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第 23 回 G8 サミット参加者:(左から)橋本首相(日本)、クレティエン首相(カナダ)、ブレア首相(イギリス)、エリツィ ン大統領(ロシア)、クリントン大統領(アメリカ)、シラク大統領(フランス)、コール首相(ドイツ)、プローディ 首相(イタリア)、サンテール欧州委員会委員長(EC)、コック欧州理事会議長(EC)
(Photo:White House Photograph Office / William J. Clinton Presidential Library)
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1997年の主要国サ ミットはアメリカが議長 国で、6月 日から 日 までコロラド州デンバーで 開かれ、 7が 8にな った転換点の年でもあっ た。前回リヨンまではゲ ストの扱いだったロシア連 邦が、正式の参加国にな
用を嫌った市民の間に反 対が広がり、その年 月 の住民投票で五輪開催へ
ったからである。 以後、2014年にロ シアの黒海に面した保養 地ソチで開かれる予定だ
「活力ある高齢化」を推 衛生・医療保険・年金・ 進する構造改革......年 高齢者介護などを含む 金・医療・介護制度の維 幅広い社会保障政策につ 持強化などが話し合われ いて、先進国だけでなく た。さらに環境問題では、 開発途上国も含め、政策
「なんだよー」と話す口 の形をした。会見が終わ って総理に近寄り、「私が 笑顔を作ったのは、今日 も福祉の話でしょ、とい う確認のつもりでした」と 耳元に語りかけると、嬉 しそうに「うん、うん」と 頷いた。 そこで次は周りにも聞 こえる声で「世界福祉構 想、広がりそうですか」 と聞くと、「これだけ曲 者揃いの場で皆の賛同を 取り付けるのは容易では ないよ。その割には、聞 いてもらえたとは思うけ どね」と答えた。 このように政策面では
Untitled,(Detail 84)
的外観の市立図書館が当 てられ、議長国アメリカ による公式ディナーは、市 の中心から車で 分ほど の荒野にあるステーキハウ ス「ザ・フォート」で開か れた。むろん、私たち取 材陣が招かれるはずもな かったが、発表されたメニ
統領ジャック・シラクがど ントンやトニー・ブレア を報告した。 んな顔をして食べたか、 英首相が議論を主導し、 また、テロ対策の分野 覗いてみたい気がした。 市場原理だけのグローバ では、前回の本欄で書い
で、私はほぼ毎回、最前 列に座ることにしていた ので、デンバーでも一番前 の中央に席を取った。演 壇に登場した橋本総理は 冒頭発言の前に私に視線 を向けたので私は笑顔を 返した。すると、言葉に
った会合が、ロシアによ
るウクライナ領クリミア
半島の強制併合という暴
挙によって開催権を剥奪
され、参加国から追放さ
れるまでの 年間、 8
が続いた。
この変わり目の年に出
席したロシアのエリツィン
大統領は、「デンバーで
7が 8になるのが決定
的に合意されたことを明
記して欲しい」と述べ、 惑からエリツィンを支援
「地球温暖化」について、 2010年までに温室効 果ガスを削減するための
の方向から実施面で多く の試行錯誤や混乱が見ら れる。そこで、互いの知 識と経験を共有すること が、それぞれの国が抱え る問題解決に役立つので はないか との提案 で、議長を務めたシラク 大統領や、次の議長国で あるクリントン大統領か らも一定の支持を取り付 けた。 デンバーでは、日本が
8宣言に「ロシアのサミッ ト・プロセスへのより完 全な関与に対する決意を 改めて表明し、ロシアの
支持する意向を示したの だった。 クリントンはまた、デ ンバーを売り込むことで、 議長国としてのアメリカ の威信を示そうともして いた。 当時の日本人にとって デンバーは、 年に開か れた札幌冬季五輪の次の 開催地として、閉会式で 五輪旗を引き継いだ都市 だったが、高額な開催費
=経済協力開
=世界貿易機関 や =経済協力 開発機構への参加・加盟 を支持し、期待する」と
世紀になって4半世紀を 迎えようとする現在でも 鮮度を失わないテーマだっ た。 グローバル化に関する 議論は、市場経済化こそ 最善の方策と考えるクリ
