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パリで行われた「全欧安保協力会議」に参加した各国の指導者 (1990 年 11 月 21 日撮影 Photo : George Bush Presidential Library)
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 1990年の海外取 材は 月だった。
  〜 日パリで開かれ た国際会議を取材する ためだった。この会議は
最終文書=Final Actを るのか、その現場を見て 採択したが、このフォロ おきたい、という欲求が ーアップ会合が3度ほど ムラムラと沸き起こって 開かれただけで目立った きた。 首脳会 活動をしていなかった。 議の開催が伝えられた  それがなぜこの年に?  秋口から、番組の部屋で、
日本は 年に最初の協 力国になり、現在までに その数は ヵ国に上って
=Conference on Security and Co-
というと、前年 年に 東欧諸国で社会主義政 権が倒されるドミノ現 象が起き、東西に分裂 していたドイツでは、ベ ルリンの壁崩壊から1年 も経たない 年 月に 西独が東独を吸収合併 する形で再統一を実現し
「とても重要な国際会
議がある」と繰り返した。
 何が重要かと言えば、 い。大規模で重要な首
 「いまだに世界を変え る中心は欧州か」との思 いを強くしながらも、「こ れまでより悪い時代が来 るはずがない」との確信 は持てたし、国際社会の 前途は明るさに満ちてい ると感じた。複数政党 による代表制民主主義 の統治と市場経済、こ れが2輪となって世界中 が価値観を共有して進 むグローバル化の起点と なったのである。  それまで協議の場と して存在した
 かくして は世界最大の地域安全 保障機構になったが、 2014年のロシアによ るクリミア半島の軍事 統合や、 年2月に始 まったウクライナへの軍 事侵攻という「絶対悪」 を止めることはできなか った。軍事力による現状 変更を認めないとする「絶 対正義」の主張は「無視」 を極めこまれている。東 シナ海や南シナ海での中 国の現状変更行為も同 じだ。  今にして思えば、国 際平和というのは、すべ
operation in Europe、 日本語では「全欧安保協
全欧州・東西 ヵ国にソ
連、アメリカ、カナダを
加えた ヵ国。成立当
初は ヵ国だったが、直
前に東西ドイツが統一さ
れたことで になった。 としての民主主義の強化 西側参加国首脳には「冷 を謳った「新しい欧州に 戦に勝利した」という優 向けてのパリ憲章」が採 越感が流れ、社会主義 択された。 を放棄した東側諸国代  改めて憲章の本文を 表団には控えめな表情 読みなおして行くと、「欧 が目立ちながらも、冷 州の対立と分断の時代 戦中、憧れに近い感情 は終わった。これからの があった西側諸国の仲間 我々の関係は尊敬と協 になったという達成感の 力に基づくことを宣言 ようなものも感じられ する」と前置きした上で、 た。メディアの間では、 「我々諸国民が何十年
Untitled,(Detail 60)
は同行のディレクターを パリ市内の要所に案内し て、日本のモーニングシ ョーの時間に生中継する 場所の選定をしてもらわ なければならない。カメ ラマンと衛星中継回線の 手配などでは朝日放送 が管轄するパリ支局のお
世話になった。
 会議に出席したのは、 いう期待感である。
な り、Partners for co-
力会議」と呼ばれる首脳
会合だった。欧州の東西
が核兵器と通常兵器を
増強拡大して睨み合って
いた冷戦最中の 年に、
安全保障の幅広い側面
にわたり全欧州諸国が ていた。このドイツの例 政治対話をする場を作 が象徴するように、「鉄 り、紛争の予防、危機 のカーテン」で隔てられ 管理、紛争後の再建な ていた欧州が、対立の壁
