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  2007 年、訪日したゴルバチョフ氏(右)と筆者
ゴルバチョフの包容力 素晴らしい大衆政治家
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ら主張してきたヨーロッ パにおける中距離核戦力 を全廃する提案には、ソ 連側が渋々ながら同意す る姿勢を示したが、応 ずる条件として、大陸 間弾道ミサイルを含む 戦略兵器の %削減や、
書記長は「これは信念の 問題だ」と答えて会談が 終わった。 ......と、こう書いてくる と、協議は「決裂」とい う印象が強くなるが、現 地で観察していた私から 見ると、両首脳の表情に
ークのガヴァナース・ア
イランドを訪れた。ゴル
バチョフ氏はアフガニス
タンからの撤兵を決断し
ており、翌年2月には
撤退を完了した。私は
ニューヨークを離れて帰
国した後で、取材はで
きなかった。
 その代わり、という訳
ではないのだが、遥か下
って2007年6月にド
イツ銀行が朝日新聞と協
力して、ゴルバチョフ氏を
東京に招いて開いたセミ
ナー『ロシア・東欧のいま
〜これから』で、私は司会・
進行と議論のまとめ役を
委嘱され、親しく会話す
る機会に恵まれた。英語
のわかる側近を挟んで控
室で向き合った時、レー
ガン氏との4度の首脳会
談をすべて現地で取材し
たことを告げ、「会談を
重ねるにつれて二人の親
密度が増し、信頼関係が
醸成されて行くのを感銘
を受けながら見守ってい
た」と話し、通訳の言葉
を聞くといきなり「スパシ
ーバ=有難う」と私をハ
グしてきた。私がさらに、 人々を魅了した素晴ら
道と四国を併せたほどの く及ばない。
面積に約 万人が住む  ニューヨークからロンド 小国で、日本とは管理さ ンで乗り継いで現地入 れた商業捕鯨存続の意志 りした私たちは、まず を共有する友好国。ま この国を知らなければ た冷戦下、1949年 いけないと、小型機をチ に創設された ャーターして、空から地 =北大西洋条約機構の 形を観察した。島は南 原加盟国である。ただし、 北約240キロ、東西 歴史上、軍隊を保有し 400キロほどで、人が たことはなく、国土の防 住む都市部は南西部に 衛は警察と沿岸警備隊 集中している。内陸には が担っている。 いくつもの火山と火山湖  火山活動が活発な絶 がある無人の高地で、山 海の孤島だが、大規模 の標高は2千メートル止 な噴火があったと記録さ まり。南部にはグトルフ れる871年には、す ォスという有名な滝があ でに人が住んでいた。 る。海岸線は一部にはフ 930年にはアルシング ィヨルド状のところが見 という世界最古の議会 えた。いたるところに温 があった。クリストファー・ 泉があり、中には高く コロンブスがカリブ海に 湯を噴き上げる間歇泉 到達するより500年 も見えた。レイキャヴィ も前にアメリカ大陸(現 クに近い海寄りには、世 在のカナダ)に上陸した 界最大の露天風呂とされ レイフ・エリクソンは、 る「ブルーラグーン」があ この国から出た探検家 ったが、滞在中、温泉に である。アメリカでは、 浸かる暇はなかった。た 彼がこの大陸に到達した だ取材を終えて帰途に着
ない深みにはまってゆく。  両者の前提条件と主 張が交錯して協議は行 き詰まり、最後にレーガ ン大統領は、ゴルバチョ フ書記長に、「 の 実験禁止というたった一 言のために、この歴史的 好機を潰してしまうつも りか」と尋ねたのに対し、
月8日にワシントンで 開かれた3回目の首脳会
談で、 =中距離 核戦力=を全廃する画 期的な条約が調印され、 かった。
国際ジャーナリスト 内田 忠男
東西の冷戦は終わらなか った。ペレストロイカにグ ラスノスチ、そして新思 考外交というあなたの政 策があったからこそ、東 欧の市民が圧政から解放
