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   Niagara Falls I, 1985. Courtesy Shigeko Kubota Video Art Foundation
© 2021 Estate of Shigeko Kubota / Licensed by VAGA at Artists Rights Society (ARS), NY
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Duchampiana: Nude Descending a Staircase, 1976 Collection of the Museum of Modern Art, New York
© 2021 Estate of Shigeko Kubota / Licensed by VAGA at Artists Rights Society (ARS), NY
Shigeko Kubota: Liquid Reality
■ 2 0 2 2 年 1 月 1 日( 土 ) ま で ■会場:The MoMA
 11 W. 53rd St.
■大人 $25、65 歳以上 $18、  学生 $14、16 歳以下無料
■ www.moma.org
Video Haiku-Hanging Piece, 1981
Courtesy Shigeko Kubota Video Art Foundation
© 2021 Estate of Shigeko Kubota / Licensed by VAGA at Artists Rights Society (ARS), NY
Mo MA
53
70
10
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VT
  視覚や視角を刺激する
   映像と彫刻の融合
久保田成子「リクィッド・リアリティ」
 I
                                                                                                          2年前の増改築 顧展が開かれている。 央では、大小 台の や人々への久保田の され、観客の動きを ーが開発した一般向 場所」という新たな でお披露目された 映像ポエム「自画像」モニターから溢れる 思いが込められてい ライブフィードで捉え けのビデオカメラ「ポ 次元を抱合し、再生 4階の「ス と、 年代半ばに始 色と光の響宴が、周 るようだが、画像は る作品もある。視覚 ータパック」は、新し する。本展の副題に タジオ」は、ちょっと まるビデオ彫刻の代 囲の鏡や水に反射し 編集され、抽象化さ や視角を刺激する、いアート表現を模索 ある「リクィッド・リ
お洒落な空間だ。 表作6点の展示であ て、背景の窓ガラス れている。モニターも、 何と重層的な作りで
するアーティストたち アリティ」とは、そう の格好の手段となっ した水の流れの如き た。ビデオテープは、 ビデオ映像の特質を フィルムと違って、編 語る久保田自身の発 集が自在だという。 言から取られたもの 画像の色やシェイプ、 だが、図録ではもう一 スピードを極端にデ つ、作家が愛した「行 フォルメする「パイク 雲流水」の言葉が紹 阿部シンセサイザー」 介されている。
丁目に面した総ガラ る。 スの壁面を背景に、  なかでも、スタジ パフォーマンスやメデ オ内の「河」「ナイアガ ィアアートが紹介され、 ラの滝 」「ビデオ俳 その都度、印象的な 句―ぶら下がり作品」 時空間を創出してき の3点がダイナミック た。いま、このスタジ だ。天井高のスペース オとそれに続くギャ のその天井から、丸 ラリーの一室で、久保 型のモニターがぶら 田成子(1937〜 下がり、振り子のよ 2015)のミニ回 うに揺れている。中
を圧倒している。「河」
は文字通り、舟形の
水槽に水が流れ、緩
やかなその水面にサ
イケな色やパターン
が映り込む。
 映像自体の内容や メージの方だ。そこに 家は、私の中では単
メッセージ性に重きが は、自分の姿が映り に、ビデオアートの
あるのではない。実 込み、「ビデオ俳句」第一人者ナムジュン・(阿部修也との共同  久保田は決して見
際には、旅日記のよ のように、展示室の うに撮影された土地 一角にカメラが設置
パイク(1932〜 開発)の技法は、久 過ごされていたアーテ 2006)の「奥さん」 保田の「自画像」に見 ィストではない。国際
逆さまだったり斜め あることか。 だったり、人の目から  白状すれば、私は 隠されている。そう、こうした久保田アー 観客が目にするのは、 トの重要性にこれま 水面や鏡面、立体の でまったく気づいて 湾曲面に反射するイ いなかった。この作
でしかなかったからだ。 ることができる。
本展をきっかけに、そ  初期のビデオアー
の豊かな経歴や人柄 トは、モニターといえ
に目を開かれること ば 受像器を改 ソーホーのスタジオは、 にもなった。 造したもので、その 常にアーティストの溜  久保田は新潟の出 モニターを複数並べ まり場だったという。 身で、東京教育大学 たビデオインスタレ 私が見落としていた
(現・筑波大学)で ーションや、ハプニン だけなのだ。作家と 彫刻を学び、教師と グ的アーティストビデ 一度もお話しする機 して自活しながら、オ、さらに巨大スク 会を持たなかったこと
年代初頭の美術シ リーンの映像インスタ は、本当に残念だ。が、 ーンと関わっていく。 レーションといった形で 私は久保田さんから 読売アンデパンダン 展開していく。だが、 学んだ思いである。「ア 展に出品したり、内 久保田が目指したの ートを見るとは、先 科画廊で個展を開 は、映像と彫刻の合 入観のない心を持つ いたり。帰国中のオ 体だった。その始まり ことなのだ」と。 ノ・ヨーコやドイツか が、よく知られた「デ (藤森愛実) ら戻っていたパイクと ュシャンピアナ」のシリ
交流し、この繋がり ーズだろう。本展に で、フルクサスの創 は、同シリーズからの 始者ジョージ・マチュ 「階段を降りる裸体」
ーナスを紹介される。 彼の招きで、作家仲 間の塩見允枝子とと もに渡米したのは、 1964年のことだ
が登場する。  実体のない、消え ゆくものとしての映 像に彫刻というフォル ムを与えた久保田。 その作品は、展示さ れるごとに「今、この
った。
  年代後半、ソニ
展の最高峰「ドクメン タ」やホイットニー・ ビエンナーレに登場し、















































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