2023年02月24日号 Vol.440

国籍、思い、小さな正義
田舎町で見た社会的群像
山﨑樹一郎 監督「やまぶき」

IFCセンターに駆けつけた山㟢監督 Photo by KC of Yomitime

2月10日から16日まで、IFCセンターで行われた映画祭「ニュー・フィルム・フロム・ジャパン」。今年は日本から話題の5作品が紹介され、「やまぶき」を監督した山﨑樹一郎氏が来米。上演前、会場に駆けつけた監督に話を聞いた。

大阪出身の山﨑監督。京都の大学に進学し、映画祭の企画・運営や自主映画を撮り始めた。父親がシナリオライター育成校に勤めていたことから、小学生の頃から「ライターの卵たち」と交流があったという。

「父が自宅によく生徒たちを招いていたのですが、僕は彼らにビールを運び、注がされていました(笑)。その頃から映画に興味を持ち、ビデオをレンタルして観るようになりましたね。大学で入った映画サークルで、『自分達にも映画が作れるんだ』と、ますます興味を持ちました」

そんな時、「京都国際映画祭」に出会い、スタッフとして参加。以降、映画製作に関わり現在に至る。

「当時、好きだったのはフランスの映画評論家で映画監督のジャン=リュック・ゴダール。なかなか難解でショッキングでしたが、独創的なカメラワークや大胆な編集技法が印象に残っています。今から思えば映画に携わるにあたり最初の衝撃だったように思います」



現在は、岡山県真庭市で農業に携わりながら映画製作を続ける監督。真庭は父親の実家があり、幼少期の夏休みや正月に家族で帰省したゆかりの地だった。

「移住したのは2006年。理由は様々ありましたが、純粋に普段食べてる食材を自給自足しようと思ったのが発端です。もうひとつは、京都の生活で、『映画作りの壁』を感じていたことから、一旦、映画から離れてみようと考えました」

移住して2年余りが経過した頃、映画への思いが蘇った。

「真庭市に生活の基盤ができ、知り合いも増えてきた頃でした。当初は製作ではなく上映に携わっていたのですが、やはり作りたい、という思いが湧き上がり、『撮ってみよう!』と」

真庭で「農夫と映画監督」を続ける意味・真意は? の問いに、「楽しいからですよ」と即答する監督。
「農夫でありながら映画監督でもあるというのは、おこがましいですね(笑)。農業は気候・環境の影響を受けやすく一筋縄ではいきません。単純作業ですが、『作っていく』ところが魅力。映画制作にも通じるところがあるかもしれませんね」

映画「やまぶき」は、監督の生活拠点となる岡山県真庭市が舞台。女子高生の山吹と、韓国人労働者のチャンスを軸に、外国人労働者の生活、ささやかな夢、希望が描かれている。

「外国人労働者たちの劣悪な環境や待遇を知り、憤りを感じていました。そんな状況下での東京オリンピック。移民問題も解決されておらず、さらに世界がコロナ禍で苦しんでいる中での五輪開催に、強い疑問を持っていました。『福島復興のために尽力する』と掲げておきながら、その問題も遅々として進んでいない。真庭では外国人労働者はもちろん、皆が苦労している。その実情を描きたいと思ったのが発端でした」

監督も真庭にゆかりがあるとはいえ、「よそ者」だった。

「外国人労働者同様、私も真庭では『よそ者』です。最初はその部分にフォーカスした映画を作りたいと考えていました。ですが、真庭で17年間も生活していると、自分がだんだん同化してきたことに気が付いた。気持ちにも変化があり、『よそ者』をテーマにするのではなく、もっと純粋に映画を作ればいい、と考えるようになっていましたね」

劇中、主人公の山吹(祷キララ)が、無言で抗議の意を示す「サイレント・スタンディング」を行うシーンがある。物語の根幹でもある社会への憤りを描いた一コマだ。真庭市で実際にサイレント・スタンディングをする人々がいたことから、映画に組み込まれた。

「サイレント・スタンディングで抗議をする人々と、そんな彼らを呆れたように車から見ている人々がいます。何事にも「無関心」で「他人事」、行動を起こす人々を「軽蔑」する…そんな状況を描きたかった」

監督も映画同様、同じ場所に立ってみたと打ち明ける。「人々の無関心と、冷たい視線を感じましたねぇ(笑)」

もう一人の主人公、韓国人労働者チャンスを演じるのはカン・ユンスだ。

「実を言うとカンさんは、こちらがキャスティングした俳優さんではありませんでした。映画の内容と、彼の身の上は異なりますが、事情があり真庭に移り住んだ韓国人。最初はそんなカンさんをモデルに脚本を書いていましたが、進めるうちにカンさん本人に演じてもらうのがベストだと」

クライマックス、山吹とチャンスが出会う。自身に降りかかった不幸、社会への憤り、不安、思いが交錯する。それでも、それぞれが前を向き進んでいかなければならないと悟る。

「社会で日々起きる現実に比べれば、映画で大きな変化は望めないかもしれません。ですが、そんな時代だからこそ、社会を見る『窓』として映画で問題を提起し、また、文化として定着させる必要があるのではないでしょうか。見落とされがちな弱い部分、小さな拠点・地域から、社会を映し出す作品をこれからも企画していきたい」

「もやもやとした生きづらさ」を変えるには、一人ひとりが「気づく」こと。周囲に縛られない山﨑監督は、これからも山間の町から社会に一石を投じていく。


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