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昭和天皇
1935 年(昭和 10 年)撮影 public domain
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Untitled,(Detail 61)
のベンチャー起業家とも 称された江副浩正氏が 人材派遣などを本業と して創設、業務を広範 囲に拡張して急成長し た会社で、 年末ごろ から、未上場の不動産 会社リクルートコスモス の株式を多数の政治家、 官僚らに譲渡。 年 月に同社株が店頭公開 されたことで、未公開株 を譲られていた政治家ら が巨額の売却益を懐にし ていた。譲渡先には、 年当時の肩書きで言う と、中曽根康弘前首相、 竹下登首相、宮澤喜一 副総理・蔵相(のちに首 相)、安倍晋太郎自民党 幹事長、渡辺美智雄同 政調会長、森喜朗同全 国組織委員長(のちに首 相)、小渕恵三官房長官
実に 人が派閥を問わ ずキラ星の如く名を連ね たほか、真藤恒 会長、高石邦男前文部 次官、加藤孝前労働次 官ら官界にも幅広く及 んでいた。  まさに史上空前の大 疑獄で、東京地検特捜 部が 年 月に捜査開 始を宣言。 年が明け て、その捜査が佳境に 入り、2月 日、江副 浩正氏をはじめ の元取締役2人を贈収 賄容疑で逮捕したのを手 始めに、 日には労働省 の元課長(加藤次官の側 近とされたノンキャリア 官僚)、3月6日は真藤 恒氏、8日には加藤前 次官、 日には高石前 次官らが相次いで逮捕さ れた。  こうした捜査進展の 都度、特番が組まれた。 司法担当記者のリポー トを挟んで、政治評論 家や弁護士らを招いて
は衷心からの敬意を抱い
ていただけに、「この惨
状は、なんだ」と言う落
胆が強かった。現に、以
後の東京地検特捜部は
牙を抜かれた獣同然で、
世間をあっと言わせるよ
うな永田町や霞ヶ関の構
造に一石を投ずる事件な
ど一つとして手がけてい
ない。しかも、どう見て
も起訴相当と思われる
事件が不起訴になるケ
ースが多過ぎる。その理
由としてよく聞かされる
のが、「起訴しても公判 一、渡辺美智雄氏らの 維持ができない」と言う 有力者が軒並みリクルー 言い訳だが、それこそ、 ト事件に関与していたた 自らの力不足、やる気の め身動きが取れず、後 なさを象徴しているよう 継を打診した伊東正義、 に思えてならないのだ。 後藤田正晴氏からは断  裁判の結果を見ても、 られ、最終的に外相を 藤波氏は1審無罪の後、 務めていた宇野宗佑氏に
 東京のスタジオで番 に始まる『内田忠男モー 組を持っていたのは、 ニングショー』の前から、 1988年 月から 特別編成となり、わた 年3月までの4年半だっ したち出演者は、会社 た。この間、定時番組の が準備していた喪服をま 他に「報道特別番組」の とって、「特番」を始めた。 アンカーも務めた。世の 宮内庁などからの中継 中には、むしろこの面で を交え、スタジオには事 私の存在が知られてもい 情通の解説者を急遽呼 た。 び集めて番組を進行す  民放テレビが通常編 る。 成を外して生放送の報  昭和天皇は崩御の年 道特別番組を組むとい 齢が 歳と最高齢で、 うのは、それ以前はあま 天皇在位も 年余の最 りなかったと記憶してい 長期にわたったから、思 る。 年というのが、国 い出に不足はない。戦 内外で情勢が大きく動い 前・戦中・戦後......稀 た年でもあったことと関 に見る激動の時代を生 連しているのだろう。 きた天皇で、親しみやす  その嚆矢となったのが い表情に加え、時に見せ 昭和天皇の崩御、つまり る笑顔の優しさなどから
じ込めることになった。  2月 日には、東京・ 新宿御苑で「大喪の礼」 が行われ、この時も特番 の司会を務めた。  ついでに皇室関連で は、 年1月の「皇太子 殿下婚約」の際にも特番 を仕切った。妃殿下にな る雅子さんは、外務官 僚の小和田恆氏の長女。 小和田氏が条約局畑で、 当時は外務次官も務め ていたから少なからず存 じ上げ、私なりの評価 もあったが、皇室の慶事 に個人的な考えを述べる のは差し控えるべきと考 え、言葉にはしなかった。
