2022年3月11日号 Vol.417

ナチスの迫害から逃れた根付
「琥珀の眼の兎」
ジョナス・メカス回顧展
「いつもカメラが回っていた」

Installation view of The Hare with Amber Eyes. Photo by Iwan Baan

これほどたくさんの根付が一堂に! そして、職人たちの想像力の何と豊かであることか。わずか3、4センチほどの小さなオブジェながら、まん丸い柿の実に止まったテントウ虫や、パカッと割れた蜜柑の中で碁を指す二人など、堅牢・巧緻な情景描写に思わず息を呑む。ネズミ捕り器を抱える小僧の背中に、当のネズミが乗っている姿はユーモラスで、蛸に乳を含ませる海女の姿態は何ともエロチックだ。



根付とは、江戸時代に流行った実用品で、巾着や印籠などを着物の帯から下げて持ち歩く際に「留め具」として使われた。もともとは木の根を切っただけのものだったが、やがて商売繁盛のお守りや粋な装飾品となり、素材も、象牙や黒檀、琥珀など高級品に代わっていく。職人ならぬ「根付師」による洗練された意匠は、まさに芸術品にして掌の美。だが、洋装に転じた明治初期には不要のものとなり、同時代のヨーロッパの日本趣味(ジャポニスム)とも相まって、根付の多くは海外に流出することとなる。

本展に登場する根付もまた、19世紀後半のパリで活躍した美術批評家で印象派絵画のコレクター、シャルル・エフルッシに伝わるものだ。彼は、マルセル・プルーストの小説「失われた時を求めて」の第一篇「スワン家のほうへ」に登場するシャルル・スワンのモデルの一人とも言われ、この点だけでも興味津々だ。その家柄は、オデッサの穀物商人から身を起こし、やがてロスチャイルド家に匹敵する銀行業で成功したユダヤ系富豪一族とある。

Installation view of The Hare with Amber Eyes. Photo by Iwan Baan

ともあれ、シャルルが手に入れた全264点の根付は、そっくりそのままウィーンのエフルッシ宮殿に住む従兄弟に結婚祝いとして贈られ、夫妻がもうけた4人の子どもたちに愛されていく。ところが、1938年、ナチス・ドイツの侵攻によって一家は宮殿から追い出され、絵画やアンティークの調度品など美術品のすべては没収されてしまう。

幸いにも、夫人のメイドであった女性の機転から、根付だけが少しずつ持ち出され(ナチス軍には、価値なきものと映ったのか)、戦後、夫妻の長女に返却され、現在は、その孫の世代であるロンドン在住の陶芸家エドマンド・ドゥ・ヴァールが管理している。一時、大叔父とともに日本に里帰りしていたこともある。
根付をめぐるこの数奇な物語は、エフルッシ一族の流転の歴史とも重なり、ドゥ・ヴァールによる著作「琥珀の眼の兎」の中で詳細に綴られている。本展は、実にこの書物がベースになっているわけだが、百聞は一見にしかず。まずは、根付自体が素晴らしい。多くは平台のガラスケースに並び、真上からも四方からもじっくり眺めることができる。また、当時の絵画コレクションの一部や、家具や書棚の再現に囲まれ、一族の夥しい数の記念写真や手紙資料を追っていると、何やら大河ドラマの世界を眺めているようだ。

いや、ドラマなどではない。奇しくもオデッサを含む現ウクライナの各地で、ロシア軍による爆撃が続き、市民の多くが否応なく国外退避を迫られている。本展は、過去の激動の歴史を振り返るためのものでも、運命に抗う美術品の強さに浸るためのものでもない。まさに世界のいまに目を開かせる、感慨深い展覧会となっている。

ユダヤ美術館では、つい最近、もう一つ見逃せない展覧会が始まった。リトアニア出身の映像作家にして、実験映画の牙城「アンソロジー・フィルム・アーカイブス」の創始者の一人、また、ウォーホルの交遊仲間としても知られるジョナス・メカス(1922〜2019)の回顧展だ。

初期の長編「ウォールデン」(1969)や短編ビデオ「自画像」(1980)から、遺作の「レクイエム」(2019)まで、全11本の映像が、本来の上映時間より割愛されて順繰り流れていく。ウォーホルの夏の別荘に遊ぶ、10代のジョンとキャロライン・ケネディを捉えた映像は、今見ても新鮮だ。また、インスタレーション形式で設置された10数面のスクリーンには、一作品のみが、場面がズレた形で複合的に上映され、メカスの断片的な詩情性をよりいっそう高めている。(藤森愛実)

The Hare with Amber Eyes
■5月15日(日)まで

Jonas Mekas: The Camera Was Always Running
■6月5日(日)まで

■会場:The Jewish Museum:1109 Fifth Avenue
■大人$18、シニア$12、学生$8、18歳以下無料
www.thejewishmuseum.org


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