 レーガン=ゴルバチョ とされる 月9日を「レ いた夜、ご褒美のように フの米ソ首脳会談の話を イフ・エリクソン・デイ」 見事なオーロラが出現し
続けよう。 としており、レイキャヴ  1986年 月 日、 ィクの教会には1930 日の2回目は、北大 年にアルシング開設 西洋に浮かぶアイスラン 1000年を記念して ドの首都レイキャヴィク アメリカが贈ったエリク が会場になった。 ソン像があるが、「コロ  アイスランドは、北海 ンブス」の知名度には遠
た。地上から見るオーロ ラは私には初体験だった。  さて、サミットの主要 議題は核軍縮だった。ゴ ルバチョフ書記長は、冒 頭から弾道ミサイルの全 面禁止を提案したが、レ ーガン大統領は、 年に 打ち出した =戦 略ミサイル防衛構想の継 続を望み、また、ソ連に おける人権侵害や在ソ・ ユダヤ人と反体制活動家 に対する出国の保証、さ らにはアフガニスタンへ の軍事侵攻などを議題に 加えるよう主張して、協 議は難航した。その中で、 レーガン大統領が 年か
年に米ソが締結した 条約(戦略弾道 ミサイル制限条約)を強 化し、 に関する 研究や実験を 年間凍 結することなどを持ち出 し、話し合いは先の見え
「対決」の厳しさは見え ず、むしろ和やかに話し 合っている印象が強かっ た。果たせるかな、翌年
されたと理解している」 とも述べたが、これに対 しては「ロシア国内では評 判が悪くてね」と、残念 そうな表情を見せた。「で も世界中が評価していま す」と言うと、思い切り 強いハグを返してきた。  レーガン大統領も離 任後の 年に出した自伝
翌年6月1日に発効す るという大きな果実を生 んだのだった。  この条約では射程が 300〜3400マイル までの地上発射型弾道ミ サイルと巡航ミサイルの 廃棄が定められ、期限と
 翌 年5月には、今 度はレーガン大統領がモ スクワを初訪問してサ ミットが開かれた。ゴル バチョフ氏は、ここでも
『An American Life』で、 「ゴルバチョフ氏とは互
された 年6月1日まで に合わせて2692基の ミサイル(米846、ソ 1846)が破壊された。  ワシントンでのサミット では、さらに、戦略兵器 削減条約= 交渉の一段の進展がゴル バチョフ書記長から提案 された。両国が攻撃用の 弾道ミサイルを半減させ るのが目標だったが、こ こでもソ連側は、 の配備を、目標達成まで 遅らせるよう条件をつけ たために議論が進展しな
「あなたがいなければ  
の合意を目 論んだが、レーガン大統 領が応じず、さらなる 交渉の深化を申し合わ せるにとどまった。この サミットで印象に残るの は、クレムリンの会談場 を出た大統領が出した 声明の中に、「私はもは
いに腹を割った会話を通 じて盟友とも呼べる関係 になり、極めて親密な 感情を抱いた」としたう えで、「大掛かりで急進 的な改革を断行している 政権が、どうなって行く か、本人の生命が安全 なのか、真剣に心配して いた」と書いている。レ ーガン氏もまた、あの人 懐こい、そして包容力を 体現したような笑顔で
や、ソ連がevil empire =悪の帝国であるとは考
えていない」と特記した ことであった。  この年の暮れ、 月 7日には、ゴルバチョフ 書記長が2度目の訪米 をし、次期大統領に決 まっていたジョージ・ ・
「会談の場で、あなたは しい大衆政治家として 常に率直かつ正直に考え 鮮明に記憶している。 を主張し、それをレーガ  レーガンとゴルバチョ ン氏も多として応じたと フ......この二人は国際ジ 聞いている」と続けると、 ャーナリストとしての私 またハグ......という具合 の活動の中で、最も記 で、何度も、あの分厚い 憶に残る「千両役者」で 胸に引き寄せられた記憶 あった。
・ブッシュ副大統領を 含めた3人で、ニューヨ
が生々しい。 (つづく)














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