年余りも続いた「昭和」 多くの国民の敬愛を集め
◇
 天皇崩御の次に報道特 (のちに首相)、小沢一 番の対象となったのは「リ 郎官房副長官、橋本龍 クルート事件」だった。 太郎元運輸相(のちに首  リクルートというのは、 相)、加藤六月元農水相 東京大学が生んだ最高 ら自民党の大物政治家、
控訴審で出た懲役3年 執行猶予4年・追徴金 4270万円の判決が 最高裁にも支持されて 確定、池田氏は懲役3 年、執行猶予4年の一審 判決で確定した。贈賄 側の首領として起訴され た江副氏も有罪にはなっ たが、懲役3年執行猶 予5年と言う一審判決 が確定し、実刑は免れ た。特殊会社としての
「竹下裁定」を下した。  ところが、その宇野氏 には首相就任後、女性 スキャンダルが伝えられ、 リクルート事件の不明朗 な幕切れもあって7月の 参議院議員選挙で大敗。 自民党は参院で結党以 来初の過半数割れとな り、宇野内閣はわずか
という時代を終わらせた
出来事だった。
 昭和天皇は、私が帰
国する少し前から体調
不良が伝えられ、やが
て吐血と下血などの症
状が、「天皇ご重体」と
繰り返し報じられるよ
うになって、マスメディア
は当然「 日」に備える
ようになっていたが、
年が明けた直後、いよい
よ、その日がやってきた。 たことに違和感を感じて 1月7日午前6時 分、 いたが、崩御の特番で口 皇居吹上御所で崩御さ にできる話ではない。ご れた。政府の正式発表 本人が崩御されたことで、 は午前7時 分。8時 これも永遠に胸の内に封
国際ジャーナリスト 内田 忠男  
ていた。「あ、そう」に 象徴された天皇の言葉、 全国行幸の際、各地で 見せたさまざまな生の声 と表情などが生々しく 思い出され、重々しい中 にも温かい言葉で「追悼」 の言葉が綴られていった。
日間の短命に終わっ た。竹下氏は、早大雄 弁会の後輩で親しかった 海部俊樹氏で党内を根 回し、8月8日の自民 党総裁選挙に臨み、林 義郎、石原慎太郎の対 立候補を破って、同 日、 海部政権が成立した。
 私自身は、両陛下の 「報道特別番組」で伝えた 訪米随行取材の項で書
いたように、「戦争責任」 がうやむやのまま葬られ
昭和の終わりと空前の大疑獄  
法により賄賂と 認定された真藤氏は一 審で懲役2年執行猶予
話を聞いたが、もう一つ 盛り上がらない。伝え られている疑獄の規模に 比べて、捜査線上にのぼ る顔ぶれが小粒に過ぎる のだ。とりわけ永田町へ の切り込みがない。特捜 部は5月 日、中曽根 内閣の官房長官だった藤 波孝生氏と、公明党の 衆議院議員だった公明党 の池田克也氏の2人を 受託収賄罪で在宅起訴 しただけで捜査終結を 宣言してしまった。他に 安倍晋太郎氏の私設秘 書、宮澤喜一氏と加藤 六月元農水相の公設秘 書と政治団体の会計責 任者の4人が政治資金 規正法違反で略式起訴 されたが、いずれも「微罪」 の扱い。  藤波氏の罪状は、公 務員の採用時期を民間 の就職協定の時期と合 わせて欲しいとの請託 を受けたという、言う ならば瑣末な贈収賄で、 国政の根幹に関わるとは 到底言えない。日本の国 政を左右する自民党の 派閥領袖たちには指一本 触れず、まさに、「大山 鳴動してネズミ1匹」― ―。  この有様を見ていて、 私の東京地検特捜部への 信頼は根こそぎ崩れ去っ た。あのロッキード事件 取材で直接関わりのあっ た堀田力検事(のち弁護 士)らの気概と使命感に
確定した。これだけの大 疑獄で実刑判決をとった 事案は一つもなかったのだ。  ただ、不甲斐ない捜 査の周囲でマスメディア がさまざまな疑惑を報 じ続けたことで、政界 は混乱に陥り、4月 日に竹下首相が「国民の 政治不信を招いた」とし て退陣を表明した。実 際に内閣が総辞職したの は6月3日だったが、「ポ スト竹下」と目されてい た安倍晋太郎、宮澤喜
3年という「形式犯」並
みの判決で確定。文部、
労働次官もそれぞれ執
行猶予付き有罪判決で (つづく)
























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