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[ 11 ] 06/09/2023
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 広島を訪問したゼレンスキー大統領(左)と岸田首相(5 月 21 日撮影)
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(Photo @JPN_PMO / PM's Office of Japan)
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注目集めた 7広島サミットで  日本、世界を主導
 対面参加を持ちかけた のはウクライナ側で、日 本政府が打診を受けたの は、岸田首相のキーウ電 撃訪問から数週間経った 4月末頃だったという。 ウクライナ側はロシア制 裁に加わっていないインド、 ブラジルなどの首脳が招 待されるヒロシマを、支 援を呼びかける好機と判 断した上での提案だった。 岸田首相は「リスクは引 き受ける」と招待を決断、 警備体制などの練り直 しを指示する一方、 7 諸国との調整にも入った。 さらに 7以外の招待8 ヵ国にも説明し了解をと った、とされる。  現場にも行かず、ネッ ト情報を主に事態の推移 を観察していた私が、「ゼ レンスキー来日」の情報 が流れているのを知った のは、各国首脳が到着す る前日の 日午後だった。 急ぎ日程を調べると、ゼ
レンスキー大統領が、 繰り返し核攻撃の威嚇
間会談する予定で待って いたが、彼は姿を見せな かった。彼は大人だ。来 られなかったのは別の理 由があったのだろう」と 述べていた。真相はむろ ん明らかではない。  閉幕直後には被爆の 状況を展示する平和記 念資料館を視察、岸田 首相と原爆死没者慰霊 碑に献花黙祷を捧げた。 約 時間の滞在中、分 刻みの日程を精力的にこ なし、疲れも知らぬげに 見えるヴァイタリティには 脱帽するのみであった。  閉幕後、 日付けウ オールストリート・ジャー ナル紙が、国際面に「As
も、サミットに関する限 りは「良くやった」と言わ ざるを得ない。「巨額の 血税を使った自分の選挙 区への利益誘導」という 批判は拭えないにしても、 である。  一方、バイデン大統領 の存在感は薄かった。連 邦政府の債務上限の引 き上げをめぐる共和党と の交渉が難航して出席自 体が危ぶまれた中、来る には来たものの、初日の 夕食会から途中退席し たほか、会議を中座する ことが何度かあったとい う。  欧州同盟国がウクライ ナに戦闘機 を供与 するのを容認する決断を 下し、軍事支援の追加 も約束はしたが、先頭に 立って議論を主導する姿 勢は見えなかった。閉幕 後の記者会見でも、 7 の結束を繰り返し強調
 5月 日から 日まで 広島で先進国首脳会議
ライナのウォロディミル・ ゼレンスキー大統領が生 身で出席したことである。  サミット直後の 日付 読売新聞は1面トップの 検証記事に ゼレンスキ ー氏招待「賭け」 の見 出しを掲げ、ウクライナ 大統領を迎えたことで、
7サミットが開かれた。  1975年にパリ郊外 ランブイエ城で初会合し てから 回目。半世紀 を経るうちに、年中行 事化・形骸化が言われて 久しく、 回以上を現 地取材してきた私にも、 そろそろ役割を終えたの では、と思わせることが 多くなっていたが、今回 は俄然、世界の注目を 集めることとなった。  要因の一つは、核兵器 の拡散と実戦使用が現 実の懸念となっている折、 最初に原子爆弾が投下 されたヒロシマが会場に なったこと。  日本が議長国を務め るのは7回目で、 ・
戦を仕掛けている「非常
時」に、岸田文雄首相は
自らの選挙区のある広島
を開催地に選び、その地
から平和と協調、核兵
器不拡散に向けた発信
をしようと、並々ならぬ
意欲を燃やした。政権の
不人気を挽回する起爆
剤にする意図も明確だっ
た。
 二つ目には、outreach 示す舞台となった」と書
  7は開幕冒頭の 日に「ウクライナに関す る首脳声明」を採択して いたが、 日午前にもウ クライナ討議の場を再び 設け、それに続く招待 国を交えた協議にもゼレ ンスキー大統領の出席を 認めた。議長国日本と、 最大の支援国アメリカに 囲まれた姿は、まさに「主
・ 年は東京、以後
