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 「農業維新」と題した涌井徹さんのブログ https://wakui.exblog.jp
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 『内田忠男モーニング ショー』をどのような番 組にするか、戸惑いが 続いた。私の起用を主 導した伊駒政実プロデュ ーサーは「視聴者は、ニ ューヨークと東京、内田 さんの二都物語を期待 していると思いますよ」 という。  前にも書いたように、 当時の日本はバブル景気 の最盛期、狂乱の中に あった。物価が高い
彼らの所得の実質的な 価値で比較したら、先 進工業国の下位に沈む だろう」  当時ニューヨークで「若 き不動産王」として売り 出し中だったドナルド・ トランプが東京にやって きて言葉を失った。  「初めにゴルフ場の会 員権の値段を聞かされ た時、ゴルフ場全部を 買い取る値段かと思っ た。東京の中心部の地 価はもっと馬鹿げている。 私が所有するホテルや カジノへの集客のマーケ ットとしての日本には興 味があるが、本業の不 動産開発では全く魅力 を感じない。こんなとこ ろでビジネスをする奴の 気が知れないよ」......
はなかった。  新聞記者時代に消費 者問題や環境問題でキ
。本来、モノの値段 は需要と供給のバランス で決まる。需要が供給 量を上回れば価格が上 がり、供給量が需要を 上回れば下がる......だ がこの当たり前の原則 が当てはまらないものが 多過ぎた。政治家と官 僚の不作為、彼らが何 もしないために不合理 な価格を押し付けてい る。世界のあちこちから
シヒカリの4分の1から  でもやってみるか 6分の1、遠隔のニュー
「日本特殊論」が聞こえ ていた。  「日本人は我々とは違 ったルールで経済生活 をしているのではないか」
Untitled,(Detail 55)
不合理に値段が高い ヨークでも3分の1から 介入する......農家は獲 ものは無数にあった。家 5分の1......アメリカは れたコメをすべて政府 賃、電気代、電話料金、 「米国」だから、などと に供出、農協がその業
センターを卒えたが、手 持ちの農地が狭すぎる。
店街側は「売るなと言わ れても、こんなにお客さ んが来ているんですよ。 私たちは売ります。警 察でもなんでも呼んで 下さい」――。  立法と行政の不作為 がもたらした不合理な
「日本の物価高は異常
だ。国際通念からかけ った。日本を買い占める
「違法米」の売り出し  
離れている。その基準で 経済統計が作られれば、 日本の数字が経済大国 になるのも無理はないが、
お金があれば、アメリ カを4つ買ってまだお釣 りが来る......トランプ が呆れて怒るのも無理
不合理なコメ行政に風穴 さんという生産者だった。 コメどころの新潟・十
を聞きつけた食糧事務 所職員がやってきて「禁 制のおコメを売らないで 下さい」と言っても、商
国際ジャーナリスト 内田 忠男
牛肉、コメ......。  コメについては、 年 にわたったアメリカ暮ら しの中で、安くて旨い カリフォルニア米の恩恵 を受け続けた。幻のコ
いうのは悪い冗談で、「豊 務に当たり、コメの売 葦原瑞穂の国」という美 却代金から農機具、農 称は返上すべきだと思っ 薬、肥料代などを差し たものだ。 引いた分が農家の手取  在米中に産地を訪ね りになる(だから農家の たことがある。そこで目 フトコロは農協に握られ にしたのは1枚の田ん ていた)......消費者は米
歳になった 年に秋田
県大潟村への移住を決
めた。
 大潟村というのは、
日本で2番目に大きい
湖だった八郎潟を干拓
して生まれた村である。 コメ行政に風穴を開け
当時の経済企画庁が  
ら、不正規流通米=ヤ
ミ米として市場に出る。 立して自ら代表となり、
