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1988 年 10 月にスタートしたテレビ朝日系「内田忠男モーニングショー」
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AL NY
1 3 NY 23
N 19
OG C
DC G
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主たる訴求対象が主婦 Untitled, (Detail 53) 層......くらいの認識はあ
ところが早河氏の答え 見?」と聞き返すと、「番 そんな感じだった。 アメリカ的住居の住心   
 1988年に戻ろう。 たアフガニスタンからソ
でしょう」という答えがス  そんな日常の中で、 ッと出た。
ニュースステーションが放
送開始から3年目を迎
え、初めのうちは1桁
を低迷していた視聴率も
2桁が当たり前、時に
は %に乗ることもあっ
た。私たちニューヨーク・
チームも対応の仕方を心
得て仕事が軌道に乗った
と感じていた。
 この年、ソ連ではゴル
バチョフ書記長のペレスト
ロイカが本格化する。ペ
レストロイカは英語で言
えばreform。ソ連共産
党内部での政治体制の改
革を総称する言葉だが、 ズについて、かなり突っ この進捗によってソ連国 込んだ取材をした。ア 内では表現・集会の自由、 トランタの =疾 信教の自由、居住地移 病管理予防センターには 転や出国の自由、複数 何度も出向いたし、患 政党制など、市民の権 者が多かったニューヨーク 利と自由が大幅に認め 市内で救援活動にあたっ られることになった。そ ていた などにも れが東欧諸国にも伝播 足を運んで、絶望の色が してゆき、各地で自由 濃かった患者の声を直に と民主主義を求める市 聞いたりした。 民たちのデモなどが目立  一方日本はと言えば、
8月下旬になってニュー スステーションのプロデュ ーサーだった早河洋(現 テレビ朝日会長兼社長 C E O )氏から電話が かかってきた。  「内田さん、笑っちゃう かもしれないけど、モー ニングショーから来て欲
つようになり、3月 バブル景気がピークに差 日にはチェコスロヴァキア しかかろうとしていた。 のブラスチラヴァ(現在 土地建物はもとより、 はスロヴァキアの首都)で、 株やゴルフ場の会員権な 共産党による統治に正 どが恐ろしい勢いで値を 面から反対する大規模 上げている、盛場は狂乱 なデモが起きた。さらに、 に近い賑わい......といっ 4月には 年暮れの侵攻 た話がニューヨークにも聞 から泥沼状態に陥ってい こえていた。
出した途端、異様な空
気を察した。
 迎えがきていて、開口
一番「明日、内田さんが
泊まられるホテル・オ
ークラで記者会見です」 て新しいモーニングショ に白羽の矢を立てた伊駒 私のスタートを 月 日 という。「エッ、何の会 ーに期待が大きいと話し 政実プロデューサーに引 まで遅らせてくれた。武
国際ジャーナリスト 内田 忠男
ったから、「それは無理
 「決まっちゃってるの?  度をせねばならない。 それじゃ話が違うじゃな 月初めの番組スタートま いの」と聞いても、「ボ でに東京に移る。一月も クは詳しいこと知りませ ないのだ。ニューヨークに
連軍を撤退させることで 合意が成立、5月 日 から部隊の引揚げが始ま
 「ダメだというなら、 いてくる。 その理由をどうします?」  まことに偶然だが、そ
いる妻に電話して顛末を 伝え、心構えだけは頼 んだ。おそらく東京に は2、3日の滞在に過ぎ なかったろう。気持ちだ け急いで、すべて上の空 だった。ニューヨークに帰
った。
 ソ連・東欧の改革が
音を立てて進む中で、
レーガン=ゴルバチョフ
の首脳会談が同月 日
からモスクワで始まり、
6月 日には 7首脳 しいと言ってきました」。 会議がカナダのトロン  全く予期しない話に耳
