の自邸の一部を画廊として公開し、ダウンタウンにも「サロン94フリーマンズ」なるスペースを構える。バリバリの現代美術はもとより、早くから「焼き物」的セラミックアートの紹介に努め、近年は家具などデザイン分野にもフォーカス。そうした多彩な活動の拠点となる今回の新スペースは、まさにアートと建築デザインが溶け合った優雅な空間だ。

Installation view, Magdalene A.N. Odundo DBE, New Work, 2021. Courtesy of the artist and Salon 94, New York. Photo: Dan Bradica

もともと1910年代に設計されたタウンハウス「ハンティングトン邸」の一部であり、優美な螺旋階段や天井回りの建築装飾など在りし日のままに復元されている。功労者は、有楽町の東京国際フォーラムの建築でも名高いラファエル・ヴィニョリだ。実際、アカデミー時代の暗さ、古臭さは一掃され、なかでも一等素晴らしいのが、2階のストーン・ルームだろう。

市松模様の大理石の床、アーチ型の窓も美しいこの展示室に実直に佇むのは、フマ・ババ(1962年、カラチ生まれ)の巨大な彫像「レシーバー」だ。高さは2メートル半。が、天井高5メートル超のこのギャラリーにあっては、「巨人」の威圧感は微塵もない。耳が立ったその風貌から、何やらひょうきんにも思えるほどだ。

ババといえば、昨年は、メトロポリタン美術館恒例の「ルーフガーデン」プロジェクトに登場し、話題を集めた。モニュメントの歴史や権威を打ち消すような、グロテスクな人物像で知られ、今回の新作展にも、マントに身を包んだ不穏な尼僧の姿や、奇妙な宇宙人を思わせる像が含まれている。が、「犬?」と思しき白い彫刻もあり、全体にユーモアと暖かさが漂っている。

優雅な螺旋階段は、在りし日のハンティングトン邸のままに Photo by Manami Fujimori

3階に広がるのは、イギリスの陶芸家マグダレーン・オダンドウ(1950年、ナイロビ生まれ)の新作展だ。オダンドウはケニアやインドでグラフィックアートを学び、陶芸に目覚めたのはイギリスに移ってから。が、英王室からデイム(男性のナイトに匹敵)の称号を受けるなど、今や巨匠クラスの存在だ。

私には初めて見る作品だったが、まずはその色合いから、古代ギリシャの壺を思わせる。もとより神話の場面が描かれているわけではない。が、素焼きのテラコッタの鮮やかなオレンジ色、黒が混じった焼成テラコッタの朧な抽象のモチーフなど、いずれも滑らかな肌合いと色自体が魅力的だ。基本的に左右対称だが、いくつか首を捻った形には瓢箪や動物のイメージもある。

いや、彫像であれ、壺であれ、無言のアートをこれほど雄弁にさせているのはやはり、第一級ともいうべきロハティンの展示空間の演出だろう。正直なところ、コロナ禍のこの時代にこんな贅沢なスペースがあってよいものかと、ふと心配にもなる。が、この空間はインバイティング! 誰にでも開かれたマジカルなオアシスだ。(藤森愛実)


Huma Bhabha: Facing Giants
New Work by Magdalene A. N. Odundo DBE
■6月26日(土)まで
■会場:Salon 94
 3 E. 89th St.
■無料
www.salon94.com


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