出していた「国民経済計 算確報」によれば、 年 末の日本の土地資産の 総額は1842兆円だ という。その年の国民 総生産の5倍に当たる。 日本の 倍もの面積が あるアメリカの土地資 産総額は444兆円だ
一方では、 (関 税と貿易に関する一般
「減反破り」のコメを産 地直販で消費者に届け 始めた。消費者から「しっ かりした粒感がある」「冷 めても味が落ちない」と 好評が寄せられ、売り 出した商店街には人々 が殺到するほどの人気に なった。
ャンペーンを張った経験
はある。ただ、あの時
代は私自身が取材をし、 メと言われた「国府田農
記事の方向を決めた。 場国宝米」に至っては、 ぼが1ヘクタール以上は 穀通帳を配られ、配給
大規模農業を本格的に 行うモデル農村として、 1戸当たりの水田は ヘクタール。住宅は1ヵ 所にまとめ、農場には 車で移動し、耕作には 大型機械を導入する先 端農業を目指したが、 タイミングが悪いことに、 ほぼ同時に減反政策が 始まった。  涌井さんは、この地に
たのは、涌井さんたち だった。当然、私たちの 番組も涌井さんに熱烈 な支持を送った。  それでも、食管法が 廃止されるまでには、 さらに6年以上の歳月 を要した。生産者から 政府への売渡義務を廃 止、「計画流通米」とし て流通面を管理する食 糧法と略称される新法 ができたのは 年 月の
テレビ番組では、私の
周りに社員や制作会社
から出向してきた番組
スタッフが多数いる。現
場に飛び出して取材す
るのは彼らの役割だ。 段はと言えば、産地に
もどかしいが、私は彼
近いロサンゼルスならコ
らに助言するしかない。
新潟産コシヒカリに引 あろうかというスケール を待つ......戦中・戦後 けを足らないと思えた だった。農家1戸当たり は一定の役割を果たした し、もっと手軽に買える の経営面積が1000 が、 年代後半ごろか
「菊米」「錦米」でも食 ヘクタールなんてのはザ らコメ余りの現象が見
味に不満はなかった。値
ラ。飛行機からタネを えてきた。 年代には
直にまき、農薬や肥料 政府米の収支が逆ザヤ
も空から散布、水の量 になり、減反政策とい
を調節するだけで、実 う生産調整に乗り出し
りの時期が来れば巨大 た。コメを売る自由のな
コンバインでいっきに収 い農家は「作る自由」ま
穫という粗放農法だが、 で奪われてしまったのだ。 来て秋田県が開発して
涌井徹さんの「農業維新」
日町に生まれ、地元の 高校から県立農業教育
日本式の反( アール)  となれば、これに逆ら
奨励品種とした「あきた ことだった。日本の政治
当たり収量は500キ
ロを越すという生産性
の高さに驚かされた。
 こんな米が日本に輸
入されれば、日本の稲
作農家はひとたまりも
ないから、国は輸入米
に778%という途方
もない関税をかけていた。 協定)のウルグアイ・ラ コメ鎖国である。 ウンドが 年に始まり、  日本には太平洋戦争 コメ市場解放の要求も 開戦直後にできた食糧 出ていた。 管理法というのがあっ  そうした中で、スタッ て、コメの生産から流通、 フが見つけてきたのは、 消費まで全過程に国が 涌井徹(わくい・とおる)
こまち」に出会う。が、 は、斯くも反応が鈍く、 与えられた農地をすべて 対応が遅いのである。
ってコメ作りをする農家
も出てくる。減反せず
に生産されたコメは政
コメに当てると減反政策  涌井さんは、その後も に反する。大潟村あきた 「安くて旨いコメ」を供
府に買ってもらえないか
こまち生産者協会を設
給する運動の先頭に立 ち、近年はコメをペース ト状に加工したコメネ ピュレという食品素材を 新開発してコンテストで 最優秀賞を獲得してい る。「農業維新」と名付 けた涌井さんのブログに は、コメ作りの傍ら県 内外各地に出向いて新 しい農業のあり方を考 え、定着させる多忙な 日常が記されている。 =一部敬称略=(つづく)




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