「これからの欧州のみな 脳会合をカヴァーするに らず、世界全体の新しい は何とも心細い陣立てだ 構造・秩序に関わること った。新聞記者時代か が話し合われる。それは ら、孤独な海外取材に 日本の国際的立場、ひい は慣れている。配布され ては日本人の暮らしにも る大量の資料の読み込み 大きな影響を及ぼすに を含め、一人ぼっちの作 違いない」と説き、モー 業になった。その合間に
 会議では、「冷戦の終 結」が確認され、民主主 義・法の支配・人権・ 市場経済を全欧州共通 の価値とし、統治形態
どについて橋渡しをす る目的で創設が決まり、
を取り払って新しい秩序 を構築するーーそういう 関頭に立っていた。  モーニングショーをやら されたために、東欧の 年革命も、ベルリンの壁 の崩壊という大事件も ......世界情勢の重大変 化を横目で眺めているし かなかった私の心中には、
は、 年 月のブダペ
スト首脳会合で機構化
の必要性が確認され、 ての国の善意で実現する
年に当時は東側のワル
シャワ条約機構にも、西
側の =北大西
洋条約機構にも加わら
ず、中立の立場をとって
いたフィンランドの首都
ヘルシンキで、全欧州
と北米 ヵ国の首脳会
合を開いた。主権平等、 「国際ジャーナリストが
翌年1月に
のであって、どんなに精 緻なルールを作っても、 公然とそれに背く行動に 出る国があれば、寄って たかって非難の言葉を投 げつけても事態は一向に 変わらない。かと言って、 実力を行使すれば軍事 衝突がさらに拡大して、 世界大戦になりかねない ーーキレイごとの安全保 障機構では、何の役にも 立たないことが実証され たのであった。(つづく)
国境不可侵、内政不干 渉、国際法の誠実な履 行など基本的な関係を 確認した上で、軍事演 習の事前通告など偶発 的な軍事衝突を防止す る協力体制を確認する
何をしているんだ」とい う不満と焦燥感が渦巻 いていた。せめて、新し く生まれ変わる欧州がど のような知恵と地力を 発揮して新しい世界秩 序を創造しようとしてい
と略称された 信頼・安全保障醸成措 置に関する交渉を発展 させるほか、化学兵器
に置いて大使級の常設理 事会が設けられた。ま た、 年末までにソ連邦 が解体消滅し、中央ア
国際ジャーナリスト 内田 忠男  
operation=協力パート ナー国の資格を設けた。
ニングショーのアンカーと しては異例の国際会議へ の出張取材を認めさせた のだった。  とは言っても、出張し たのは私とフランス語は おろか英語もほとんど 使えない若いディレクタ ーの二人だけ。しかも、 日本は加盟国でもないか ら、プレスセンターに日 本の外務省のブースはな
し、外交努力による域 内の協調を実現した会 議であり、後者は第1 次世界大戦の講和会議 として開かれ、国際連 盟という新しい国際機関 の設立による束の間の世 界平和維持の仕組みが 決まった。今度は、どん な枠組みが生まれるかと
協力体制を強めることに
グローバル化の起点となった 全欧安全保障協力会議
禁止条約の即時締結、 ジアも含め の国に分裂 空域を開放するオープン したことなどから加盟国 スカイ条約の締結促進 は に増えた。これを契 など具体策をいくつも提 機に域外諸国との対話・
1815年のウイーン会 議、1919年のヴェル サイユ会議と対比する空 気が強かった。前者は、 フランス革命とナポレオ ン戦争で混乱し荒廃し た欧州を大国の勢力が 均衡する以前の状態に戻
= Organization for Security and Co- operation in Europe「欧
も育んできた希望と期
待を実現する時代が到
来した」と宣明している。
安全保障については、通 州安全保障協力機構」と 常兵器に関する条約と、 なり、事務局をウイーン
唱する一方、冷戦終結後、 唯一、血の匂いが漂うテ ロリズムについては、「す べての行為・手段・慣 行を犯罪として非難し、 多数国間の協力で撲滅 するために努力する」と の決意を表明している。 いる。









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