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[ 11 ] 03/31/2023
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 真珠湾攻撃の翌日(1941 年 12 月 8 日)、大統領執務室で 対日宣戦布告に署名するローズベルト大統領
(Photo :Franklin D. Roosevelt Presidential Library and Museum/ NARA)
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 Yesterday, December
側が一種の奇襲を仕掛け るのは古今東西、歴史の 必然である。にもかかわ らず、 以下のアメ リカ政府首脳は、奇襲攻 撃に然るべき対応策を取 ろうとしなかった。日本 に第一撃をさせ、それに 反撃するという理由で、 日本の同盟国であるドイ
alities(Yale University
7th, 1941—a date which
Press, 1948)という長い 表題の大冊である(邦訳
will live in infamy—the
United States of America
は2011年に『ルーズベ ルトの責任――日米戦争 はなぜ始まったか』(上下 巻、藤原書店)が出版さ れている)。  同書は開戦直前の首都 ワシントンの情勢について、
was suddenly and
deliberately attacked by
ば翌月曜日の 月1日に
も日本に攻撃される公算
が高いとの見解を示した。
次に会議が直面した問題  「1941年 月中旬 は、どのようにして、我 に大統領が政権の側近に が国にさほど甚大な危険 非公式に話していた内容 を招くことなく、奴ら(日 が1940年(の大統領 本)が最初に発砲するよ 選挙中に)に公に宣言し
naval and air forces of the
Empire of Japan.  これは真珠湾攻撃の
翌日、フランクリン・ ・ローズベルト大統領 ( )が連邦議会の 両院合同会議で行なった 演説の冒頭である。「屈辱 の日」とすることで、日 本(ジャップ)への憎しみを
「不愉快」で「分を超えた 所業」と考えており、そ こに日本の好戦的な軍部 専制への非難が加わったの であった。  真珠湾攻撃について言 えば、資源の取得で追い 詰められた日本が、軍備・ 国力ではるかに強大な国 を相手に戦うとすれば、 尋常な手段で勝味のない ことは明らかで、常識を
軍長官の日記から抜粋し て次のように書いている。  「 月7日 大統領は アメリカが日本を太平洋 南東部で攻撃した場合、 国民が政府を支持するか どうかの判断を閣僚全員
だった。戦争が終 わった直後、 年8月
煽り、Remember Pearl Harborの合言葉を生み
<この国の大統領が、こ の国は戦争に突き進まな いと言っているのだ ...... この選挙戦で、現職の大 統領が国民に惜しみなく 捧げた反戦の誓いは、選 挙で勝利を収めた後に厳 守されるべき具体的な約 束だった。これらの誓いは、 翌年以降の外交を遂行す るにあたり、大統領に課 された明確な義務であっ た」
Untitled,(Detail 73)
が 著 し たPresident
した」
 「 月 日   大 統 領 、 ハル(国務)、スティムソン
は安堵だった。優柔不断 の時は終わり、我が国民 が一致団結する形で危機 が訪れたのだ......これま で愛国心に欠ける人間が 煽ってきた無関心と分裂
国を戦争に導こうとして いる」と批判した。それ に対しどう答えていたか、 ビーアドの書はこう述べて いる。  「大統領は共和党の非 難は誤りだと断言し、自 分は平和への道筋を辿っ ていると主張した。 月
し、事実上、アメリカが 日本に突きつけた最後通 牒とされるコーデル・ハル 国務長官による文書(ハ ルノート)は、閣僚にも連 邦議会にも、はかられる こと無く発せられた。「日 本が飲むはずがない」の は承知の上である。日本 に「開戦」以外の道を閉ざ したのであった。  「日本の息の根を止め る兵器を開発しろ」―― 原爆の開発を命じたのも
出した。
 私は真珠湾攻撃が日本
の騙し討ちであったか、と
いう問いに、奇襲攻撃で
はあったが、騙し討ちで