という問いかけには、「読 売の特派員で に住 むことになったのが 年 のことで、その読売は辞 めちゃったけれど、 年 からはテレ朝さんのお世 話になってニューヨークに 引っ越してきた......もう アメリカ暮らしが 年で すよ。日本の日常感覚 がほとんどない。そうい う人間に奥様向けの番 組をやれ、というのは無 理でしょう」――。
の月末に日本航空の招 待で東京に飛ぶことにな っていた。そこで話がで きる、と考えて、こちら
ん」と、その日の日刊ス
ポーツを差し出す。『内
田忠男モーニングショー』
の大見出しが躍っていた。
不眠の頭は回転が鈍く、
事態が飲み込めない。
むろん納得したわけで
もない。が、今更不条 って、妻はじめ、日常を
トで開催される。私は、 この両方を現地に出向 いて取材した。  アメリカ国内では、当 時まだ不治とされたエイ
を疑う。自分が出演し ている番組以外、日本の テレビ番組には疎い私で はあったが、モーニングシ ョーが、朝の情報番組で
理を言い立てても後戻 りできないところに来て いることは間違いなそう
共にしている人々の顔を 見て、ようやく少し落 ち着いた。  に5年、に 8年、合わせて 年とい う歳月に区切りをつける
は「それが良いんだ、っ て言ってるんですよ」― ―絶句する私に「東京に 来られませんか?」と聞
組の、だと思います」。 とにかく引っ越しの支  
地に慣れてしまったので、 外国人向け物件を多く 扱っている不動産業者に 頼み、何軒か見せてもら い、新宿区大京町、慶 應病院の裏手にあたる狭 い道路に面した集合住 宅の2寝室のユニットを 借りることにした。面積 は100平米を優に超 えるが、2寝室だから といってバスルームが2つ あるわけではない。それ で月の家賃は 万5千 円――ガス・水道・電 気などの光熱費が家賃 と別なのは判っていたが、 お湯代を別に取られる のには驚いた。それも月 に数万円だ。玄関脇の 屋根もない駐車スペース が6万5千円だという。 東京 区の土地代でアメ リカ全土が買えると言 われたバブル景気の真只 中、恐ろしい値段だと思
の日程を伝えた。
 この招待は、日航が
東京―ニューヨーク線に
アンカレッジに寄らない
文字通りの直行便を運
行してから5周年にな
るのを記念したもので、 だった。
その恩恵に浴したのだっ  翌日の記者会見――
た。例によって機内では 質問する側の経験は無
眠れない。いろいろ考え 数にあったが、聞かれる のは容易ではない。暮ら ることもあるのだが、モ 側というのは初めてだ。 しの垢のように溜まった ーニングショーをやると これまで付き合いのなか 品々の整理を始める。引 いう切迫感は全くなか った芸能記者たちに囲 越しは、 三田会の
った。そのような選択 まれた記者会見で何を リーダーを長年務めてき 肢はゼロに近かったから 答えたか、記憶がない。 た大先輩が経営し、同 である。だから成田空 「抱負」を問われても、 じゼミにいた同期生の社 港に着いても、いつもの 「覚悟」のなかった人間 員もいた遠藤運輸に頼 気分で長い通路を歩き、 に真っ当な答えがあるは んだ。実にきめ細かな 入国の手続きをしたの ずもない。会見に先立っ 作業をしてくれた。 だが、出口を一歩踏み て、小田久栄門編成部  9月 日、成田着。
った。  番組は、私が引き継 ぐまで、日本医師会の会 長を長く務めた武見太 郎会長のご子息で、後に 参議院議員となる武見 敬三氏がアンカーだった。 慌ただしく帰国した私
長と話をしたが、その 当面は仮の住まいとなる
内容も定かでない。会 ホテル・オークラに直行。
見の冒頭、小田さんが 当時赤坂アークヒルズに
私の経歴をいささか大 あったテレビ朝日本社に
袈裟に伝え、会社とし 翌日から出社して、私 の気持ちや身を慮って、
アメリカ生活 年に終止符 ていたのは憶えている。 き回され、社内外、ア 見さんには1週間以上、 私自身は、海の渦潮に チコチに挨拶。その一方 余分な仕事をさせてしま
テレ朝で冠番組スタート
投げ込まれ、身体が勝 で、住む家も探さなけ った。 手に反応している...... ればならない。
(つづく)

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