2021年4月30日号 Vol.396

ディア・チェルシー再開
屋内で観るランドアートの雄大さ
「ルーシー・レイヴェン」

Dia Chelsea entrance. All photos by Manami Fujimori

久々にチェルシーを歩くと、ハイラインの周囲に林立するビル群の醜悪さにめまいがするほどだ。奇を衒ったデザインの高級マンションがこれでもかと建ち並び、ふと、チェルシーのアートシーンは生き残るだろうかという思いに駆られる。そんなチェルシーに救世主のごとく現れたのが、ご存知「ディア」の新スペースだ。

ディアといえば、ハドソン川流域にある「ディア・ビーコン」が有名だが、もともとのディア、つまり懐かしの「ディア・アート・センター」は、まだ画廊街ではなかった頃のチェルシーが出発点だった。1987年、西22丁目の11番街寄りにオープンした当時のセンターは、間口の狭い4階建てのビルで、階段の踊り場にはダン・フレイヴィンの蛍光管のアートが輝き、屋上にはダン・グラハムの透明なパビリオンがあった。



この頃すでにディア財団の生みの親、フィリッパ・ド・メニル(ヒューストンの石油財閥一家の娘)とその夫でドイツ人のアートディーラー、ハイナー・フリードリッヒは伝説の人となっていた。というのもこの二人、70年代に盛んになったランドアートやアースワークなど、いわば自然の大地で存続する巨大アートに入れ上げ、作家たちのプロジェクト実現に向けて湯水のように資金を使い果たし、財団から追い出されてしまっていたからだ。

Lucy Raven, Ready Mix, 2021

とはいえ、通常の美術館展示を超える「拡張する」アートの支援に奔走した二人の思いは、ディア・ビーコンの巨大スペースに広がるコレクション展示を見れば一目瞭然だろう。チェルシーの新スペースもまた、いたってシンプルな作りとなっている。創設当時のビルの向かい側、同じ西22丁目にある二つの平屋の建物がスムーズに繋がり、天井の豪快な梁やレンガの壁は剥き出しのまま。スカイライトの自然光も美しく、まさにアンチ「ホワイトキューブ」(美術館の展示室に典型的な窓のない白壁空間)を実践している。

オープン記念の展覧会に登場したのは、1977年テキサス州ツーソン生まれの作家ルーシー・レイヴェンだ。手前のイーストギャラリーには、キネティックな光の彫刻ともいうべき空間インスタレーションが広がり、奥のウェストギャラリーには観覧席付きの巨大スクリーンが設置され、約45分の新作映像「レディ・ミックス」が延々上映されている。

どちらも一見、地味な作品と思えるかも知れない。が、私はハマってしまった。ゆっくりとした光の動きであれ、工業地帯を思わせる映像の流れであれ、しばらくの間、目を離すことができない。実際、何が何だか分からないのだ。光の動きは、おそらくコンピュータ制御でシステム化されているのだろう。監視カメラの動きや劇場のスポットライトと結びつけて解釈する人が多い中で、私には月の満ち欠けなど自然現象が思い浮かんだ。これは、あまりにロマンチックな読みだろうか。

Lucy Raven, Casters X-2 + X-3, 2021

一方、映像作品の中身はといえば、採石場かどこかの工場なのか、ここでもアントニオーニの映画「赤い砂漠」や、日本の「キューポラのある街」など、個人的な思いを投影させてしまうのだが、種を明かせば、アイダホ州のとある町の郊外に広がるコンクリート工場を捉えたもの。小石や砂、ミキサー車のクローズアップから、超俯瞰の荒涼とした風景まで、抽象的なイメージを紡ぐカメラワークが崇高なまでに美しい。

二つの作品ともスケールが大きい。作品の意味は、時間とともにゆっくりと、見る者自身の内的対話の形で湧き上がってくる。光や音、イメージによって、展示空間そのものを強調する作品とも言えるだろう。いや、ランドアートの雄大さを持ち合わせた作品として、ディア・チェルシー再開を記念するアート展にこれほどふさわしい作品はないかも知れない。

もとより、女性作家の起用自体が注目だ。ディアといえば、ミニマルアートやコンセプチュアルアートの殿堂として、これまでは白人男性作家のオンパレードだったが、ここ数年、女性作家やアジア人作家の作品収蔵が増えている。そんな新しい方向性と創設当時の心意気に満ちた軽やかでシンプルな空間。たとえ周囲を取り巻くのは、有名建築家によるデザイン重視のビル群だとしても、アーティストのためのアート空間を貫くディア精神はいまも健在である。(藤森愛実)


Lucy Raven
■2022年1月まで
■会場:Dia Chelsea
 537 W. 22nd St.
■無料
www.diaart.org


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