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日本の GDP 成長率(22 November 2022) Own work, Data from OECD Quarterly National Accounts / Author:Yuasan (CC-0) 90
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納会(年末最終取引)で 日経平均が38957 円の史上最高値をつけ、
だった。アメリカの貿易 赤字削減のため、「ドル レートを下げるための国 際協調」と言いながら、 日本の輸出量縮小が目的 の「円高」を実現するた めに仕組まれた 5(米 日独英仏)協議だったが、 日本経済の強さに有頂天 になっていた中曽根康弘 首相と竹下登蔵相のコン ビは唯々諾々と応じ、そ の結果急激な円高が起き た。1ドル240円前 後だった円レートが年末 には200円、1年後 には150円まで急伸し た。輸出依存型の日本 経済は当然のことながら 打撃を受け、「円高不況」 と言われた。 年2月に パリのルーブル宮殿で開 催された 7蔵相・中 央銀行総裁会議で、急 激なドル安に歯止めをか ける「ルーブル合意」が成 立したが、各国の協調が 不十分でドルの下落を止
年3月に大蔵省銀行 局長が出した「土地関連 融資の抑制について」とす
年元旦の『内田忠男モ ーニングショー』に招い た経済評論家・長谷川 慶太郎氏は「松の内にも 4万円を抜け、まだま だ上がる」と述べていた。 けれども「アワははじける」 の原則通り、宴の終わり はあっけなかった。  株価は年初から下落 に転じ、 月1日には一 時2万円を割り込む大 暴落で、この年の終値も 1万5千円を超す4割 近い下げ幅、23646 円となった。  私が夕方ニュースのアン カーに転じた 年4月に は土地の価格にも陰りが 表面化し、「バブル崩壊」 は動かせない現実となっ ていた。以後 年余り、 日本経済は好況に沸いた ことが一度もない。いま
という方策に行き着き、 を呼ぶ連鎖が常態化し、 そこで得た資金をタップ 銀行などの金融機関はそ リ溜め込んでいた。一方、 れに歯止めをかけるどこ
年秋に来日した のアラン・グリーンスパ ン議長が「日本の株価は 高過ぎる」とため息を漏 らしたほど、日本はその 影響を世界で最初に脱出 していた。  「円高不況」という言 葉が人々の口端に上る頻 度が減って、カネあまり の好況感の中を泳ぎ回る 人が急増した。企業は大 量の新人採用を競い、有 効求人倍率は 年に1・
「総量規制」と呼ばれた この通達は、不動産向け 融資の伸び率を貸出全体 の伸び率以下に抑えるよ う求めたもので、不動産 業、建設業、住宅金融 専門会社を含むノンバン クへの融資については実 態報告を求める「3業種 規制」もつけられていた。  これに呼応するように、 日銀も金融引き締めに乗 り出した。 年5月か ら 年8月までの1年3 ヵ月に5度の利上げを実 施、2・5%だった公定 歩合は6%台まで上昇、 通貨供給量も 年こそ
歳以下の日本人は自ら
バブル経済の終焉 あっけなく終わった宴
年は3・6%、 年は 0・6%まで抑え込んだ。 遅きに失した感は否めな い。(つづく)
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日本興業銀行までが、「北 かったか。 浜の天才相場師」の異名  ただ、この間に所得格 を持った大阪の料亭女将 差が拡大した。通常の経 に数千億円もの投機資金 済活動が生み出す所得 を貸していたことが発覚 よりも、資産価格の値上 して騒ぎになった。現在 がりで得られる利益が大 のみずほ銀行は、富士、 幅に上回り、資産取引の
 バブル経済の終焉につ
いて筆を進めたい。
 前にも書いた通り、私
が1回目 年間の米国
生活から帰国して東京で
番組を始めた1988