2000年に沖縄、
年に北海道の洞爺湖、
年に伊勢志摩で開かれて
きた。それらはいわば「平 ローバルサウス」と呼ばれ 時のサミット」だったが、 る新興・途上国に、先 今回は違う。ロシアのウ 進国側の価値観と論理・ クライナ侵攻に加えて、 政策の浸透を試みたこ 覇権主義的拡張を進め と。 る中国の行動が際立ち、  三つ目には、実はこれ 台湾有事さえ懸念され が一番大きかったのだが、 る状況下にある。中露が ロシアに侵攻され戦いが 一体となり差し迫った挑 2年目に入っているウク
と日本のメディア 出した。 各社も「ゼレンスキー来  インドよりさらに強硬 日」の速報を一斉に流し で、「サミットは戦争につ 始めた。 いて語る場ではない、ウ  さらに一夜が明けて クライナについては国連 日午後3時 分、広島 で話し合うべきだ」と主 空港にフランス政府専用 張していたブラジルのル 機が着陸。そこからの約 ラ・ダ・シルバ大統領と
しで、「 7サミットは、
すぐ忘れられる空虚な
イベントが大半だったが、
世界で緊張が高まる中、
日本が新たな緊迫感に しただけに終わった。 目覚めた。岸田首相は  「老い」の気配も濃厚だ 議長国として重要な真 った。上記の会見で岸田 実を強調することを決意 首相を2度も「President し、その目標を達成した。 Kishida」と言い違えた。
国際ジャーナリスト 内田 忠男  
日にサウジアラビアのジッ
ダで開催されるアラブ連
盟首脳会議に出席するこ
とを知った。アラブ連盟
といえば、イスラムを信
奉するアラブ世界の政治
的協力機構で、「親露」に
近い国も少なくない。し
かも、内戦の勃発で連盟
参加国の資格を停止され
ていたシリアが、 年ぶ
りに資格を回復してアサ
ド大統領が出席するとい
う。アサドと言えば、プ
ーチンに最も近い国家元
首の一人だ。いわば「敵」 役」と言えた。 7諸国
と呼ばれる 7以外の 出席国に、このところ日 本との協調が目立ってい るオーストラリアと韓国 の他に、インド、ブラジ ル、インドネシア、ベト ナムとアフリカ連合の議 長国コモロ、太平洋諸島 フォーラムの議長国クッ ク諸島を招いた。自由と 民主主義の西側先進国 に対抗する専制国家の中 国とロシア、そのどちら にも組せず、実利を求め 全方位で目配りする「グ
いた。読み進むと、ゼレ ンスキー大統領の出席で サミットが「占拠」される リスクを考慮すれば、対 面参加の実行は、議長 国日本にとって大きな「賭 け」だった、という。事実、 今回サミットはゼレンス キー大統領の圧倒的な存 在感に「占拠」された感 が深かった。
の真っ只中に敢えて飛び
込み、真情を訴えようと
するゼレンスキー大統領
の勇気と情熱に圧倒され
る思いがした。さらに調
べると、ジッダへの移動の
便を引き受けたのがフラ
ンス政府で、政府専用機
を提供したことも知った。 会談では、「私個人も含  「これは日本にも来る」 めて、戦争解決に向けて ――確信に近い納得を できることは何でもする」 した。翌 日昼頃には という温かい言葉を引き
「揺らぐ国際秩序に結 束して対処する決意を
キロは、日本政府が防 は会わなかったが、ルラ 弾仕様の ハイセキ 氏は閉幕後の記者会見で ュリティを用意して、ロシ 「 日午後3時 分か アによる侵攻開始以来、 らゼレンスキー氏と2国
再選への挑戦はやめた方
を受けているウクライナ の大統領が、被爆地ヒロ シマの土を踏んだのだっ た。
首脳はもとより、インド、 インドネシア、韓国など とも個別の首脳会談に臨 み、支援の強化・継続へ の展望を開いた。対ロシ ア経済制裁に加担を拒 否しているインドのナレ ンドラ・モディ首相との
G-7 Host, Japan Schools
the World=議長国日 本、世界を主導」の見出
ヒロシマの成功は、岸田
氏個人の勝利であったと
同時に、世界的な危機へ
の協調を導く道標となっ
た」と激賞するコラムを
載せた。
 岸田政権発足以来、 が良い。 評価するより批判する  ※次号は連載「Untitled, ことの多かった私として (Detail #78)」を掲載
日の日米首脳会談の 冒頭発言でも、首相への 呼びかけに際し、「Mr.
President」とやっている のがハッキリ聞き取れた。
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