はなかった、と答えてきた。 超えた第一撃で損害を与  なぜかといえば、太平 え、相手がひるんだ隙に 洋戦争は、アジアに植民 資源の供給源となる南方 地を展開していたアメリ 地域を早期に占領しよう カ・イギリス・オランダ とするのは当然の戦略で などの欧米諸国が差別意 もあった。 識もからめて日本包囲網  加えて、日米交渉に臨
歴史学者チャールズ・ビ ーアド(Charles A. Beard)
国民は我々を支持するだ ろうとの見方で全員一致
( ライン)を敷 んでいたアメリカは、日 き、日本の資源路を絶っ 本の外交暗号を解読して て戦争に向かわざるを得 いたから、厳しい経済制 ない状況に追い込んだ結 裁がやがて日本に戦争を 果だったからである。 決断させるであろうこと  中国大陸への日本の侵 を十分予知していた。苦 略ばかりが非難されたが、 し紛れに戦争を仕掛ける
奇襲開戦に追い込んだ 巧妙周到な日本包囲網
 しかし は、日米 交渉で日本を戦争に仕向 けるよう国務長官以下に 指示していた。「第一撃を 日本にさせるのだ。そう すれば我々は労せずして 参戦できる。被害は軽微 な方が良いがね」――。  中国・仏印からの日 本軍の全面撤兵を条件と
(つづく)
国際ジャーナリスト 内田 忠男
of the War, 1941――
欧米諸国とロシアも、中
国大陸の利権への野心は
旺盛で、仮に日本が侵略
しなかった場合、中国の
主権と国民の利益が安泰
だったかといえば甚だ疑問
である。欧米諸国は、極
東の成り上がりの島国で
ある日本が列強に伍して
中国領土の切取り競争に
参加しているのが「不都合」 ツとの欧州戦線も含め、 ヘンリー・スティムソン陸
大手を振って参戦が可能
となる......。
 私は安っぽい利己的な
愛国心で言っているのでは
ない。公刊されているさ
まざまな資料が証明して
いるからである。
 中でも第一級の資料は、 の投票に付し、閣僚は、
う誘導するか、だった」  「 月7日 午後2時 頃、大統領から日本の真 珠湾攻撃について聞き、 ジャップがハワイで我々を 直接攻撃したことで問題 そのものを解決してくれ た......私が先ず感じたの
ていた内容=皆さんの大 統領がこの国は戦争をし ないといっているのです= とは違ったということだ」   以下の政府首脳 は戦争をしたがっていた。 ナチス・ドイツの激しい 攻勢で欧州大陸は席巻さ れ、苦戦を強いられてい るイギリスを助けなけれ ばいけない。だが、国内 世論は参戦に否定的だっ た。世界大恐慌を脱して 空前の軍需景気に沸いて いるアメリカは同盟国に 必要な兵器・弾薬を送れ ば良い、この上、若者の 血を流すことはない、そ れこそがアメリカの国益だ、 という考えが強かったか らだ。 がアメリカ の歴史にない「3選」に挑 んだ 年大統領選挙で、 共和党は「大統領はこの
月2日、バファローでの 公約はさらに簡潔だった。
日付のニューヨーク・デイ リー・ニューズは、次のよ うな論調を載せた。  「もちろん、ハルも悪か った、彼らが悪かったのは、 ワシントンの体制そのも のが悪かったからだ。そ して体制が悪かったのは、 それがたった1人の男、つ まり を中心とし、 彼に支配されていたから だ。大統領こそが陸軍省 であり、海軍省であり、 国務省だったのだ」  むろん私は、日本に戦 争の責任がないなどと言 っているのではない。無謀 な戦争に突き進んだ日本 軍部の罪は大きい。その 罪は、東京国際軍事裁 判などで厳しく追及され た。追及されていない側 にも、大きな責任があっ たということである。
R o o s e v e l t a n d t h e C o m i n g
Appearances and Re-
(陸軍)、ノックス(海軍)
各長官、マーシャル陸軍参
謀総長、スターク海軍作
戦部長のいわゆる戦時内 が非常に残念なものだっ 閣がホワイトハウスで会議、 たのに対し、この国が団 大統領は合衆国が早けれ 結したとなれば恐れるも
のは何もない」  そしてビーアド自身が こう書いている。
日、ボストンで次のよ うに宣言した。 < これ はかつて述べたことだが、 何度でも何度でも言おう ......皆さんの息子が外国 のいかなる戦争にも送り 込まれることはない 。

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