年秋には絶頂期にあった
バブル経済――翌 年暮
れ、東京証券取引所の大 年9月の「プラザ合意」
国際ジャーナリスト 内田 忠男
の肌でホンモノの好景気 を実感したことのない世 代である。  では、バブル経済なる ものがどのように起きた か。  遠因となったのは、こ の連載の 回目で書いた
めることができず、 年 には120円台まで円高 ドル安が進んだ。  「円高不況」はウソでは なかったが、大きな被害 を被ったのは資本装備の 薄い中小零細企業で、大 企業は高度成長の過程で しっかり体力をつけ、為 替変動への抵抗力もつい ていた。製造業分野では、
第一勧業の両銀行が、こ の件以降低迷を抜け出せ なかった興銀を救済する ために合併に応じ、設立 されたと言って良い。
できる富裕層の所得が格 段に増えたからだった。  冒頭に述べたように、 株価が真っ先に坂道を転 落し始めた。やがて地価 にも陰りが見え始める。 そのきっかけとなったのは、
幾層にもわたる下請け供 成長を促すため公共投資 目的の不動産投資に向
給網が整備され、調達 を拡大させる。さらに けるケースが急増して地
価格を下げることで為替 年には、所得税の国税・ 価は急騰した。「東京
変動へのクッションとする 地方税を合わせた最高税 区の地価でアメリカ全土
企業が多かった。円高な 率を %から %に引き が買える」といったバカな
どの被害を下請け中小企 下げ、富裕層の手取り所 会話が当たり前のように
業にシワ寄せするシステ 得を急増させた。要する 飛び交った。事実、 年
ムが、大企業の円高被害 に、円高不況対策とされ 末の日本の土地資産は約
を緩和させたのである。 た政府・日銀の政策で、 2460兆円と推定さ
 日銀は当初こそ傍観 おカネが市場に溢れたの れ、アメリカ全土の土地
していたが、 年から金 であった。 価格の4倍になった。
利の引き下げに転じ、5  大企業は 年代半ば  投機熱はさらに高まり、
回の利下げで公定歩合は ごろから、銀行借入れに 高い地価で買った土地を
2・5%まで低下した。 頼るばかりでなく、エク 担保にまたカネを借りる、 ューヨーク株式市場でダ
政府は内需主導の経済 イティ・ファイナンス(新 そのカネでまた土地を買 株発行による資金調達) うといった、投機が投機
ウ平均株価が ・6%
も暴落するブラック・マ
ンデーが起き、世界同時
株安へと広がったが、 る行政指導の通達だった。
大企業への貸出しで稼い でいた銀行は資金需要が 急速に減少し、 〜 年度の5年間に手元資金 量が %も拡大、新た な融資先を見つけること が喫緊の課題だった。  こうした状況から、銀 行はじめ金融機関の融 資が不動産に集中し始 める。資金がだぶついた 市場では、「カネにカネ を稼がせる」投機が盛ん になった。「土地の値段 は決して下がらない」と いう土地神話が勢いを 持ち、企業、個人を問 わず、余剰資金を転売
ろか、先頭に立って奨励 した。通常、土地を担保 に融資する場合、評価額 の %が上限とされたが、 この時代には、土地のさ らなる値上がりを視野に、 銀行が過大な貸付けに応 ずことが少なくなかった。 全国銀行の貸出しは 年 3月末から 年3月末ま での間に251兆円から 482兆円に、ほぼ倍増 している。  投資対象は、土地から 株やゴルフ場会員権、宝 石、絵画・骨董などの美 術品へと、とめどなく広 がっていった。日本中が高 熱に浮かされている状況 だった。長期資金の貸出 しに特化して明治以来確 固たる地位を築いてきた
倍、この年の大卒求人 倍率はリクルートの調査 で2・ 倍になったと報 じられた。給与も高度 成長期を彷彿させる幅で 上がった。多くの人々が「バ ブル景気」を実感してい たのは、 年から 年2 月ごろまで3年余ではな
・7%の伸びだったが、
  年 月 日には、ニ












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