2018年4月13日号 Vol.323


好きなこと続け周囲を幸せに
異例のF-1からO-1へ
映像ディレクター/映画監督 リリー・リナエ



先駆者たちの声(Voice)を聞き、ヴィジョン(Vision)を描き、活力(Vitality)を発揮して、ヴィクトリー(Victory)を掴もう! アメリカでチャレンジするための必読バイブル「ザ・V・ファイル」!


ビジュアル・アーティストのリリー・リナエ。18歳で生まれて初めてミュージック・ビデオを制作した時、彼女は直感した。「私はこの仕事を一生続けていく!」。今でも昨日のことのように鮮明に覚えているという、この決意にも近い思いは、今アメリカに立つ、ありのままのリリーを形成している。

 台湾人の両親を持ち、台湾に生まれたリリーは親の仕事で1歳の時に日本へ渡る。家では全て台湾語、夏休みになると親戚一同がいる台湾に遊びに帰るというサイクルに「私はどこに所属しているのかしら?」と、幼い頃は心をざわめかせた。
 高校に入ると兄の影響から、英国のハウス、テクノと言ったダンスミュージックにのめり込み、ファットボーイ・スリム、ケミカル・ブラザース、アンダーワールドなど、英国のアーティストたちのビートに大いに触発される。「ダンス・テクノが好きになった理由は、ポップスやロックみたいに歌詞が前に出てきたり、何かの楽器が目立ったりしない、楽器が横一線に並んでいる感じがするからですね」
 そんな彼らのミュージックビデオ(MV)を見ているうちに、今度は映像に興味を持った彼女。当時流行っていたアップルのコマーシャルに憧れ、小さなクラブで撮影した映像をつなぎ合わせて、MVを完成させる。「音と絵はつながっている」。そう確信した彼女は、自己表現の手段として映像に関わる仕事に携わっていくことを決意。言葉や人と人との壁を乗り越えられる映像をクリエイトしたい、その思いは今もなおリリーの創作意欲を掻き立てるモチベーションになっている。
 大学を卒業するとリリーは徳島県のテレビ局で約3年、帯番組の担当となりディレクターとアナウンサーの一人二役をこなす。「アナウンサーをやって本当に良かったと思っています。それは、映される人の気持ちがわかるから」。テレビの表と裏を体験することで、出演者への心遣い、裏方の大変さを同時に吸収していった。
 25歳になると、請求書の書き方すら知らなかったというリリーは、「このままでいいのだろうか?」と自問自答。今度はビジネスを学ぶつもりで東京の広告代理店へ転職し、社会人としての基礎を学びつつ、プロデューサーとしても手腕を振るう。しかし、18歳の頃からの映像への思いは強くなるばかり。30歳を前にビジュアル・アーティストに挑戦するため、あっさりと退職。新天地にアメリカを選んだ彼女、第一歩を踏み出す為に、学生ビザを取得しニューヨークへ飛んだ。

 英語は全くできなかったが、好きなDJと話をしたいという思いから英語の勉強には力が入った。しかし、長年日本で仕事をしていたこともあり、勉強だけでは物足りず、映像関係の会社でインターンを始める。その時、面倒を見てくれた人に、O1ビザの取得を勧められ、非常に稀なパターンだったが、学生ビザ(F1)のステータスから、O1ビザを申請する。それは、2015年11月にニューヨークに来て、わずか3ヵ月ほどしか経っていない頃だった。
 ただ、やはりレアケースであったため、入国審査では、いつも別室へ連れて行かれたそうだ。しかも、彼女はO1ビザを申請中に日本、メキシコ、スペインと仕事の為に3度もアメリカを出国している。通常、Oビザ申請中に国外に出ることは、再入国できなくなる可能性が非常に高い。弁護士からは「申請中は無駄な動きをしないように」と釘を刺されていた。それにも拘わらずリリーは仕事を優先した。
 「私は仕事があればどこへでも行くつもりでした。それは、私にとってアメリカに住むことが最優先なのではなく、ディレクターになることが目的だったからです」。破天荒とも取れる行動だったが、彼女の仕事に対するこの一貫した姿勢は、想像以上のスピードで彼女をビザ取得へと後押しした。熊本で撮影をしていた彼女に弁護士からビザ申請の承認が出たという連絡が入ったのだ。それは申請後、わずか4ヵ月のことだったという。
 多くのアーティストは、Oビザの取得はとても大変だと言うが、本当の苦労はOビザを取った後だとリリーは言う。「ビザが取れても生活が保障されるわけではありません。私には、映像ディレクターになることが目標で、ビザを取るのは必然的なプロセスだったのです。だから取った後にどうするのか、その方が本当に大切だと思っています」
 そんなリリーが現在取り組んでいるプロジェクトが、DJ、ジョン・サ・トリンサをフィーチャーするドキュメンタリー映画「Jon Sa Trinxa」だ。ジョン・サ・トリンサは、25年もの間、スペインのイビサ島の同じレストランで毎日DJをしている伝説の人物。ロック、ヒップホップ、テクノ、ハウスなど、ありとあらゆる音楽ジャンルの壁を取り払い、ビートで一つに綺麗にまとめる音のマジシャン。25歳で、ジョンの存在を知り、衝撃を受けたリリーは、2年前に彼のドキュメンタリー映画の制作を決意。「あなたの音楽を聴いて毎日が幸せです」と、ラブコールを送り、昨年映画の話を持ちかけたところ本人が快諾。
 「彼は大好きな音楽をターンテーブルで流しているだけなのに、気づいたら周りの人がみんな幸せになっているのです。私が会社を辞められたのは、そんな彼の影響だと思います。好きなことをずっと追及し続ければ、周りの人がきっと幸せになる。そんな彼の哲学をテーマにした、ただただハッピーな映画を作りたいと思っています」(河野洋・マークリエーション)

「ジョン・サ・トリンサ」の映画制作資金を集めるためクラウドファンディング中!
■映画 www.jonsatrinxamovie.com
■本人サイト lilyrinae.com


※掲載原稿はあくまでも本人の話に基づいて書かれており、合法性や詳細などについては、移民弁護士のアドバイスを仰ぐことをお勧めします。(編集部)




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