の社会保障政策の現状と 問題点に関する国別の報 告書の作成を提案し作業 が進捗しているほか、途 上国向けには、前年 月 に沖縄で東アジア社会保 障担当閣僚会議を開いて 世界福祉構想に基づく知 見と課題を伝え、高級事
た。 年参院選で自民 党敗北の責任をとって総 理在任2年半で辞任し てしまった。2006年 7月病没、 歳という
の文言が書き込まれた。 エリツィンは、「急進的 改革」という社会主義計 画経済から市場経済への 変革を急いだ経済政策が
ロシアの正式参加で
誕生
前回リヨンでは、「福祉
の問題は私の政治家とし
てのライフワーク......」と
強調していただけに、こ
の問題への熱意は燃え上
がる一方という感がした。 早逝だった。 サミット後の総理会見 (一部敬称略、つづく)
国際ジャーナリスト 内田 忠男
サミットの議題は広範 ル化に必ずしも賛同しな 囲にわたった。グローバル い他の首脳の発言を抑え 化の進展が新たな課題を 込む場面があったとされ もたらし、特に雇用面で た。 国境をまたいだ労働者の 日本からは橋本龍太郎 移動、出入国管理、賃 首相が2度目の出席で、 金格差......などが論議 前回リヨンで提案した「世 された。「高齢化」も、お 界福祉構想」のフォローア そらく初めて議題となり、 ップに力を入れた。公衆
た在ペルー日本大使公邸
占拠事件の教訓を踏ま
え、人質事件への対処能
力強化について国際協力
を進めることなどを提案
したが、この事件については、 して発音はしなかったが、
所得格差を広げ、チェチェ
ンへの軍事侵攻も失敗す
るなど大衆の失望を買っ
て支持率が急落した。 の公費投入が否決されて
年大統領選挙の第1回 投票では、復活した共産 党のゲンナジー・ジュガー ノフに僅差まで追い込ま れて勝利を決められなか った。決戦では、アメリ カから選挙キャンペーンの プロを招いたり、オリガ ルヒと呼ばれる新興財閥 から巨額の選挙資金を引 き出し、ようやく再選を 果たした。かつての勢い を失ってはいたが、デンバ ーに来た時点ではまだ元 気だった。クリントンは じめ 7の西側首脳の多 くは、冷戦後の新世界秩 序を早期に確立したい一 心から、ロシアを各種の 国際的枠組みに取り込ん で既成事実を整えたい思
しまい、 年冬季の開催
地がオーストリアのイン ューを見て、「バファローと スブルックに変更されたこ マス」までは良かったが「、ウ とで記憶されていた。 リ科の植物スクワッシュ(多 本来のデンバーは、 分ズッキーニ)の花の揚げ mile-high cityのニックネ 物」に添えられたのが「、ガ ームで知られるロッキー山 ラガラヘビの肉と野生キ 脈東側の美しい都市であ ノコ」だった。美食家とさ る。サミットの会場には れ、さっぱりした日本食 完成して間がない超近代 が好物だったフランス大
「日本政府の煮え切らな
い姿勢が解決に向けたペ
ルー政府の実力行使を遅
らせたのではないか」など
疑問の声も上がり、宣言
文書では「あらゆる形態
のテロリズムと闘う決意
を再確認......」とだけ書
き込まれた。
閉幕後の記者会見で橋
本総理は、「リヨン・サミ
ットで私が提唱した世界
福祉構想の具体化の一環
として、高齢化と感染症
の問題が本格的に取り上
げられました。高齢化に
ついては、社会に依存す
る無力な存在として捉え
るのではなく、アクティブ・
エイジングの視野に立って、 律儀な人だったが、バブ 高齢者が雇用はじめ様々 ル崩壊後の不良債権堆 な形で社会参加できる持 積から北海道拓殖銀行 続可能な社会保障制度 や山一證券などの大手金 を確立すること、そのた 融機関が破綻するなど、 めの構造改革の重要性を 金融機関の後始末に追 強調しました......」と、 われて得意の福祉政策に 流れるような説明をした。 存分に腕を振るえなかっ
「現実的で衡平な目標に
コミットする意図を有し
ている」ことが宣言に書き
込まれた。
麻薬系薬物やテロリズ
ム対策への決意も表明さ
れ、国連改革では、グロ
ーバル・パートナーシップ
の育成、持続可能な開発
促進についての国連の役
割が確認された。
いずれをとっても、 発機構に、加盟国が自国
互いの知識や経験を共有 務レベル会合の定期開催 に進みつつある状況など